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原典に忠実でないことへの不満と、英語と米語の違いへの悩み|新保博久⇔法月綸太郎・死体置場で待ち合わせ【第7回】

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〈都筑道夫のハーン翻訳批評〉
平井呈一訳への苦言。その根底にあったのはなにか?

【第十九信】
新保博久→法月綸太郎
/「藪の中」から「茶碗の中」の方へ

法月綸太郎のりづきりんたろうさま

 今回は、何からお話ししましょうか。
 芥川龍之介あくたがわりゅうのすけも罹患したというスペイン風邪――病名に国や地域名を冠するのは、その土地への憎悪を煽りかねないのが困るところです。「トランプ前大統領は新型コロナウイルス感染症についてしつこく「中国ウイルス」と言い続けていたけれども、ならばまずはスペイン風邪を「アメリカ風邪」と訂正してからにしろよ、と言いたく」(『文豪と感染症 100年前のスペイン風邪はどう書かれたのか』編者あとがき「おわりに」、二〇二一年、朝日文庫)なるのは永江朗ながえあきら氏ばかりではないでしょう。

「いまのところアメリカ中西部の兵営で発生したインフルエンザが、世界に拡がったものと見られている」(速水融はやみあきら『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』二〇〇六年、藤原書店)のですから。「スペインにとって不運だったのは、他のヨーロッパ主要国が(第一次世界大戦の)交戦中で、どの政府も自国でインフルエンザが流行していることを発表しなかったのに、中立国なるが故に、流行の状態が世界に知れ渡ったことである」(前掲書)といいます。しかしまあ、そういう知識がなく発生源を誤認していたとしても、百年後の今日それゆえにスペインを非難する人もいますまいから、すでに日本の歴史用語として定着しているスペイン風邪の名称を改めるのも混乱するので、ここではスペイン風邪という表現にしたがいます。

 ミステリに直接絡む話題としては、〈ファントマ・シリーズ〉の共作者ピエール・スヴェストルが一九一四年、シリーズ三十二巻を完成したところでスペイン風邪に斃れたことが挙げられましょう。残されたマルセル・アランが単独で十一巻を追加しましたが、日本では久生十蘭ひさおじゅうらんらによってシリーズの初期三巻だけが入れ替わり立ち替わり(一巻の前半だけだったり、二冊分が一冊に圧縮されたり)刊行された程度です。まもなく初めて邦訳されるという第五巻『ファントマと囚われの王』(一九一一年。国書刊行会)が十蘭自身の小説『魔都』(一九三八年完結。創元推理文庫)のインスパイア源の一つといわれるものの、日本ミステリに及ぼした影響は微々たるものです。

 あるいは、スペイン風邪のミステリ界への最大の〝貢献〟は、ダシール・ハメットが感染したことかもしれません。浮気性のせいか二十歳以来、淋病にかかってばかりいたハメットは、陸軍に入隊中の一九一八年にスペイン風邪に罹患、結核も併発して除隊処分になりました。ピンカートン探偵社に復職しても、治りきらない病気のため職務に耐えず、入院中に知り合ったナースと最初の結婚、娘も生まれて収入を得る必要上、肉体的には軽作業に属する文筆の道に入ったようです。スペイン風邪にかからなければ、ハードボイルド作家ハメットは誕生しなかったと言ったら、こじつけにすぎるでしょうか。

 ハメットと同じ一八九四年に生まれた江戸川乱歩えどがわらんぽは記録魔と呼ばれたほど巨細な記録を遺しましたが、欧州大戦は対岸の火事で、スペイン風邪にはまったく言及していません。そもそも探偵小説壇が形成されるのが一九二三年に乱歩が作家デビューして以降なので、日本ミステリ界とスペイン風邪との関係が云々されることもありませんでした。乱歩が日本の誇り得る探偵小説」(一九二五年。光文社文庫版江戸川乱歩全集第24巻『悪人志願』所収)と絶賛した谷崎潤一郎たにざきじゅんいちろうの「途上」(一九二〇年。光文社文庫『探偵くらぶ 白昼鬼語』などに収録)が、前掲『文豪と感染症』や、シリーズ紙礫14『文豪たちのスペイン風邪』(二〇二一年、皓星社)といったアンソロジーに収録されるまで、犯人が妻を死に追い込もうとして利用する感冒がスペイン風邪だったとは、私もおよそ気づかなかったものです(スペイン風邪という名称も出てきません)。その流行性感冒がなかったとしたら、犯人はまた別な手段でプロバビリティの犯罪を試みたのでしょうけれども。乱歩が谷崎と同じく本邦探偵小説の先覚者と位置づけた画家・小説家の村山槐多むらやまかいたが一九一九年に夭折したのもスペイン風邪であったことを思えば、パンデミックの影響は昨今ほどではないとしても、ミステリ界も完全に無縁ではなかったくらい猖獗をきわめていたようです。しかし、この話題はあまり発展性がありませんね。

