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掌編小説 月光

 女には影がなかった。それは陽の光で出来る影ではない。月光で出来る影のことである。
「私は明日死ぬ」と女は言った。
「何故」と僕は言った。
 女の長い睫毛に縁取られた黒い眸から涙が落ちた。女が泣くのを見るのはもうたくさんだと思った。 

 川のほとりを歩き続けた僕達は、葦が生い茂る川のふちで足を止め蒼白く輝く月を眺めた。果ての町には沢山の火が灯っていた。僕は生まれ変ったらあそこに帰りたいと思った。

 遠くから蒼鷺の鳴く声が聞こえた。ああ、蒼鷺はどこで眠るのだろうと思った。親や子はいるのだろうかと考えた。

 僕は生まれた町の空の色を思い出した。そして父親の煙管の匂いを思い出した。母親が死んだ日の空にぼんやりと浮かんでいた三日月を思い出した。

 僕はほんのいっときでもいいからこの寂しさを忘れたい。

 そうして僕の影は消えた。月明かりのなか僕は女を見た。女も僕を見た。彼女の眸に宿る寂しさを僕は理解した。それは文字通り刹那である。

 ああ、僕は走馬灯を見ているのだなと思った。


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