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めぐり逢い[短編小説?エッセイ?]



1984年2月19日(日)
NHKホールへ僕は、妹が行くはずだったライブへ来ている。
元々、僕が好きなアーティストだったが今では妹の方が熱烈なファンとなっていた。
妹は、一昨日から高熱が出て病院で診察を受けると高熱の原因はインフルエンザ感染によるものだった。
本当は何があっても行きたかったはずだ。
さすがにこの状況で無理だ。
チケットを無駄にしないために僕がライブへ行くことにした。
1年くらい前にファンクラブの入って、ファンクラブのライブチケットの先行販売で購入して妹にとって初めてのライブ観戦となるはずだった。
僕は、何年もこのアーティストのライブには来ていない。
このアーティストに限らずこの数年ライブには来ていない。
僕がこのアーティストのライブに行ったのはまだ北海道の帯広に住んでいたころで高校生だった時に2回行ったことがあった。
当時はチケットは容易に手に入れられた。
それ以降は、レコードを聴くだけでライブには行っていない。
理由は、いくつかあるがこのところライブのチケットが手に入りづらくなっていること。
個人的な理由では、金銭的にそうそうライブを観戦するゆとりがなくなったことだ。
チケットが取りづらくなっていたこのライブを妹は楽しみにしていたのだ。
5つ歳下の妹がこのアーティストのファンになったのは2年くらい前で北海道から出て上京してからだ。
すでにこの頃には、チケットが容易に手にすることが出来なくなっていた。
そしてライブに行けなくなったその落胆ぶりは、目にして可哀そうというしかなかった。
僕は、そんな妹からチケットを買って、ライブ会場で欲しがっていたグッズのいくつかを買ってあげることにした。
開場時間より2時間も早くに並んだ。
開演時間前にグッズの購入を済まそうと思っていたからだ。
開場して、妹の為にTシャツとバスタオルを購入した。
席に着いたのは開演の10分ほど前だった。
周りの席はほとんど埋まっていたが僕の右隣りの席が空いていた。
開演時刻のギリギリになって右隣りの席の人が来た。
ロングのソバージュヘアの女性だった。
年齢は、僕とそう変わらないように見えた。
彼女が席に着いたと同時くらいライブが始まった。
ライブが終わり一斉に立ち上がる中、僕は座っていた。
右隣りの彼女も座ったままだった。
僕は思い切って声をかけた。
「おひとりですか」と声をかけるのに頭の中に浮かんだ言葉はこれだけだった。
彼女は、突然見知らぬ人から声をかけられて「ええ」としか言えなかったようだ。
僕は、会話を続けるため頭の中で必死に言葉を探した。
「良かったですね」と言うと彼女はまた「ええ」とだけ言った。
僕は普段あまり女性と会話することをしないせいか言葉が浮かばない。
だから、正直に「普段、あまり女性と会話しないので言葉が浮かばす、間の抜けたことしか浮かばないけど、あなたに思い切って声をかけました。迷惑だったらすみませんでした」と言うと彼女はくすっと笑った。
「ライブ、良かったですね」と彼女が言った。
「本当に良かった。4年ぶりくらいに来たんですよ。この前来たライブは北海道の帯広市民会館で高校3年の時で」と言うと彼女は「北海道からライブに来られたのですか?」と言った。
「いいえ、今はこっちで暮らしています」と答えた。
「福岡から来たんです。今回ツアーで福岡県内や近隣でのライブチケット取れず、今日のチケットをやっと取れて」と彼女が言った。
そのあと出口付近の人混みが落ち着くまでの僅かな時間だったがふたりは席に座ったまま話しをした。
僕は、妹が来るはずだったが来れなくなったことを話し、彼女も今回のツアーで地元での開催のチケットが取れず初めて県外の会場へ来て偶然の積み重ねで会うことが出来たんですねと言うこと言った。
僕は、こんな偶然は滅多あることでないので文通をしませんかと言うと彼女もそれに同意してくれた。
僕はボールペンを持っていたのでお互いの住所をチケットの半券に書いた。
僕は原宿駅から山手線で池袋駅で西武池袋線に乗り換えて家に帰る。
彼女は、渋谷駅から山手線で品川駅で降りて、品川のビジネスホテルを泊まり、朝早い便で羽田から福岡へ帰る。
NHKホールを出たところで帰る方向が違ったので、そこで別れた。

数日後、仕事を終え帰宅すると彼女からの手紙が届いていた。
僕もすぐに返事の手紙を書いて送った。
文通を始めて、半年が過ぎた頃、彼女が2泊3日の予定で東京へ来ることになった。1泊目は、都心のホテルに2泊目は僕の家に泊まることになった。
お互いに恋愛感情も芽生え、結婚することも視野に入って来た。
その翌年のGWには、僕が福岡へ2泊3日で福岡へ赴いた。
3年文通をして、遠距離恋愛をしていたが、一方的に彼女から別れを告げられた。
彼女自身の問題で終わりにして欲しいとのことだった。
僕は、彼女の意思が変わらないことを悟って、それを受け入れしかなかった。
彼女を失った喪失感は、僕にかなりのダメージを与えた。
その後、炎を炎で消すようにいくつもの恋愛を繰り返したがいつも彼女のことが心の片隅に残っていた。
一方的に別れを告げられてから、10年以上が過ぎ、その間にスキルアップのためいくつか転職をした。
僕は、年間の大半が出張であっちこっちへ行き、賃貸で借りているアパートの部屋には2ヶ月以上帰ることも出来ず、家財道具はレンタルボックスに預け、住民票を埼玉県所沢市に住んでいる両親のところに移して、郵便物などはそこに届けられるようにした。
僕は、長期出張で2ヶ月間福岡市内のホテルに滞在することになった。
1ヶ月くらいしたところで、“彼女”の実家に手紙を送った。
もうあれから10年も経過しているので結婚しているかも知れないし、結婚していなくても実家から出ているかの知れないと思いながら半分は返事は帰って来ないかも知れないと思いながら手紙を送った。
福岡での仕事も終わりが近づき、あと福岡での滞在が1週間を切った時、ホテルに彼女からの手紙が届いた。
彼女から手紙は、返事を出すに迷ったが返事を出さないことで後悔すると思って返事を書くことにしたこと、まだ独身で実家にいることが書かれいた。そして、福岡から離れる前に会いたいとのことだった。
まだ僕は、彼女の実家の電話番号は知っていたが、彼女は遅くても19:00以降なら間違いなく帰宅しているので電話をかけて下さいと電話番号を書いてあった。
僕は、彼女の実家に電話をして、数日後に会うことにした。
そして、再び交際することになり、僕は福岡に引っ越し結婚した。
結婚して、いつの間にか25年以上経ち、ふたりとも還暦を過ぎてしまっていた。
今思い返すとこれが運命っていうものなのかとふと思った。


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