楽器が出来るか出来ないか

数年前から、ある楽器を習っている。
これをやりたい、習いたいと思い立ったその時、実際には自分は体調を崩しリハビリの真っ最中で、片足で立つことすらおぼつかない有り様だった。

この楽器は、首に負担がかかりやすい。そして自分は首のヘルニアを持っている。しかしどうしてもやりたくてたまらない。
一応は相談しておくか、とリハビリ担当の理学療法士へ言ってみたところ、そんな申し出は初めてだったらしく、「ええっと、まあ無理のない程度で…」と曖昧な答えだったが、駄目とは言われなかったのでそのまま押し切り、現在に至っている。
たとえ反対されたところで、心身ともにすでに習う方向へ向いていたので、結論としては同じであったけれども。

家人も友人も、みな賛成、応援してくれた。もっとも、いちど言い出したらあとは突き進むだけ、という自分の性格を承知してくれていただけかもしれないが。

ある人が何かを、例えば習い事などをやりたい、という時に「無理だからやめておけ」という人が存在するのはなぜなのだろうか。
もう若くないから、まわりにやっている人がいないから、本気なの?、云々。

同じ音楽教室に通っている知り合いの中に、還暦から初めたという女性がいる。その人は今や面倒を見るべき家族もおらず、仕事をしながら悠々自適のひとり暮らしで、恋人もおり、はるか年下の自分の同年代と思ったほど若々しく、真面目で品のいい美人で、羨ましいな、素敵な人だな、と感じた。

その人がレッスンを受けようかと周囲に打ち明けた時、かなり反対意見が出たという。
「出来るの?」「その年で……」等々。
それを聞かされた時、いまだにそんなことを言う人がいるのかとびっくりしつつ、
「なぜ他人がそんなケチをつけるのか。やりたい気持ちに年齢は関係ないし、やるのは本人なのに」
と、自分も一緒に憤慨したのだったが、その理由が分かった。

本人が、「無理」と言っているのである。

楽器の練習というのは、かなり苦行だったりする。最初から良い音は出ないし、慣れないうちは余計な力が入り疲れるだけである。何より、自分の下手さに向き合うのは本当に苦痛で、何度も辞めたくなる。個人レッスンなので、先生もその人に合わせた教え方をしてくれるが、弾く行為そのものは自分で何とかしていくしかない。
地味で孤独な、辛い作業で、「いつか、演奏が楽しいと思える時が来るのだろうか」と何度も思ったものだ。

ただ、同じ目的の仲間がいると、大変なはずの練習にも取り組みやすくなる。
その人と知り合った当初、練習仲間が出来たことが嬉しく、いろいろと語り合った。
しかし、一緒に練習していると、必ず「無理」「私には出来ない」「もうトシだから」というネガティブワードが出る。単なる口ぐせに過ぎないのかもしれないが、それならどうしたら出来るか、という話には発展しないのだ。
確かに、年をとれば、以前は出来ていたことが出来にくくなる、面倒になるというのはよく分かる。
しかしその人の母親は、同じ楽器を70歳から数年習っていたのだという。

その人は絵も描くのだが、また描いてみたらと声をかけると「下手だし、何年もたっていて描ける気がしない」、楽器の練習に誰かを誘うつもりだ、と言いつつ「ダメかもしれないけど」、発表会は「ただ恐ろしいだけ」だそうだ。

こんなに素敵な人が、もったいないな、と思った。
はたから見ればうらやましい限りのこの人は、自分の可能性を、周囲の人からではなく、自分自身でつぶしてしまっているのだ。
「そんなことないよ」と言って欲しいのだろうか。最初のうちはともかく、ネガティブな言葉を連発している人だと分かると、周囲もポジティブな言葉はかけにくくなっていく。
自分で発した言葉が、自分に返ってきて、その挙句に自分を否定するという悪循環が起こってしまっているようだった。
それならなおのこと、自分で自分を肯定し、大切にして欲しいと思う。

同じ先生に習っているので、先生に対する愚痴もよく聞かされる。なかなかに厳しい先生なので、無理もないとも思うが、教える側の立場を考えると、先生も人間であるわけで、仕事とは言え、出来ないと思っている人を教えるのも大変だろうな、と思ってしまう。

めったに褒めない先生だが、一度だけ「〇〇さん(私のこと)は前向きだから」と言われたことがある。この一言で、信じやすい自分は励まされ、練習が以前より苦でなくなった。「あ、出来た」と思える瞬間が少しずつ、増えた。楽しくなった。「今は出来なくても、出来るようになる」と思えるようになった。
上達と下達のあいだを行き来しながら、なんとか一曲を弾けるようになった時、「よくがんばった!」と体をポンポンとされた。涙が出るほど、嬉しかった。
そして、ヘルニアの悪化もしていない。

出来るか出来ないかは、周囲が判断することでないのは言うまでもない。
自分が出来ると思えば出来るのだ。
そして、やるかやらないか、それだけなのだ。

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