 平井呈一ひらいていいち氏の訳業について、法月さんが引用なさった都筑道夫つづきみちお氏による批判の尻馬に乗るみたいですが、私も別な角度からちょっと物申したいことがあります。浅羽莢子あさばさやこさんがD・L・セイヤーズの『ナイン・テイラーズ』(創元推理文庫)を訳していた一九九七年ごろ、先駆者だった平井訳に触れて、「一つの英単語から、さまざまな日本語を連想してゆく力は目覚ましい」としながら、しかし「原文に即しているかどうかは疑問がある」といった意見を聴かされた憶えがあります。亡くなった浅羽氏のご意見を伺うことはもうできない以上、おぼろな記憶でも書き残しておきたいと思ったまでで、そちらの驥尾に付そうというわけでもありません。

 平井氏の小泉八雲こいずみやくも作品の訳を「いかにも意に満たぬ箇所がままあった」と批判する平川祐弘ひらかわすけひろ氏の近年の訳しぶりもまた、都筑氏からは批判を免れません。平川訳「むじな」の冒頭が、「東京の赤坂には紀伊国坂きのくにざかという坂がある。その坂道がなぜこう呼ばれるのかそのわけは知らない」(平川編・小泉八雲名作選集1『怪談・奇談』一九九〇年、講談社学術文庫。個人完訳小泉八雲コレクション『骨董・怪談』二〇一四年、河出書房新社もルビの配置を除いて同じ)となっているのに『都筑道夫のドクホリデイ』(二〇〇九年、フリースタイル)では疑問が呈されています。最近円城塔えんじょうとう氏が直訳した「ムジナ」(『怪談』二〇二二年、KADOKAWA)では同じ箇所が、「トーキョーのアカサカ街には、キイ地方の坂という意味で、キイ・ノ・クニ・ザカと呼ばれる坂がある。キイ地方の坂と呼ばれる理由をわたしは知らない」となっていました。平川氏がwhich means the Slope of the Province of Kii という箇所を省略したのを都筑氏は難じているのですが、「日本の読者には不要の原注は略し代りに訳者注を付した」(『怪談・奇談』はしがき)という方針が本文にも及んでいるようで、確かに感心できません。もちろん平井呈一氏の「むじな」では飛ばさずに訳され、「訳者注――赤坂紀の国坂上、もとの東宮御所のあるところは、江戸時代に紀州侯の藩邸があったところなので、その名があるのである」(小泉八雲作品集第十巻、一九六五年、恒文社)と割註で書き添えられていて、この箇所に関しては都筑氏も平井氏の訳出態度を支持したことでしょう。

 しかし「むじな」「耳なし芳一の話」と並んで八雲怪談のよく知られたベスト3の一角を占める「雪おんな」の平井訳には、私も批判的にならざるを得ません。クライマックス、巳之吉みのきちに嫁いで子供までなしたお雪が正体を顕わす場面、「それはわたしじゃ。……ママこのわたしじゃ。お雪じゃ。あのとき、ひとことでもしゃべれば命をとるとかたがた言うておいた」(引用は、井上雅彦いのうえまさひこ監修『雪女のキス 異形コレクション綺賓館Ⅱ』二〇〇〇年、カッパ・ノベルスによる)と、お雪は言い放つ。凄んでいますが、訳文でどう演出するかは訳者の裁量とはいえ、お雪と自称するのがよろしくない。江戸学の泰斗・三田村鳶魚みたむらえんぎょの受け売りながら、「自分の名におの字をつけていうたわけがあったもんじゃない」(『大衆文芸評判記』一九三三年原刊、中公文庫)はずです。原文でも単にYuki で、地の文でしかO-Yuki とは言っていません。平川祐弘氏の「雪女」も、講談社学術文庫版でこそ「お雪」ですが(凄んではいない)、河出書房新社版では「雪」に改めています。私も小学生時代に初めて触れた偕成社版の平井呈一訳が刷り込まれてはおりますが、このせりふは「それは、わたし――わたし――わたしなのだ! ユキだ! それについて一言でも口をひらけばお前を殺すと言ったはず!」(円城塔訳)ぐらいのほうが、人間の男とは添い遂げられない妖怪の哀しみが伝わってくるような気が今ではするのです。

 さらに、『怪談』(一九〇四年)に先んじて幽霊譚を多く収めた『骨董』(一九〇二年)において、「茶碗の中」の前に置かれて巻頭を飾った「幽霊滝の伝説」では、大工の女房が肝試しの賭けに勝つため幽霊滝の祠から賽銭箱を持ち去ろうとしたとき、人外の声で“Oi! O-Katsu-San!” と呼びかけられるのが、平井呈一氏は恒文社版では「おい、お勝さん」と漢字を宛てた以外はほぼそのままにしているのに、偕成社版では「おい、お勝」と呼び捨てにして凄みを利かせたものです。原文を離れてでも、作為的に読者を怖がらせようとしたのではないでしょうか。

