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こてんぱんに負けた後に見えた景色

人生そのものは勝負ではない。でも、その過程で、ある特定のなにかについて、自ら勝負を挑み、その結果として勝ちと負けがはっきりと決まる場面がある。

なんの話をしようとしているかというと。

先日、ブラジリアン柔術の大会に出た。挑んで、負けた。しかも、誰が見ても文句ないくらい明らかに負けた。

わたしは3か月前にブラジリアン柔術を始めた。子どもが習い始め、送り迎えのときにクラスを見学するうち、いつしか私の習い事になった。

40半ばの手習いにしては少々激しいスポーツである。体を動かすことが好きだとはいえ、最近のわたしは細々とジムに通う程度。この数年で真剣に力を出し切ったといえるのは、数年前に参加した5キロ走の大会くらい。

ただ、学生時代に部活で柔道をした経験がある。ブラジリアン柔術とはルールが異なっても根っこは繋がっている。だから、わたしはまったくの初心者ではない、と心のどこかで思っていた。

同じ白帯の中でなら、戦える。なんなら勝てる。正直に言うと、ちょっと自信があった。

試合当日。自分の番が来て、マットに立つ。対戦相手として現れたのは、15歳年下の女性。体重別の同じカテゴリーなので、背格好はわたしとさほど変わらない。髪を青色に染めていて、可愛らしい雰囲気があったが、表情はきゅっと引き締まっていて、隙のなさを漂わせている。

レフリーの「始め」の合図と共に、戦いのスイッチが入る。組み手を取ったら足を払って、相手を倒す。そこからサイドコントロール。その先にいけそうなら、ニーオンベリーからマウントポジションへ。何度もイメージしてきたシナリオを再現しようと挑んだ。

ところが、相手に掴まれた組み手が思いのほか重い。グリップが固く、力が強い。こちらも組み手を取ろうとするも、なかなかうまく取れない。足を払うも、相手は倒れない。頭の中でイメージしてきた相手よりも強い、と直感的に思った。内心焦りが出る。

落ち着け、落ち着け。今までやってきたことと同じことをするだけ。

やっと足払いが効き、相手を倒した。テイクダウンで2点とった。だが、相手と一緒にもつれるように倒れ込み、相手のクローズドガードにはまる。さあ、これから寝技の戦い。相手のガードから脱しようとするが、掴まれた袖のグリップが強くてほどけない。足からのプレッシャーも強くて抜けられない。そうこうしているうちにひっくり返され、今度は私が下になる。守りを固めているうちに相手は次から次へと技を出してくる。

気が付いたらフットロック(足首の関節技)を狙われている。やばい。もう一本の足で、相手の腕を力いっぱい押しのけ、なんとか脱した。いつもより早く息が切れる。まだ始まったばかりなのに?

私はますます守りに徹する。外野からはコーチの「立て、立て!」「相手の方を向け!」という大きな声が飛んでくる。立てるなら立ちたい、相手の膝あたりをがしっと掴んで相手に向き直り、攻撃に切り替えたい。でも手に力が入らない。そうしている間も、相手の攻撃はやまない。わたしは最悪のシナリオを避けるための防御に忙殺されて、積極的な手が何一つとして打てない。そしてあっという間に5分が過ぎた。私はポイントで相手に負けた。

レフリーが相手の腕を高々と持ち上げ、決した勝敗を宣言するのを横目で見ながら、わたしが最初に思ったことは、「こんなはずじゃなかった」ということ。

もっとやれたはず。なぜできなかったんだろう。にわかにはわからなくて、私は動揺した。何もできなかったという思いが、大雨の後の濁流のようにどっと押し寄せてきて、わたしの心をかき乱した。

私は負けたくなかった負けたくないという気持ちが、相手の強さの前で、わたしを守りに走らせた。最大の守りは攻撃であることを忘れて、守りに徹してしまった。

「負けて悔しい」なんていうシンプルな言葉では言い表せない気持ちだった。初めての試合だから、こんなものだよ、挑戦しただけすごいよ、という励ましの言葉は、真っ当な響きがしたけれど、そんな心地良い言葉では気持ちを切り替えられそうになかった。心が晴れないままその日が終わり、 わたしは心が晴れない理由を考え続けた。そして分かったことがある。

わたしは負けたことが悔しいんじゃない。負けることを、戦いながら受け入れてしまった自分が許せないのだ。そして、そのことに気付いてしまって、周りには誤魔化せても、自分にはどうしても誤魔化しようがなくて、立ち尽くしている。これが、いまのわたしだということ。

3か月の前の私は、柔術をやってみたいという思いを持ちながら、一方で躊躇していた。始める決め手になったのは、子どもたちに続いて夫が入会したとき、ジムのキャンペーンとして、家族で4人目にわたしが入会した場合、無料でクラスを受けられるということを知ったからだ。無料に弱いというしょうもない理由で一歩を踏み出した。

最初の1か月は、実はそれほど熱中していたわけではない。せっかく始めたのだから暫くは続けてみようという気持ちで、半ば自分を奮い立たせながら通っていた。

温度が変わったのは、2か月を過ぎたころ。チームメートの女性が試合に出ることになり、わたしはジムで数少ない女性の練習相手として、頻度を上げて通うようになった。

格上の相手と頻繁にスパーリングすることで、わたしは確実に力をつけた。相手は柔術歴3年、25歳の青帯保持者。最初は圧倒的にやられるばかりだった。もっとよく戦うためにわたしがまずやったことは、相手の戦い方を徹底的に真似ること。構えや姿勢から、攻撃を繰り出すパターン、それを防ぐテクニックまで。そして、自分がよくやられる展開を振り返り、それをどうすれば防げるのか。一つ一つ穴を塞いでいくように、戦い方を学んでいった。

この練習を来る日も来る日も繰り返していると、ある時から、やられるばかりではなく、何回かに一度はやり返すことができるようになった。そして柔術を始めて3か月になると、習ってきた技の一つ一つが有機的に繋がり始めた。点が線になり、スピードのついた流れに変わっていく。そして、相手の動きに応じて技を繰り出せるようになり、わたしの戦闘能力は一段上がったように感じた。

こうした流れの中での今回の試合だったのだ。

一番避けようとしていた負けよりもっと後味が悪いのは、やるべきことをやれずに終わってしまうことだった。そんなこと最初から知っていたし、これまでに似たような経験をしたことだってある。でも、今回改めて経験してみて、ああそうだったと気がついた。

言葉で理解していることと、実際にわかってそれを行動に移すことの間には一定の差がある。このことは、柔術以外にも同じことが言えそうだ。わたしは学びたい。今回のこのコテンパンな負けから、ちゃんと教訓を得て、次はもっと良く戦えるようになりたい。

ここまで考えて、わたしはようやく自分の不甲斐なさを責めるのをやめた。自分を責めても、この経験から学びを汲み取ることはできないから。まずは挑戦したこと、一歩踏み出した自分を認めることが出発点。柔術歴3か月のわたしが、初心者マークをつけて大会に出て、柔術歴2年の、15歳も若い相手とやり合ったのだ。考えてみたら、この状況で勝てると思ったわたしの楽観主義にむしろ拍手してほしいくらいである。

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