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小説「ある日の"未来"」 第2話

「食料」

 
未来は冷蔵庫の中を覗き込みながら、何が作れそうか考えている。今朝は、未来が食事当番だった。

2032年の今年、10歳になったばかりだというのに、未来は早くも、家族の食事当番のローテーションに入れられてしまったのだ。

まったく、幼い子どもをこき使うんだから……。

ぶつぶつと文句を言いながらも、未来は楽しそうだった。

料理はけっして嫌いではない。今ある食材から何が作れそうかと考え、自分なりに工夫しながら料理をするのは、じっさい、楽しかったのだ。

えーっと、野菜は、今朝、ばあにゃが畑から採ってきたトマトと玉ねぎがあるから、それでサラダを作ろうっと……。

ドレッシングはめんどくさいから、オリーブ油と黒酢をかけておしまい……。

祖母は裏庭を利用して、家庭菜園を楽しんでいた。とても畑などとは呼べないような猫の額ほどの小さな菜園だったが、祖母は素人でも簡単に栽培できそうな野菜を選んでは、毎日、せっせと世話をしているのだった。

地面から顔を出したかわいらしい芽が少しずつ伸びていく様子を、祖母はまるで子どもの成長を見守るように、目を細めながら、何時間でも眺めている。

「ばあにゃ、そんなに眺めてて、よく飽きないね」
と未来が声をかけると、
「かわいいからね。ちっとも飽きないよ」
と、ばあにゃは一層深く、目尻に皺を寄せた。

このところ毎日のように、スーパーで買う野菜の値段が上がっていくので、ばあにゃの作る野菜は、少なからず家計を助けていた。

値上がりしているのは、野菜ばかりではなかった。

ここ数年、毎年、世界中で気候変動による大干ばつや大洪水が頻発しているので、小麦や、米、大豆、トウモロコシなどの穀物の生産が軒並み減少していたのだ。
各国政府は自国の消費を優先して、輸出規制を強化していた。

そこに、数年前にヨーロッパで起きた戦争が追い討ちをかけた。穀物価格は急騰し、世界の食料事情が一変したのだった。

食料を求めて、世界中で暴動が起きていた。

日本も例外ではなかった。連日のように、数万人規模のデモが起きている。ニュースでは、大正時代の米騒動以来の事件だと伝えていた。

昨日、政府は緊急措置として、1日当たりの最低限のカロリーが取れる食品クーポン券を、低所得者層に限って支給すると発表した。

食料自給率が極端に低かった日本は、各国の輸出規制の影響をまともに受けたのだった。
これまで、お金さえ払えば、外国からいくらでも買えた穀物がほとんど手に入らなくなったため、パンやめん類、豆腐、菓子類など、ありとあらゆる食料品が値上がりするばかりか、次第にスーパーの棚から姿を消していったのだった。
人々はわずかな食料を奪い合うように、連日、食料品売り場に殺到していた。

空っぽになったスーパーの棚を見て、未来は以前、テレビで見た歴史番組を思い出した。

これじゃあまるで、冷戦時代のソビエトのようだ。
まったく、なんでこんなことになってしまったんだ……。

政府は、食料品価格の高騰に対応するため、食料品に対する消費税を撤廃したり、備蓄米の放出や、アメリカなどの友好国に頼み込んで、穀物の「思いやり輸出」を引き出したりするなど、様々な緊急対策を講じて、この危機を乗り切ろうとしていた。

スーパーで買えなければ、自分で作るしかない。
というわけで、最近はどこの家庭でも、狭い庭を掘り返したり、ベランダにプランターを置いたりして、にわか菜園を始めるのだった。

政府は食料自給率を上げるため、考えうるありとあらゆる対策を講じたが、すでに遅きに失していた。
いくら旗を振っても、大部分の耕作放棄地は元の農地には戻らなかったし、いったん減ってしまった農家が増えることもなかった。

政府は苦肉の策として、都市住民に耕作放棄地を無償で提供して、地方移住を奨励したり、家庭菜園の普及を後押ししたりしたが、そんなことでは、自給率は一向に上がらなかった。

