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【読書日記】小山さんノートワークショップ編『小山さんノート』

小山さんノートワークショップ編(2023):『小山さんノート』エトセトラブックス,286p.,2,400円.
 
以前,『地理科学』で雑誌『エトセトラ』のVol.7の書評を書いた。そこでは,本書の一部とそのワークショップの様子が報じられ,本書刊行の予告もされていた。ということで,翌年に刊行された本書をようやく読むことができた。


はじめに――小山さんノートとワークショップ:登 久希子
小山さんが生きようとしたこと:いちむらみさこ
小山さんノート
 序章 1991年1月5日~2001年1月31日
 第1章 2001年2月2日~4月28日
 第2章 2001年5月7日~8月21日
 第3章 2001年8月22日~2002年1月30日
 第4章 「不思議なノート」2002年9月3日~10月4日
 第5章 2002年10月30日~2003年3月16日
 第6章 2003年7月3日~2004年10月12日
小山さんノートワークショップエッセイ
 小山さんとノートを通じて出会い直す:吉田亜矢子
 決して自分を明け渡さない小山さん:さこうまさこ
 「ルーラ」と踊ること:花崎 攝
 小山さんの手書きの文字:藤本なほ子
 沈黙しているとみなされる者たちの世界:申 知瑛
本書は,かつて東京の公共公園でテント生活をしていて,テントで具合を悪くし,救急車で病院に搬送されたもののなくなってしまった女性が遺した手書きのノートを,彼女を知る2人の女性を中心にパソコンに入力するワークショップによって書籍化したものである。目次を見ても分かるように,関わっているのはおそらくすべて女性である。男性の読者である私は,小山さんは何歳なのか,本書に掲載されたノートは2004年10月で終っているが,いつ亡くなったのか,彼女が過ごした公園はどこで,テントはそのどの辺りにあったのか,彼女が足しげく通った喫茶店や古書店はどこなのか,そういう個別具体的なことを明らかにしたい衝動に駆られてしまう。実際にワークショップのメンバーたちは,小山さんの日常的な足跡を辿るフィールドワークもやっていたというから,彼女たちにとってその辺りの具体的な事柄は明らかになっているのだろう。しかし,そんなことは本書には書き込まれていない。むしろ意図的にその辺りを明らかにしていないように思われる。ある意味で,本書はフェミニズムに貫かれた作品であり,マスキュリニズムへの抵抗だと考える。本書にはワークショップのメンバー7人が文章を寄せているが,この7人がワークショップの全メンバーとは限らないだろう。そして,このメンバーのうち,実在する小山さんを知っているのは2人だけだという。本文中にも小山さんが書き溜めたノートは100冊に及ぶと本人が書いていた。実際に残った80冊をPCに打ち込んだ結果,A4サイズの用紙で659枚分になったという。本書に収録されたノート分は235ページに及ぶがそれでも,「抜粋」(p.10)にすぎない。本書を読む限り,小山さんの文章にはほとんど無駄なところがなく(本文にも書かれているが,彼女は自分のノートを読み直し,場合によっては修正を加えているようだ),編集された方も苦渋の選択でこの分量にしたのだと思う。なお,第4章は「不思議なノート」と題されているが,これはノート1冊分を全て収録しているという。
さて,小山さんノートに入ろう。私たちはホームレスの生活実態をどのくらい知っているだろうか?いや,そもそも他人の生活実態についてはほとんど知るすべはない。自らが日記を公開している場合は断片的に知ることができるが,それは表向きに公開することを前提とした表向きの生活実態であろう。そういう意味でも,日々の生活の様子を,そして人間関係や自身の精神状態を書き記したこのノートは,それこそ『コロンブス航海誌』のような資料的価値を有する文書だと思う。とはいえ,コロンブスの航海日誌がそうであるように,一般的な価値よりも個別具体的な価値だといえる。このノートを通じてホームレス一般を論じられるわけではないし,女性のホームレスとしてありがちな苦難を小山さんは受けているが,それとてホームレス女性一般に当てはまるものでもない。このワークショップに参加された方にもホームレスを経験された(ている)方がいるが,さこうまさこさんの文章のタイトルが示しているように,小山さんノートにはまさに小山さんそのものが刻まれているように思う。私が書評した『エトセトラ』には本書に寄稿した人たちの他にナガノハルさんによる文章が掲載されている。『エトセトラ』では各人の文章が短いこともあり,本書を通読したのとは異なった印象がある。『エトセトラ』では「キラキラ」という小山さんが遺した「手のひらサイズの古布を縄のようにして,周りに銀色の細いテープをくるくると巻き,それを渦巻き状に固定したもの」(『エトセトラ』p.9)と説明され,いくつか写真が掲載されている。『エトセトラ』を読む限りでは,このキラキラが小山さんと他のホームレス女性たちとを結ぶ物理的な絆のような印象を受けるのだが,改めて読んでみると,それを小山さんから直接手渡された人は少なく,実際には遺品として残された多くのキラキラを,小山さんを知らないワークショップのメンバーたちが手書きのノートと一緒に受け取ったということだ。小山さん自身が書くノートには,男性のホームレスや支援団体の人,区役所の職員などは登場するが,自分と同じ立場の女性ホームレスの存在はほとんど描かれていない。