第4話「不可知の少年」『星霜輪廻~ラストモーメント』第2章:月面編

≫一≪

 シャドウ――社会道徳保全機構の本庁舎から、徒歩で一〇分ほど歩いた所にある最高検察庁。シャドウの実働部隊ともいえる世界中の検察官を統率する同庁を付き従えるのは、〝実力行使の検事総長〟クロエ・ヴァンサン。
「――ということで理事長。益江事件の総括についての報告は以上です」
「ふむ。特務課から文句は出なかったか」
「出るも何も、あいつらは変わり身の早い連中ですから、この総括が社会をより良いものにすると理解しているでしょう」
 壁面のスクリーンを暗転させつつ、クロエはホアンの指摘を飄々とかわす。
「今や特務課の性質は変わってしまった。時の権力に左右され、まるで嵐の大海を揺蕩う大船のようだ」
「桑茲司の暴力装置……、軍隊なんていうものはいつの時代もそういうものでしょう。銃口の向けられる先はいつだって権力の指向性を反映しているもの、政権が代われば前政権が的になる」
「なら、次に狙われるのは私だな」
「順当にいけばですが」
「……規律を高めないとな」
 クロエの振る舞いを、ホアンは咎めない。歯に衣着せぬ物言いで助言をするクロエの存在を、ホアンは最も頼みにしていた。
「もちろん、政権が過ちを犯したときは責任を取るのは当然だ。その為の力を排除しようという訳ではない」
 ホアンが話すのは、特務課不要論について。
「しかし特務課は警察権行使の極致。ニコライ行政官が州の警察権を糾合する以上、これまで以上に特務課の存在意義は高まるのでは」
 警察権は行政権が市民に直接影響する謂わば統治権の発露。即ち州政府にとって警察権とは世界連合から認められた数少ない自治権の一つである。時として州の自己同一性を担保する意味でも有意だった警察権も、文系派によってすっかり骨抜きにされ、州政府よりも文系派優先の業務が続いたことで、既に州政府と州警察との相関はすっかり剥離していた。ニコライはこの離隔状態の州警察の権限を内務市民委員会に糾合しようと桑茲司に提言し、もはや陪臣一二人会では決定事項の扱いである。
「……君は時に純粋さを見せるな」
 席を立ち、会議室の壁に飾られたフェルメールの絵画を前にして、ホアンはうっすらと笑みを浮かべる。「本当に警察権を州から奪えると思っているのか」
「これはこれは。理事長は時に浅薄さを見せつけますね」
 対するクロエもホアンの意図を汲み取ってしたり顔を浮かべる。
「泳がせておけ。肥えた魚を喰らうのは賢明な経済行動だ」
「内務市民委員会は名実ともに人類社会の警察となる……、PM論争の決着、警察権優位の状況は、理事長にとっても好ましい」
「君にとっても、だろ?」
「〝警督官構想〟。一次捜査と二次捜査を結合し、煩雑な手続きを簡略化し罪業を迅速に科す」
「それだけではない、警督官は人の手を介する法治国家の矛盾を晴らし、完全無欠の正義が社会を支配する」
「それは、法を脱しますか……それとも人を逸しますか」
 ホアンは絵画の前で翻身し、クロエの問いを受け止める。天秤を手に持つ女性に被さるように佇むホアンは、まるで自分が絵画の女性であるかのような振る舞いで、虚をつまむ右手をすっとクロエの前に突き出す。
「答えはどちらも、だ。今私のこの手には運命の舵が収まりつつある、審判は間もなく世界に調和と安寧をもたらすだろう」
「グリーンチーズ……でしょうか」
「例えそうだとしても、我々が標榜する未来は間もなく全人類が享受する希望となる。その先にあるのは、君も望んだ社会だ」
 クロエが望む、社会正義の果たされる社会の到来。人が人を裁く不確実さを克服し、同時に人間同士の関係を衡平に保つ配分的・匡正的正義が為される社会。しかしその為には完全に正しい法を必要とせず、完全に正しい人を必要としない。
「完璧さを求めるには遊びが必要なのは自明です。枠にきっちりはめ込むのではなく、敢えて……」
