街ゆく服を透かしてみよう
街行く人々を見ていると、ファッションとは何かと考えさせられる。
一瞬目の前を通り過ぎるだけという束の間の邂逅。その連続の中では、やはり奇抜な格好の人が意識に登ってくる。
例えば、ぴえん系とか地雷系とか言われているらしいロリータみたいなふわふわしたやつである。(私の認識が一番ふわふわしている。)
明らかに周りの人々とは異質で、悪く言えば浮いているように見える。そういった格好をしている彼女たちは大抵の場合二人組くらいで行動しているように感じる。
ただ単に類が友を呼んだのか。一人では少し恥ずかしくても、二人ならそれを着て街に出やすいということなのか。はたまた、同じ「カテゴリー」を身につけることでお互いの親密度を確認し合い、また、高めようとしているのか。自分のために着ているのか。相手のために着ているのか。
意識的、無意識的の別はあれど、きっと上記したどれもが理由となって彼女たちに二人揃って同じような格好をさせているのだろう。
さて、もう一方で目を引くのは黒ずくめの若い男たちである。
彼らは全身真っ黒である。
肩から膝下くらいまでひらひらとしたマントのようなものを羽織り、靴もズボンも靴下も真っ黒。背負ったかばんもマスクも漆黒。目をほとんど覆い隠す前髪ももちろん黒い。
ロボット技術も発達してきた昨今。手と耳と頬の上層部以外に彼らが機械では無いという証拠は見つけられない。
こういう男はたいてい一人で歩いている。どこかで社会というものと縁でも切って来たかのように、早足で歩いている。
直感的に、彼らには話しかけられないなと感じる。別に話しかける用事は無いのだけれども、彼らが笑顔で(と言ってもそれを認識することはできないだろうが)「こんにちは」なんて言ってくれるという想像がつかない。
ファッションとは、自分らしさを発揮するためのツールだと思っていた。
しかし、街で目を引く彼らのことを考えると、どうもそれだけにとどまるものではないらしい。
同じ系統に所属する仲間とつながるためだったり、そこに帰依しているという安心感を得るためだったりもするのだろう。
また逆に、どなたもゆめゆめ話しかけてくれるな、煩わしい人間関係に参加させてくれるな、という、その人を取り巻く環境全体に対する意思表示になっていることもあるのだろう。
ファッションはメッセージ。「私はあなたとこうなりたいのよ。」という、ときには意図的な、ときには不慮の自己開示。
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