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短編小説 アナザーワールド 中編

 翌日も19時頃遊佐の家に行った。
 遊佐の家には縁側があるので、そこで話をすることになった。虫の鳴き声がうるさくて、離れているとお互いの声がよく聞き取れなかった。彼は何も言わずに私のすぐ隣に腰掛けた。その仕草はとても自然だった。

「おばさんはまだ仕事から帰ってこないの?」
「今日も遅くなるってさ。彼氏でも出来たんじゃない?」
「おばさんに?本当?」私は驚いて大きな声を出していた。
「わからない。なんとなくそう思うだけ」
 私は遊佐の横顔を見つめたが、そこには表情らしいものは読み取れなかった。
「別に好きにすればいいと思うんだよね。一人で生きていくのも大変だろうし」
 その言葉に皮肉のようなものは含まれていないように思えた。

 縁側からは夜空を眺めることが出来た。空気は冷たく澄み切っていて、たくさんの星が瞬いていた。

「パラレルワールドってやつなのかな」と遊佐は言った。
「パラレルワールド?」
「そう、パラレルワールド。並行世界ってやつ。俺はもしかしたら、パラレルワールドに行ってたのかもしれない。何かのきっかけで、またもとの世界に戻ってきたのかもしれない。そう考えるのが一番自然な気がするんだ」

「ちょっと待って。それだったら、どうして私だけそのパラレルワールドにいるわけ?しかも、私はずっと今の世界にいるのに」
 すると遊佐は私を見て、あははと声を出して笑った。
「確かに!そうだね」
 まるで他人事のような言い方だった。
「ねえ、もし明日学校に行ったら、また全然知らない人ばかりだったらどうするの?」
「その時はその時じゃない?」
「その時におばさんまで入れ替わってたらどうするの?」

 遊佐は夜空を見上げたまま何も言わなかった。空にはたくさんの星が瞬いていたが、彼は星なんて見ていないように思えた。

「私もいなくなってたら?」
「それは寂しいな」
 彼は夜空を見上げたままだった。私は遊佐の横顔をぼんやりと見つめていた。

 私は慌てて庭に目を向けた。気温が急激に下がり、冷たい風が頬を刺した。庭の雑草が風になびいてカサカサと乾いた音をたてていた。

 この人は何もしなくても女の子が寄ってきて、来る者は拒まずなところがあった。でも、この人の「好き」と付き合う女の子達の「好き」は、同じ好きでも性質が全然違うのだろうと思っていた。だから、相手の女の子を気の毒に思うことがよくあった。こんな人を本気で好きになったら相当しんどいに決まっている。

「こんな風に遊佐と話すのって久しぶりだよね」

 遊佐が何も答えないので私は再び彼の横顔を見た。彼は遠くをじっと睨んでいた。彼の中で何かが葛藤しているように見えた。
「綾瀬がずっと俺のことを避けてるからだろ」
 ひどく不機嫌そうな声だった。私は何も答えられずに黙っていた。
「なんで避けるんだよ」

 遊佐がこんな風に感情的な物言いをするのが珍しくて、私は少し戸惑った。
 その言い方じゃあまるで、避けないでくれって言われているみたいじゃないか。この人は一体どうしたのだろう。

 ……いや、違う。本当は私は気がついていた。中学生になって、遊佐が私の家に来なくなってからもずっと、遊佐はいつも私にだけ少し優しかったことを。
 そして私は、私の中に存在するこの人を独り占めしたいという気持ちをどうしても認めたくなかったのだ。認めてしまったら、もうもとには戻れない気がした。

「この間まで付き合ってた子は?その子ももういないの?」
「うん。全然違う人になってた」
「それで寂しくないの?」
「別に」と遊佐は言った。
 その言葉をきいて私は悲しい気持ちになった。
「あんた、いい加減にしなさいよ!」と私は怒鳴った。
「そんな適当なことばっかりやってると、そのうち女の子に刺されるよ!ちょっとは相手の気持ちを考えなさいよ!」
                                         遊佐は驚いたような目で私を見た。そして私を睨みつけて「綾瀬に関係ないだろ」と吐き捨てるように言った。

 その通りだ。私には全く関係ない。関係ないけれども、もし自分が遊佐にそんな風に取り扱われたらと想像すると、びっくりするくらい胸が痛くなるのだ。

「私、帰る」
 私は立ち上がり、玄関まで走った。遊佐が追いかけて来るかもしれないと立ち止まったが、あいつがそんな事をするわけがないのはわかっていた。

 私達は、似たような事を繰り返しては行き場のない想いを抱えて結局どこにも行けない。どうすることも出来ない。多分、悪い点も含めたお互いの事を知りすぎていて、もう今更歩み寄る勇気なんて持てないのだ。それならばいっそのこと、遊佐の頭の中で私も違う人間に入れ替わってしまえば良かったのだ。今までのことは全部なかったことにして、私達は初めて会った高校生で。そうしたら、そうしたら。……

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