「無論承知している。在る者を拒まない、協調協約憲章の精神を実現することが、目的への道標だと私も思っている」
 延命社会は人格を継ぎ接ぎする社会であるが、それは同時に新しい個性発現の抑制を意味する。と同時に、既に生まれている者こそが選ばれているのだと、選民意識をくすぐる仕組みになっていることもまた事実。
「法は、法規の範囲は……現世にしか及ばないと」
「さにあらず。死者の世界をも照らす法の光、もはや生死の別を問う時代ではない」
 延命主義は現世と常世の垣根を失くしてしまった。生者が転生により現世に執着することで、死後の世界という観念が人間の価値観からなくなり、存在し続ける限りその人は生き続けることになったからである。
「例え喋れなくとも、例えこの世に存在せずとも。真実は平等に人格を包み込む……さながら月の羽衣のように」
「珍しく洒落た言い方をするじゃないか。さては」
 ホアンの探りに、クロエは苦笑しながら首を横に振る。
「恋心を知った女じゃないんですから、私にはそのような相手いませんよ」
「そうか、例え特務課の課長相手でもかな」
 ニヤリとした表情を浮かべながら、ホアンはクロエの目を覗き見る。
「確かにあれの言葉選びには時々むず痒くなるところもありますが、会話すらまともにしたこともないのですから」
「警督官構想、そうはいっても特務課のスキルは無下には出来まい。そうなれば、君の指揮下に入ることと考えておいた方がいい」
 そこでクロエはホアンの考えに眉をひくりと動かしたが、ホアンに悟られることなくクロエはただこめかみに人差し指をあてがうに留めた。
「総括が終わった今、目指すべきは統一法規の制定。その為の『協調協約憲章』の改定。時を無駄にすることは出来ない」
「……もちろんです」

≫二≪

 明くる日の昼、既に日課と化していた由理のお部屋探し。今日も今日とて資料と現物の見比べに徹する由理だったが、一向に決まる気配はなく、無為に時間だけが過ぎていく。
「あーもう、今日もアサミさんは喫茶店でご友人とやらとお茶会とか」
 口を尖らせてアサミの文句を言いつつも、由理の身体は有無を言わさず次なる目的地へと歩みを続けている。
「やだやだやだ面倒臭い歩きたくない私もココアが飲みたいひと息つきたい寝息もかきたい」
 一頻り文句を〝言上〟した後は、口を真一文字に閉じて人通りの少ない路地をただひたすら歩いていくだけの時間。最低層の本庁舎「ボイレ」を横目に、環状の回廊を辿っていく。

「ってうそ、今日雨のシフトだったっけ!?」
 ぽたぽたと降り始める〝雨〟。実際には地球よりもアルベドの低いクレーターコロニーの地表面を冷却するために定期的に行われる人口雨のことで、いわば規模の大きい打ち水である。
「最悪……、傘持ってきてないのに!」
 仕方なく物件資料の束を傘代わりに路地を駆け抜け、目に入ったアパートの軒下に避難する由理。小雨から本降りに切り替わる時間が短かったせいもあって、物件資料は元より由理の服も肩がびしょびしょになっていた。
「ついてないなー」
 とりあえず両肩を叩いて雨粒を払うが、その衝撃で資料が数枚破けてしまい、途端にやる気を失った由理はそのままアパートの階段に腰かける。
「――臨時の雨かもね……先日コロニー天窓の塗装が一部剥げてるって、騒いでたから」
「そうなんですね……、傘はいつも持っとくべきかなあ」
 不意に話しかけられた由理は、普段と変わらない返答をしたのち、ハッとして立ち上がる。
「す、すみません、邪魔でしたね」
 一頻り頭を下げてから相手を見ると、年は由理と同じくらいかもしくはそれより下、透き通っているような碧色のショートに、セーラー服姿の少女。
「気にしないで、それに僕も雨が見たくなっただけだから」
 そういうなり、少女は由理の座っていた階段の横に腰かけて、手持無沙汰そうに両足をぷらぷらとさせる。
「僕〝も〟って」
