見出し画像

読書会という「ミーム」

ここ数年、いくつかの読書会に参加者としてお邪魔している。何度か行くと他の参加者の方と顔なじみになる。その参加者の方が、自分自身で新たに読書会を主催として立ち上げることを見聞きすることがあった。

ここで思い出したのが「ミーム」という考え方である。

「ミーム(meme)」というのは、ドーキンスという学者さんが遺伝子(gene)をもじって作った言葉で、「文化的な遺伝子」とでもいうものだ。

具体的にどういうものかというと、人が喋った言葉や実行したアイデアが他の人に影響を与えて真似したりして、徐々に広まっていく。このときに人から人へ伝わっているのがミームだ。宗教をはじめとするあらゆる思想や表現、生産活動、人に影響を与えるすべての文化は、ミームの一種といって差し支えないと思う。

遺伝子は親から子へ伝わり、子は親とある程度似た物理的な性質を受け継ぐけれど、ミームは血縁に関わらず伝わる。遺伝子が突然変異を起こすのと同じように、ミームも必ず完璧な複製として伝わるのではなく、受け取る人や時代や環境によって、微妙に変異して伝わる。ミームにも強い弱いがあって、影響力の強いミームは広く普及するけれど、弱いミームは淘汰される。

読書会も1つのミームと考えることができる。読書会に参加した人は、その場で見聞きしたことから少なからず影響を受ける。読書会という場はもちろん、その場で紹介された書籍や、それにまつわる参加者の感想やエピソードなど、さまざまなミームが飛んでくる。また副次的に、読書会で友人ができれば、その友人から影響を受けて行動が変わることもあるだろう。

冒頭に書いた「読書会の参加者が、主催者になって読書会を開く」現象は、読書会というミームを受け取り、自分なりに咀嚼して変異させた結果ではないかと思う。もちろん、ミームの受け取り方は人によって違うから、必ずしも「自分が主催になって読書会を開く」だけがミームの影響ではない。

ここまで書いて思い出したけど、お世話になってる読書会の有志で同人誌を出したときに、それを読んで「自分たちもこういう同人誌を作りたい」と感じてくれた方がいた。これは「読書会×同人誌」のミームを送って、受け取ってもらえた結果と言ってよいと思う。

こうしたミームを無数に送り合って、自分たちは生きている。きっと自分が想像している以上に、自分の思考や行動は他人に影響されていて、真に自分自身で考えて行動していることなんてほとんどないんじゃないかと思うことがある。これを極端にすると運命論っぽくなるけれど、まぁ今のところ良い(と自分が思える)ミームをたくさん受け取って生きれているので、それでよしとする。

まとまらないけどこの記事は以上です。ありがとうございました。

この記事が参加している募集

文学フリマ

最後までお読み頂きありがとうございました!