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「 木 」 幸田文 感想


 幸田文「木」に興味を持ったのは、映画「PERFECT DAYS」で主人公の平山さんが古書店で手に取り、就寝前に読んでいた本だったからだ。それがなければ、私はきっと名は知っていても一生手に取らなかったと思う。私は有名だから読むとか売れて人気だから読むという読書選びはしません。
 ただ、私はたまにノベライズや映画原作とは別に、おもしろかった映画作品にでてきた本に興味をもって読むことがあります。それによって、その映画の世界をより理解できたり、主人公が何を感じていたのか、というような追体験をして二度楽しめるからです。ちょうど行ったタイミングで書店に平積みされているのを見つけたからなのもある。けっこう古い作品だったので古本屋で探そうと思っていましたが、今回の映画をきっかけに増刷されたということなのでしょう。
 同時期に行った図書館では、幸田文さんの作品が何冊か置いてあり、そんな中でも「どうぶつ帖」という、なんとなく愉しそうなタイトルに惹かれて借りました。

【 どうぶつ帖 】 幸田 文

 猫は怒った顔が立派、犬はほほえんだ顔に素直さを見せる−。犬を愛した娘時代。猫との静かな老後。手放しで動物を愛した作家の愛情があふれ出る随筆集。【 どうぶつ帖 】

平凡社 商品解説より

 著者のどうぶつに対しての観察眼というより、慈しみがあふれていて、愛でるような、切なさのような、やさしい視線がつまっていた。文章はとっつきにくくはないので初めましての読者には寛容。それでいて、ふだん感じない新しい視点を教えてくれるので、新鮮な気持ちにもなりました。
 特に印象的だったのは、駄菓子屋のおばあさんと猫のふたり暮らしのお話『こがらし』。口伝なのか、昔噺調でなんとも可笑しく切ないおはなしだった。でも、これはひとえに悲しい話なんじゃないと思う。猫とふたりで生きた、幸せな閉幕。
 切られた木、死んだ木にも美しさがあるように。

「おゝ寒、寒」と猫が言った。
「ほんとに寒いねぇ」とばあさんは返答する。

こがらし 128頁

 敷いたままの布団に、ばあさんは入って横になる。猫はそばでまるくなる。その晩、ふたりは二度と目を覚まさなかった。

 また『類人猿』のはなしもけっこう興味深かったです。

かわいく思うこととは、酷い(むごい)ことと、表裏である。

類人猿 141頁

 人間の傲慢さを突きつけられるようで、両方が内在していることを自覚するべきなのかもしれない。



【 木 】 幸田 文

新潮文庫 2024年2月16日読了

 樹木を愛でるは心の養い、何よりの財産。父露伴のそんな思いから著者は樹木を感じる大人へと成長した。その木の来し方、行く末に思いを馳せる著者の透徹した眼は、木々の存在の向こうに、人間の業や生死の淵源まで見通す。倒木に着床発芽するえぞ松の倒木更新、娘に買ってやらなかった鉢植えの藤、様相を一変させる縄紋杉の風格……。
 北は北海道、南は屋久島まで、生命の手触りを写す名随筆。

「木」幸田文 新潮文庫 商品解説より


 思っていた以上に読みやすくて、「どうぶつ帖」よりこっちの方が好きかもしれない。相性がいいのかな。「木」などの自然描写の豊かさが素晴らしい。

 老樹を見てあるく、という放送番組があるが、参加してみないかとさそわれた。木を見に行くといわれては、これはもうたちまち大喜びになってしまう。一も二もなく承知した。いったいどんな木に逢えるのだろう、と違うことの喜びばかりへ心が先走って、放送という仕事の億劫さを忘れていた。このごろこういうことが多い。話のなかの自分に都合いい部分だけを合点して、そそっかしく答えてしまう。としをとると痩せて身が軽くなるが、心の錘(おもり)も痩せるらしくて、やたらふわふわと浮くのには我ながら困っている。老いにはいろいろさまざまな形があるようだが、錘が痩せるという形もあるものだと思う。

松楠杉 150頁

 こういう何気ない素の言葉も好き。老いの形の表現として『錘が痩せる』というのが良いですね。

 あるとき植物のことをなにくれとなく教えて下さる先生と話をしていて、野中の一本立の大木はすてきだといったら、すてきと思うのは勝手だが、なぜ一本なのか、そこを少し考えてみなくてはネ、とたしなめられた。第一にその木は何の木かときかれ、遠見でわからないと答えると笑われた。
〜 中略 〜
 人間の側からいえばそれは役立たずの無価値の木であり、木の側からいうなら、不運と苦難の末にや っと得た老後の平安というわけ、どうか一本残った木をすてきとだけで片付けないで、もっとよくみてやってもらいたい、ということだった。身にしみる一本立の老木の話だった。

松楠杉 153〜154頁

 もっとその木の姿をしっかり見てほしいと言われた著者は、ほんとうの木の姿に気づかされることになった。
 こういった話を読んで思い出したのは、震災の津波で『奇跡の一本松』といわれた岩手県の一本立木。なんとなく、もてはやされたようで、人の希望のために倒れることを許されず、無理やり固定され、立たされ続けていた。そして、のちにモニュメントとして保存整備され多くの人がその姿を見に訪れています。
 どうしてその木が一本になってしまったのか、あの震災を知っている人なら誰もがその理由を知っている。不自然とわかりながらも人間のエゴがもたらした希望は、木にとっては残酷だったのだろうと思う。


〜 まとめ 〜

 死の変相を遂げた倒木を無惨絵といいながらも、生の姿としてとらえ、咲くとき音がするといわれている蓮の花に、嘘かほんとうかを確かめに行き、風でなびく藤波を『情緒』という言葉を当てる。ときには、『木は着物を着ている』と、幹の色や木の肌の様子でそうあらわすことも。
 また、『高いところにある葉や花に、うつつを抜かすな、目の高さにある最も見やすい元のほうを見逃すな』ということを諭され、さらに多くのことを直接その場所へ行くことで身をもって体感し、知っていく。熱意と冷静の表裏の視点を混じえながら、滔々とそんなことを綴り自然美を語る。木と共に生きる、木と共に在る、という感じ。エッセイとはまた違った随筆集もよいものですね。
 文章から伝わってくる風景描写にあてられながら、ゆっくりとした時間を噛み締め、言葉の深みを味わうことができました。映画を通して出会えた作品に感謝です。


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