 まるで雨に打たれたいがために外を出歩いていたと思われたらしき由理は、少し口を尖らせながら、少女の下の段に腰をおろす。
「それ、物件の写真だよね」
 自分の太ももに頬杖をつきながら、少女は由理の持っているびしょびしょの紙切れを指さす。
「あー……、あはは」
「ここ、あった?」
「ここ……『メゾン22』?」
「そうそう、ちょうどこの間僕の隣の部屋が空いたから、もう不動産屋に情報上がってるのかなって」
「うーん、あったようななかったような」
「ここはおすすめだよ、家賃も安いし、敷金礼金もなし」
「えっ」
 そのときはじめて由理は今いるアパートに興味を示した。少しばかり目を輝かせながら少女を見上げる由理だったが、今までの経験則からどうせ何かしらの訳アリがあるのだろうと思い至り途端に眉をしかめる。
「あはは、人が死んだりしてるわけじゃないから」
 由理の表情をみて、少女は大きく口を開けて笑い飛ばす。
「あ、あはは……」
 あまりの少女の笑い上戸ぶりに、苦笑いする由理。
「あーあ、全く。もしかして君って地球人テルセス?」
「て、テルセス?」
「ああ、テルセスだ。僕初めてだなあ」
 そこで由理は、地球人の蔑称か何かだと思い少女の頬をつねった。
「いたた!」
「そーやって人を馬鹿にするのはやめた方がいいよ」
「ち、違うって」
 由理の指を引き離して、少女は少し赤くなった頬をさする。
「テルセス、つまりテルースの子孫。これでも敬意をもった呼び方なのに」
「ふうん、セレネスとかテルセスとか、自分の箔付けに必死だね」
「しょうがないよ……宇宙なんてものは、どこまでいっても不可知なものだからね」
 少女は両手を広げると、天窓近くに発生している雲を見上げて満足げな表情を浮かべる。
「僕は知りたい、知らないことを知り尽くして、この世界から影をなくしたい」
「なかなか派手だね」
「そういう君は?」
「私、か……」
 人差し指を口元に持ってきて、由理は考え込む。
「私はみんなが願いを体現できる社会をつくりたい、って」
「なんだ、君も大概だ」
 やはり少女は大きく笑って、今度は由理の肩に手を置く。
「僕は東瀬由仁あずせゆに、君は?」
「私は西見由理……って、日本人?」
 一見すると顔立ちの整った西洋系の少女かと思いきや、意外と名前は日本式。
「僕自身は月面生まれ月面育ちのれっきとしたセレネスさ。でも一応発祥地は日本だってカスミ・・・がね」
 発祥地――即ち、一期の際に生まれ落ちた場所のこと。延命社会では、二期以降の転生は漏れなく延命施術が可能な専門施設で行うため、より個々人の区別を設けるために発祥地を名乗る。不断に未来を切り拓く延命社会にあっても、人々は己の起源を欲し、そこによすがを求めるのは道理でもあった。
「私も月面生まれみたいなんだけど、発祥地は分からないんだよね」
「もしかしたら同じ日本かもね。いやあ、テルセスに会えたと思ったらおまけにジャポネだなんて」
 一人盛り上がる少女――由仁をよそに、由理はかつて見たかもしれない月面の風景をまじまじと眺める。言われれば確かに故郷ではあるものの、当然記憶などというものは不確かで、かつてはアサミの純然な娘ではないことにやるせない悲しみを覚えたこともある。
「由仁ー、起きてますかー?」
 通りの向こうから、由仁を呼ぶ声。由理も由仁も揃って声のする方を見ると、二人の人影が近づいてくる。
「あっ、カスミー」
「えっ……アサミさん?」
 その正体をみて、相反する反応をする二人。
「よかった、今日は寝坊しなかったんですね」
「そりゃ、僕は言われたことはきちんと直すから」
「寝ても忘れないでくださいね」
「むー」
 普段の日常の会話を繰り広げる二人――由仁とカスミの隣で、微妙な空気感を醸し出すアサミと、由理。
「意外ね、由仁ちゃんと知り合いだったなんて」
「知り合いというかさっき知り合ったというか。それでアサミさんはなんでここに……」
