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【農業小説】第8話 世界3大料理とローカルフード|農家の食卓 ~ Farm to table ~

前回の話はコチラ!

世界三大料理というのは、「中華料理」「フランス料理」「トルコ料理」という話は有名だ。日本で暮らしていると「トルコ料理?」となるかもしれないが、イタリアンやインド料理などは、ここには入らない。

この中でも日本人にとっても世界の人にとっても馴染み深いのは中華料理だろう。中国人は華僑というネットワークをもっていて、世界のどこにいても中国人と中華調理店は存在している。

日本でももちろん高級店から庶民的なお店まで様々な中華料理店があって、その中でも四川中華はとても辛いことで有名だ。

中国は広いのだ。だから中華料理は辛口のものだけではなく、広東料理は薄めの味付けだったり、上海料理は逆に濃いめの味付けだし、そして北京料理はカロリーの高いものが多いという印象がある。

一方でフランス料理は、ビストロにしても比較的高単価なレストランというイメージが強くて、普段から食べるという人は少ないのではないのだろうか。

特別な日に利用するというイメージがあって、たとえば夜景を望む高級レストランなどでワインを傾けながら、恋人や大切な人とロマンチックな夜を過ごしながらフランス料理に舌鼓を打つということに多くの人は憧れたこともあると思う。

そして最後のトルコ料理は、日本において有名な料理はケバブぐらいかもしれない。これはハンバーガーに近い感覚だし、どちらかといえばファストフードにカテゴライズされるのかもしれない。
そんなトルコ料理がなぜ世界三大料理に入っているのだろうか。地域特有の料理について考える前に、まずは世界三大料理がどのようにその位置を獲得したかについて考えてみたいと思う。

ここにヒントがあると思うのだ。特にトルコ料理よりも、日本はおろか世界でも人気のあるイタリア料理とか、無形文化遺産にも登録されて繊細さが見事な日本料理の方がふさわしいんじゃないかと思っている人もいるかもしれない。
イタリア料理は別として、和食については大きな誤解がある。詳しくは下記の書評から紐解いてみたので興味があれば読んで欲しい。

しかし、トルコ料理には世界三大料理にふさわしいだけの理由があるのだ。

それはまず前提について解説しておかなければならないだろう。つまり、必ずしも世界三大料理が世界で人気のある料理というわけではないのだ。

これは当たり前の話で、旨いと舌鼓を打つ料理とか人気のある料理というだけで、世界三大料理に認定していたのでは人によって好みが分かれてしまい終わらない論争が始まってしまうだろう。

そもども自分のお国の料理が1番美味しいんだと思っている人が多いのだから、論争がひとたび起これば事態は混迷を極めるはずだ。

それでは、これらの世界三大料理はどういった基準で選ばれたのだろうか。こういった話には諸説あるのが定番で、その昔宮廷料理であったかとかなかったとかいろいろな理由が考えらるようだ。

何を隠そうこれら世界三大料理はどれも昔に宮廷で食されてきた伝統料理なのだ。

それぞれの国において交易の中心地とか通り道となっており、さまざまな国から色んな素材や香辛料、あるいは調理法などが伝わりやすかったという地の利もあったのだ。

そうした場所では当然のようにもっとおいしい食材や料理を追求するものだ。その結果としてこれらの国の料理は発展を遂げてきたのだ。

そうした料理というのは、いつしか他の国々にも広まって他国でも食文化の礎になったであろうと推測される。

この様な歴史を持つのが世界三大料理なのだ。

つまり世界三大料理に認定された理由は、世界中の食文化にまで影響を与えた「中華料理」「フランス料理」「トルコ料理」については誰もが認めるところだと言えるのではないだろうか。

しかし、地域特有の料理を考えてみたときにはたいていの場合、地域の農家で提供できる食材には限りがあるだ。

したがって穀物や野菜を軸とした料理になって、肉はガロニのような扱いになってしまっている。こうした場合に使われる部位は首やすねなどマイナーな部位が多い。

フランス料理のポトフとかスペイン料理のパエリアなどの伝統料理は、食材の旨さを引き出すために地域で調達できる食材を利用して考案されてきた。

しかし、戦後の日本は食の欧米化が進み、主に寄せ集められた状態のアメリカ料理が浸透し始めた。

つまり和食は伝統であって日本の食文化が進化したわけではないのだ。高度成長期にあっても豊かな自然に恵まれていた日本では、啓発されたような食べ方を考えなければいけない状況には追い込まれなかったのだ。

これまで自然との協調を考慮だにせず、自然資本からの搾取的な産業が進んだ。これは、極めて生産性の高い土地がどこにでもあったからである。

欧米の料理は生まれた特質からしても節度のなさが当時の日本には歓迎された。大量の肉やでんぷんを含んだ食品と、少量の果物とか野菜との対比は際立っていたのだ。

どの食材も準備するために特別の配慮など必要としない。家を出てスーパーに行けば食卓に並ぶ料理は簡単に用意できる世の中になっている。

こうして日本では独自ともいえる食文化、すなわち食事の様式が、具体的な形では進化しなかったのだ。進化といえば違うカタチで…中食ビジネスに代表されるような形で手間暇かけないことが美徳とされる方向へと進んだ。

確かに精一杯働いた後に手間暇かけた食事を作ろうという気にはなかなかならないのはわかる。でもだからといって作る手間をかけないという方向に進むのが間違っている気がしてならない。

もっと生産性をあげて働く時間を短くして、もっと豊かな生活を手に入れる努力をするべきなのではないだろうか。

ブリア・サヴァラン…ナポレオンの時代に生きた美食家は、「ふだん食べているものを教えてくれれば、どんな人物か当ててみせよう」という有名なセリフを残しているが、日本ではその言葉を一様には当てはめることができない。

これは食文化に根差した食習慣がほとんど定着しなかったためで、日本人はどの国民よりも食文化への愛着が薄い。今でも「米がなければ」という層もいるにはいるのだが、その米を食べないという層もどんどん増えてきているのだ。

超高齢化社会からくる健康志向も背中を押して、ほかの国の流行とかに簡単に左右されてしまうのだ。しかし、これは今まで他国の食文化を取り入れて独自のものとしてきた日本にとっては歓迎すべき現象なのかもしれない。

しかし同時にこれは災難の始まりでもあったのではないだろうか。きちんとした食事を発展させていくための良いお手本が歴史において欠落しているのだ。ロールモデルにすべき、真に持続可能性をもった日本の食文化には育たなかったのである。

だけども今日のシェフはルールを柔軟に創造することができるのだ。だからこそ、「ファーム・トゥ・テーブル」の料理が将来に望ましい食文化を形成する食のシステムを構築できるとは想像できないのだ。

では、私たちの未来にはどんな料理が望ましいのだろう?

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