登場するのは長年同じテントで暮らしながらも一般的にいえば家庭内暴力的なハラスメントに遭い続け,最終的には亡くなってしまった男性。そして,テント村でかなり支配権を持っていた男性で,この男性は小山さんに事あるごとにちょっかいを出し,特に一緒に暮らしていた男性が亡くなってから,その関与の度合いを強くしようとしていた。ただ,小山さんはこの男性を拒絶し,それ以降男性も関与を強めることはなかった。ともかく,そういう男性との関りがあったせいか,小山さんは極力多くの人とは関わろうとはせず,かなり自分から望んだ形で孤独だった。ただ,一人小山さんが親しみを持って眺めていた人物は一人いて,かなり若いという以上のことは性別も含めて分からないが,常にテント村に住んでいるわけではなく,時折現れるその人物に半ば憧れ,そして積極的に挨拶をしていたようだ。
さて,小山さんノートには日常の些細な行動が事細かに記されていて,小山さんという一人のホームレス女性の特殊な事例ではあるが,ホームレスの生活について垣間見ることができる。まずはお金の収支。この日記は目次にあるように,古いところでは1991年からあるが,本格的には2001~2004年の期間である。私が本格的に音楽ライブに通うようになったのは2005年くらいからだったと思うが,その頃はライブチケットの購入のウェブ化は進んでいたが,まだまだ先行発売とかことあるごとに何月何日の朝何時から予約開始ということで,特定の場所で整理券配布とか,そういうのをやっていた。音楽には限らないと思うが,そういうチケット販売とかそういう関係だと想像するが,行列に代わりに並ぶという単発のアルバイトがあったようだ。小山さんは同居人と一緒に時折くるそのバイトをして,1回2,000円程度の収入を得ていた。そのバイトに関する記載は徐々に減っていくのだが,2度ほどは行政職員の紹介で数日間で数万円というアルバイトもしている。しかし,それは競争率が高いようで,小山さんはたまたま2回とも雇用されたが,テント村の誰もが雇用されるとは限らないようだ。それから,小山さんが一貫して行っているのは古書店通いだ。古書店に売る本の調達をどうしているのかは不明だが,週に1回くらいだろうか,古書店に通って一回数百円のお金を手にしている。その他は同居人に渡されたり,公園で拾ったりしている。小山さんは東京都内のおそらく代々木公園規模の山手線内の公園のテント村で暮らしていたと思われるが,その規模の都心の公園であるからこそ,日々の公園内の散歩がさまざまな物資を獲得することとなっている。小山さんはノートを読む限りにおいて小食である。ホームレスは当然毎日の食糧確保が難しいわけだが,小山さんは必要以上の食糧が入手できたとしてもガツガツ食べるようなことはない。彼女が生きるために必要としているのは煙草とお酒のようだ。とはいえ,お酒は依存症のような飲み方では決してない。動物にとって生命に必要な食糧以上に,嗜好品としての煙草とお酒を必要としている。そのために,公園散策ではいわゆる「シケモク」を拾い,時折出会う瓶に残されたお酒を大切に持ち帰って,大切に消費している。
そして,『エトセトラ』でも論じられていたのが,喫茶店通いである。彼女にとっての喫茶店通いは,彼女の生活の中でわずかな時間だけでもクッションのついた椅子に座れ,暖や寒を取ることができ,何よりも室内空間であり,暖かい一杯のコーヒーを飲むことができる。喫茶店の店員については詳しくは記されていないが,いくつかの店では,常連さんとして丁重に扱われ,「今日は〇時間過ごさせてもらった」とノートに記されていることも多く,先日私が訪れたタリーズコーヒー国分寺店でも「混雑時は90分を目安に」などと書かれているように,長時間滞在を好まない店が多い一方で,小山さんは3時間や4時間過ごさせてもらっており,また本人がそのことのありがたさをしみじみと書き記している。喫茶店で彼女はまさにノートを書いている。このノートは書く一方のものではなく,本人が読み返すものでもある。読書家でもある小山さんだが,当然好きなだけ本を読める環境にはない。だから,自分で書いた文章はおそらくまさに自分が読みたい文章でもあるように思う。こういう書き方はなんだか失礼にもなるような気もするが,小山さんの文体はとても美しく(字も豪快な達筆だ),思想的にも魅力的なものが多い。政治的な発言も時折あり,また本書に収録されたエッセイで申 知瑛さんが書いているが,天皇に対する憧れが記されたりもしている。
このノートの最後の方には「ルーラ」という架空の人物が登場し,ルーラが登場する際の文章はかなり妄想がかっているような印象を受ける。日常生活でも手に入る現金が極端に減ってきて,彼女が必要なのは日に数百円なのだが,それすらも手に入らない状況が続く。読みながら,この本に収録されたノートの残りページが少なくなっていくのを確認しながら,彼女自身の死期が迫ってきていると思わざるをえず,とてもいたたまれない気持ちになる。
このノートはある意味で本当に奇跡のような形で残され,こうして世に出された。小山さんはもちろん,特定の時代を特定の場所で生きた,唯一無二の存在だが,同じように綱渡りのように生をつなぎながら生きている人は世界中に沢山いる。そういう人たちに思いをはせながら,少しでもそうした人たちが救われるような社会を作っていかなければならないと思う。

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