 そこまで口に出してから、あることに気付いてカスミを見る。
「もしかしてアサミさんの月面のお友達って」
 由理の視線を受けて、カスミが由理に向き直して軽く一礼する。
「はじめまして、由理ちゃん。私はカスミ、アサミの無二の親友です」
「自分で無二とか言うの」
「本当のことでしょう?」
 アサミとカスミ、二人から微かに感じられる同年代同士のコミュニケーションに、由理はそっと距離を取って由仁の背中を指でつつく。
「うにゃ?」
「ここ、空いてるんだっけ」
「うん、今のところは」
 ニコリと笑う由仁。足元にはビショビショでかつビリビリになった物件資料。
「アサミさん」
 カスミと談笑するアサミに、由理は一言「私、ここにします」と告げる。
「そう、いいんじゃない?」
 意外にもアサミの返答はあっさりとしたものだった。由理の言葉を受けてカスミも殊の外驚く様子もなく、由仁の頭をなでて頻りに「よかったですね」と言うばかり。
「じゃあ引っ越す日が決まったら教えてよ。僕の部屋で歓迎会しよう」
 そういうと由仁はカスミから手提げバッグを受け取り階段から軽々とジャンプする。
「あんまりジャンプするとスカートが……」
 慌ててスカートの裾を伸ばそうとする由理だったが、それに気づいた由仁が咄嗟に距離を取る。
「あ、ごめん驚かせちゃって」
「い、いや、大丈夫だよ」
 珍しく慌てた様子の由仁が、カスミの袖を引っ張って歩いていく。
「不思議……」
 去っていく由仁の背中を見届けて、由理はアサミの方を向き直す。
「いいお友達になれそうね」
「まあ……、なさっちとぬいっちにも会わせてあげたいです」
「由仁ちゃんは賢い子だから、何かと教えてくれるかもね」
 アサミの口ぶりに、由理はどこかで仕組んでたことじゃないかと疑うが、出かけた言葉を呑み込んでもう一度由仁の去った方を一瞥する。
「あ、それとあの子男の子だからね」
「あ、はい……え?」
 それとなく流しそうになったアサミの台詞を、由理は頭の中で逡巡した後に同じ言葉で聞き返す。
「あの子男の子!?」
 意表を突かれた由理の叫び声は、ベランダでうたた寝をしていた千縫も僅かに聞き取れるほどだったらしい――

≫三≪
 コペルニクス第二階層。世界連合本庁舎「ボイレ」からほど近い場所に鎮座する、細長いカプセル状の建築物。通称「キルクス」と呼ばれるその建物には、世界民政向上機関トワイライトが収まっている。
 通常、各機関・各機構の序列は設けられていないが、世界民政向上機関の創設にあたっては、その職掌の軍事性の高さからボイレにほど近い第二階層に本庁を置くことが許された経緯を持つ。創設時期は渇求公:弥神望月の治世、一〇月体制下においてであり、機関の名前の通り当時地球に乱立していた州もどきの自治行政体に民政移管を促すことが当初の職掌だった。しかし、その後の一一月体制下での混迷を経て、機関には民政移管を順当に行うために地球上の蛮族に対抗しうる軍事力の装備が推し進められ、現在では反体制闘争を行う蛮族を討滅する準軍事組織の看板を掲げている。
「…………」
 そんなキルクスの一角、執行部会の入るフロアの休息エリアでだんまりを決め込むのは、執行部会長のシルヴィア・モンテルン=ストール。
「…………」
「あの」
 自動販売機横の横長のソファ、ではなく間に合わせのパイプ椅子に逆向きで座るシルヴィアは、むすっとした表情のまま声を掛けてきた少年に視線を向ける。
「なんだよ」
「先日の地球での蛮族討滅作戦についてですが」
 少年の右胸には監査部会長:リラ・ル・ラリの文字が記された名札がぶら下がっている。十代前半と思しき少年は、見た目に反して冷静沈着の装いでお転婆気質のシルヴィアと相対する。
「見て分かんない? 今休憩中」
「使用された装備品に出力過剰のものが見つかりましたので監査に入らせて頂きます」
「聞けよ話をよぉ!」
