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居眠り猫と主治医 ⒎オカンの腕前 連載恋愛小説 

夏目祐の部屋は、なんというか殺風景だった。
分厚い専門書のようなものが目に入る以外、とくに特徴がない。
多忙で、寝に帰ってきているだけなのかもしれない。

「さっさと脱いで」
「あ…はい。お先にいただきます」
さすがに緊張するなと思いながら、人んちのシャワーを借りる。
湯舟につかったわけではなかったが、ほっと一息つけた。

入れ替わりに浴室に入った彼は、いつも以上に仏頂面で完全に嫌われたなと文乃は思った。
「なんでドライヤー使わなかった?」
「時間かかるので」
先生を待たせて風邪を引かせては、元も子もない。
「タオルドライでも、けっこう渇きますよ」

タオルを首にかけたままの祐が近づいてきて、文乃の毛先を指で確かめる。
それから、両肩をつかんでまわれ右をさせた。
浴室に戻れということらしい。

整髪剤のとれた髪や力の抜けた立ち居振る舞いに、変に色気を感じて落ち着かない。
それにひきかえ、鏡に映るのは、なんとも貧相な姿。
すっぴんで借り物のスウェットだと、あどけない中学生みたいだ。

***

祐が冷蔵庫を開けたときに、中身が少し見えた。
作り置きのおかずらしき保存容器が整然と並んでいる。
「すごい…オカンだ…」
「おかん?」
「いや、おふくろ?」

彼女でも母親でもなく本人の手によるものだと聞いて、大いに納得した。
「それで口うるさいんだ…」
「何?」
「いえ。きっちりされてるかただなと」

温めるだけでハンバーグとミネストローネの晩ごはんが完成。
なぜ2人分用意できるのかというと、大容量のミンチで一気に複数のおかずを仕上げるかららしい。まるで別次元の話だ。

「野菜はこまかく切ると、栄養が吸収されやすくなる」
「へえー…」
いったいいつ作るのかと疑問をぶつけると、休みの日に1週間分まとめて
仕込むとのこと。

「もしや早朝ランニングとかしてます?」
イヤミにとられそうになり、文乃はあわてて否定する。
「自己管理できてすごいなと。私なんてダメダメですから」
夕方5時から夜11時まで働いて、帰ってからは昼まで就寝。
小一時間、家事めいたことをして、また出勤。
まったく時間を有効利用できていない。

***

「わ。おいしー。…え、プロですか?プロですね!」
「オカンのプロ?」
ちょっと感動してしまった。
おいしさも一因だが、なにより彼の表情が柔らかくなったから。
笑ってくれたのだと、時間差で気づく。
それだけで泣きそうになり、弱ってんなー、まずいな、と自重する。

親の反対を押し切って好きな仕事を選んだのに、手取りは上がらないし、
パワハラ上司がいるし、雑務に追われてばかりだし。
不満だらけの自分もイヤで、生活全般が雑になっていた。
今の心の糧は、愛しの文鳥サラちゃんと彼女をきっかけに広がったコミュニティの存在。

***

「なんかニヤついてない?」
寝室に案内したあと、祐は気味悪そうに文乃を見た。
「先生と一緒だと、ぐっすり眠れるので」
「ぐっすり、ねえ…」
妙ななつきかたをされた、とボソリ。

(つづく)

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