そんな未来を予見したわけではないが、未来の両親は、未来が生まれてすぐに、横浜の家を売り払って、この南房総に引っ越してきたのだった。
以前、父が仕事でここを訪れたとき、温暖なこの地がすっかり気に入ってしまったらしい。もちろん、政府の移住支援策もちゃっかり利用している。

だから、プランターや種や肥料など、家庭菜園に必要なものはほとんど無償で手に入れることができる。生ゴミから肥料を作るためのコンポストも、支援制度を利用して購入したものだった。

未来の家庭では、両親と祖母がそれぞれ自分のプランターで野菜を育てている。自分の野菜は自分で作るのが、未来の家のルールだ。

今年から、未来も食事当番を担当するのを機に、両親は未来にも専用のプランターを買い与えていた。

とはいっても、未来にはまだ、ばあにゃが頼りだった。先月植えたミニトマトは、ようやく豆粒くらいの緑色の実をつけたばかりだった。隣のばあにゃのプランターには、大粒の真っ赤な実が、いくつもぶら下がっている。

同じように育てているのに、なんでこんなに違うのかな……。

と、未来が溜息をつくと、

「たっぷり愛情を注げば、そのうち大きくなるさ」
と、ばあにゃが言う。
「愛情を注ぐって、どうするの?」「なあに、簡単さ。かわいい、かわいいと思って、ただ眺めていればいいんだよ。でも、触ったりしたらだめだよ。野菜がびっくりするからね」
「そうかなあ、そんなんで、大きくなるのかな……」
盛んに首を捻っている未来の顔を眺めて、ばあにゃは目を細めている。

気候変動は容赦なく世界中の肥沃な土地を飲み込んでいき、世界の食料生産力は年々、低下していく一方だった。

生産量が激減したのは、穀物ばかりではなかった。大量の穀物を餌として消費していた牛肉や豚肉などの食肉の生産も、みるみるうちに減っていった。

海もまた気候変動の影響を受けていた。海水温の上昇で生態系が変化したことで、世界中で漁獲量が激減していた。各国政府は漁業資源の囲い込みに走り、相次いで海産物の輸出を禁止した。

地球上から、あらゆる食べ物がなくなっていくようだ。

かつて飢餓は、一部の発展途上国での問題だったが、今や、先進国を含めて、全世界に広がっていた。食料暴動は年々過激さを増している。食料と水を巡って、国家間の紛争も激化していた。

激減した食料生産を少しでも補おうと、各国は競って人工食品の開発に乗り出していた。
今では、人工肉や遺伝子組換え食品、ゲノム編集食品、昆虫原料の加工食品、人工栄養ドリンク剤、人工栄養カプセルなど、カタカナばかりで原料や成分がよくわからない人工食品のオンパレードだ。

食卓から本物の食べ物が消えていく。

朝食がすむと、ばあにゃはまた裏庭に出ていった。
後片付けをすませてから、未来も外に出る。今日も晴れて、日差しはたっぷりだった。

未来は、ばあにゃに教わりながら、野菜作りに専念している。
今度こそ、立派なミニトマトを収穫しようと、未来は意気込んでいた。

「今日は学校じゃないのかい?」
と、ばあにゃが思い出したように訊いた。
「今日は自宅学習だから、学校には行かなくていいんだよ」
「昨日も行かなかったじゃないか。いったい、未来はいつ学校に行くのかね」
「一週間に一回、行けばいいの。今週はあさっての金曜日だよ」
「そんなに休んでばかりいて、大丈夫なのかい?」
「休んでいるんじゃなくて、リモート学習で勉強しているんだよ」
「リモートだかなんだか知らないけど、週に一回しか学校に行かなくて大丈夫なのかね」

リモート学習を何度説明しても、ばあにゃには理解ができないようだった。75歳になっても足腰が丈夫なばあにゃだったが、このところ、なんだか認知症が進んでいるようで、未来は気がかりだった。

ばあにゃは赤く熟したトマトをもぐと、にっこりしながら未来に手渡した。
「これを食べて、早くお行き。学校に遅れるよ」

(続く)


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