妻を守れなかった苦しさ

人はみな、運命的な出会いを求め、究極の純愛ドラマの主人公になりたいとひそかに思っている。私もその一人だ。

彼女が犯罪に巻き込まれ、やむにやまれぬ事情で加担し、容疑者として警察に追われていたら…。それでも彼女を守り続けるだろうか。しかも、彼女は理由も言わずに1度姿を消し、10年後、再び目の前に現れ、そして警察に逮捕されたら。

ラブストーリーは成就するまでの壁が高いほど、困難が多ければ多いほど、見る者の胸を強烈に揺さぶる。犯罪と警察という、およそ一個人ではどうしようもない力が襲ってきた場合でも、愛する人を守ること。それこそが純愛なんだと、ある小説から教わった。

国家権力や犯罪は小説の世界のことだろう。身近な例に置き換えてみれば、実感が湧く。パートナーを襲うものは、病気かもしれないし、大切な人との別れかもしれない。

自分を顧みれば、妻を全く守ってあげられていない。心が落ち込むような大変なときに単身赴任先から帰れず、そばにいてあげられなかった。すでに取り返しがつかないほどに愛想をつかされてしまったのかもしれない。心ではわかっているのに、うまく行動できない。言葉が掛けられない。妻の身の回りで起きた異変と妻の心の変調に、雑に対応してしまった。あげく、別れを切り出される始末だ。何とか踏みとどまってはいるものの、長年育んできた絆に修復しがたい傷をつけ、千切れかかっている。大きな悔いが残る。

愛には試練が襲ってくる。それを乗り越えてこそ愛は深まる。そこから逃げ、中途半端になれば愛は枯れる。自らの至らなさを痛感するのみである。どうすればいいのか。苦しみを糧に、少しずつでも声をかけ、癒やしてあげる以外に修復の道はない。

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