 吠えるシルヴィアをよそに、リラは黙々と手元の資料をめくっていく。
 世界民政向上機関には準軍事組織の担い手、実働部隊が存在する。それが黄昏官・・・であり、その黄昏官を指揮するのが執行部会である。
 一方で、黄昏官の運用に問題はないかをチェックする組織として監査部会が存在する。執行部会長は言わずと知れたお転婆娘、シルヴィアが就いていることからその目付け役として監査部会長には相当の力量が求められていたが、機関長であるファクタの推薦でその座に就いたのがリラだった。
「動員数も事前の報告と倍近く違います。これでは監査部会の意味を為しません」
「為してるじゃん。現に今私は休憩中なのに問答無用の鬼監査官に詰問されてますー」
「適当な仕事をしてるとまたシャドウから睨まれますよ」
「だってしょーがねーでしょ。今回の蛮族だって、協力者にIMMORTALS DEAD ENDイドがいるっつー話だったんだしさ」
「いたんですか」
「結果論じゃろがい」
 そういってシルヴィアは口を尖らせながらいつの間にか買っていたビンのエナジードリンクを片手で開栓して、ぶつくさ文句を言いながら口へと運ぶ。
「っ……大体さ、ファクタのジジイもへいこらとホアンなんかに媚びへつらって。なんで前線張ってる私が目を付けられにゃならんのやい」
「今シャドウは特務課すらも廃止へ追い込もうと画策しています。ニコライ行政官が反文系派として転じた今、もう一方の黄昏官をも掌中に収めたくなるのは道理でしょう」
「あーめんどっちー」
「それに今イターリア州はあのネーロ・ボルバが幅を利かせているんですから、今ここでしっかりしないと足元すくわれるのはあなたですよ、〝殿下〟」
「うるせーわよ」
 ネーロ・ボルバ。現イターリア州知事であり、シルヴィアの家系を月面へと追いやった策士でもある。二二世紀中葉から末期にかけて世界を席巻した「老化感染症説」の震源地でもあったイターリア州だったが、当時州を率いていたファクタを追い落として知事の職を奪取したのがネーロ・ボルバだった。
「それにリビヤ州へのイターリア州の干渉はまるで宗主国と植民地のそれ。過干渉は『憲章』に触れる行為です」
「だからそーれーはー、私に言うことじゃねーでしょーが!」
「トワイライトの職分では?」
「…………っだーーー!」
 勢い良く椅子から立ち上がったシルヴィアだったが、何か気になったようで両手を天井めがけ伸ばしたまま眉間にシワができるほどに瞼を閉じる。
「例の調査委員会はちゃんと動いてるの?」
「はい、だからこそ理系派は改訂作業を推し進めているのでしょうから」
「ったく、すっかり指導者気取りかよ」
「では僕はファクタ機関長に報告に上がるのでこれで失礼します」
「あー……ちょいちょい」
 軽く一礼をしてその場を離れようとするリラを、シルヴィアが引き止める。
「なにか?」
「お前自身は何も思わないのか、理系派の連中のこと」
「両親のことを仰っているのならご心配無用ですよ。すべて身から出た錆だと、当人たちも思っているでしょうし」
「そうなのかもしれないがなぁ……、ならお前はなんでこの仕事をしてるんだ」
 飲みかけの缶を軽くリラに向けながら、シルヴィアは半分呆れた様子で言葉を続ける。「よりによって私の下で」
 しかしリラは一切表情を崩すことなく首をゆっくり横に振る。
「民政、つまり人間の人間による人間のための政治。嘘偽りのいらない、混じりけのある色味も必要ない、くっきりと色分けされた社会が成り立てば、両親の死も報われるでしょうから」
 淡々とそう口にして、リラはついにエレベーターへと吸い込まれていった。
「全く、分かんねえな……」
 もう一度、今度はソファに座り直したシルヴィアは、リラの表情を思い返しながらゆっくりと隠し持っていた酒を片手に一息つくのだった。

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