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【人生最期の食事を求めて】味噌煮込みうどんという名古屋名物の真価。

2023年10月7日(土)
山本屋総本家 本家(愛知県名古屋市中区)

JR「金沢」駅から特急しらさぎに乗り込んだ。
右手に日本海を望みつつ、小松そして加賀を通過した。
荒波が押し寄せる秋の日本海から山間へと突入する。
福井、鯖江、越前を潜り抜け、秋らしからぬ深緑を揺らしながら敦賀を辿り、琵琶湖のきらめく水面が出迎えるJR「米原」駅に滑り込んた。
どこか暗澹とした海が果て、鬱蒼とした山々を抜け、燦然とした湖に抜ける情景のめくるめく変幻は、この国を縦断する贅のひとつである。

「米原」駅は、乗り換えを急ぐ夥しい人々の隊列と交錯が狭い構内や新幹線の入口まで続いている。
国内外の観光客が入り乱れたその連絡口は混沌を極めていたが、新幹線ひかりに乗り換えさえすれば目的地の名古屋までは乗車40分程度だ、と自らに言い聞かせた。

JR「名古屋」駅にはすぐに到着した。
人々の凄まじい往来はどの大都市も同じ光景だが、久方ぶりの名古屋は私の目には東と西の中継地点、文化の交流地点、歴史を動かした中心地点としての不可視の特徴が滲んで見えるような気がした。

混沌の名古屋駅から地下鉄に乗り込み、「栄」駅で降り立った。
晩夏というにはあまりにも遅いものの、心地よい暑気の日差しを浴びながら久屋大通公園を歩いた。
それにしても札幌の大通公園との酷似は指摘されて久しい。
タワーといい、直線的な設計といい、写真だけなら見分けがつけ難い。
しかも一歩、街角の一角に踏み入れるとその猥雑な様相は大なり小なり違えど、放つ空気感はどこも同じだ。

碁盤の目が連なる歩道の目の前に、白皙の巨大な袖看板が仁王立ちするように身構えていた。
達筆な筆文字で描かれたそれは、味噌煮込みうどんの「山本屋総本家」である。

山本屋総本家 本家

1925年(大正14年)に創業のこの店は、味噌とうどんという関係性における独自の探究を重ねてきたことが容易に伺える。
類のない味わいを初めて食した時の驚嘆と衝撃は今でも記憶に蘇るほどだ。

店の前に4人の客が待っていて、さらに店内でも待ち客が椅子に座っている様子が見えた。
土曜日の正午を過ぎた時刻にしては客は少ないほうだろう。
やがて店内に案内され、しばらくして2階席へと案内された。
若年層の客が大勢を占めているようだ。
ともあれ、すぐさま「普通味噌煮込みうどん」(1,265円)を頼むと、
「そばアレルギーはないですか?」とお茶を運んできた女性スタッフに問われた。
そば粉をうち粉に使用しているため、事前に尋ねているようだ。
たしかにそばアレルギーを有する者にとって、うどんを食したつもりでもアナフィラキシー反応が生じたら死活問題になるかもしれない。

普通味噌煮込みうどん(1,265円)

テーブル席に着いて20分程だろうか。
それは煮えたぎる音を立ててテーブルに置かれた。
褐色のスープの只中でうねる野太い麺と揚げ、要所要所にざく切りの葱が散見している。
言うまでもなくまずはスープを啜った。
八丁味噌と白味噌のブレンドが仄かなコクを生み出し、濃厚な中に独特の甘辛さを称えている。
野太い麺はと言えば、まさにこの店の真骨頂であろう。
福岡うどんの対極にあり、讃岐うどんとのコシとも異なり、ラーメンで例えるならば博多ラーメンのハリガネと例えられようか。
けだし、それを癖があると言ってしまえばそれまでだ。
だが、このオリジナリティこそ名古屋という風土、歴史的な背景、地政学的な見地が生み出した固有の食文化に違いない、と麺を深々と噛み締めスープを啜る度毎に、私の額や背中に微熱を感じ、汗が滲み出るのを感じた。
さらに喉の乾きを感じた。
濃厚なスープが水を催促をした。
もちろん、この味噌煮込みうどんを日常的に食べ続けることは地理的に難しいだろう。
しかしこのうどんを完食したら、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三英傑を創出したこの街、長く歴史を動かし栄華を極めたこの街の一端を知ることができるかもしれない、と淡い期待をしながら鍋の奥底のスープの残滓まで飲み干すのだった……。

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