 なお、都筑氏もこの点は「学術文庫の名にふさわしい好企画」だと称揚しているように、『怪談・奇談』には八雲が依拠した原話が判明している限り古文で収録されていますが、本編の原話だという平垣霜月ひらがきそうげつ「幽霊瀧」(一九〇一年)では大工の女房というだけで名前はなく、滝からの声が「おかッさん」と呼びかけるのに触発されて八雲は勝と命名したらしい。「おかッさん」は霜月によれば「他人の女房」を意味する方言だそうですが(おかみさん?)、あるいはお方様の転訛で、「幽霊瀧」の舞台は松江のほうですが、法月さんはそういう方言をご存じでしょうか?

 都筑氏はさらに八雲の短編‘Of a Promise Kept’ は明らかに『雨月物語』の「菊花のちぎり」のリライトなのに、講談社学術文庫版では「原拠」を収録せず、解説にも言及がないことについて嫌みを記していますが、原話があまりにもポピュラー且つ長すぎるために見送られた、あるいは上田秋成うえだあきなりが元にした中国の白話小説『古今小説』巻第十六「范巨卿雞黍死生交はんきょけいけいしょしせいのまじわり」まで遡るか、判断を保留した結果かもしれません。いずれにせよ、解説でまったく触れないのは手落ちでしょう。そのこと以上に都筑氏が苦言を呈しているのは、同編が次の「破られた約束」Of a Promise Broken と対句的題名になっているのに、「守られた約束」としないで秋成の題名を用いていることです。学術文庫版はほかにも「興義こうぎ和尚のはなし」を「夢応の鯉魚」と秋成に戻していて、解説で無視していても『雨月物語』由来であることに気づいてないわけではないぞと、衣の下の鎧をちらつかせたかったのでしょうか。もっと原著者の意を汲むべきだという都筑氏の指摘を、法月さんは「翻訳者/雑誌編集者だった都筑道夫の面目躍如と思う」とおっしゃっていますが、翻訳者でも雑誌編集者でもない私も学術文庫版の改題は気に入りません。

「破られた約束」といえば阿刀田高あとうだたかし氏が『恐怖コレクション』(一九八二年、新潮社→同文庫)で、八雲怪談のなかで最も不気味なものではないかと紹介しています。この短編の結びは、「「これは、ひどい話だ」とわたし(八雲)は、この話をしてくれた友人にむかっていった。「この死人の復讐は――もしやるなら――男にむかってやるべきだ」「男はみなそう考えます」「しかし、それは女の感じ方ではありません」」一行あけて、「彼の言うとおりであった」(上田和夫えいだかずお訳『小泉八雲集』一九七五年、新潮文庫)となっています(この一行アキが利いているので、無視しているほかの訳はその点でもダメでしょう)が、阿刀田氏は「どこの出版社の本か思い出せないが」、「右の引用の部分の〝友人〟が〝妻〟になり、〝彼〟が〝彼女〟になって」いる「異本ヴァリアントを見た記憶がある」そうで、「私にはこの異本の記述のほうが、ずっと深みがあるように思える」、「むしろ〝絶対そうでなくてはならない〟とさえ思う」のです。〝妻〟とはもちろん実際のハーン夫人であった小泉節子せつこ、〝友人〟というのは、別な短編「悪因縁」で「東洋思想の迷路をいつもうまく案内してくれる一友人」(上田和夫訳)と同一人物でしょう。この友人が誰なのかはハーン研究家の間では判明しているのかもしれませんが、「守られた約束」「破られた約束」が並んで収められた『日本雑記』(一九〇一年)は一九〇四年に死去した八雲にとって晩年の著作なので、少なくとも八雲自身の手で異本が作られる余裕はなかったはずで、阿刀田氏のは、八雲に多くの材料を提供したのが節子夫人だという知識から生まれた模造記憶ではないでしょうか。

「茶碗の中」もそうですが、遠田勝とおだまさる氏の『〈転生〉する物語――小泉八雲「怪談」の世界』(二〇一一年、新曜社)によれば、「作者が作中に顔を出し、自分の書いている物語を茶化したり、批評を加えたりするのは、(ドイツの)ロマン派作家の愛好した、いわゆるロマンティック・アイロニー」というそうで、「ハーンが時折りおこなう、こうした物語の末尾や途中での作者の登場と批評の書き入れは、実をいえば、日本の研究者の間ではあまり評判がよくない」らしい。この本の主要部分は、平川編の『怪談・奇談』にも「原拠」が収められていない「雪おんな」の、原話と見なされたことも一時期あった「白馬岳の雪女」が実は、八雲作品から逆算的に翻案された模造民話であって、「雪おんな」は八雲のほとんどオリジナル作品だった蓋然性が高いと説いてゆくことで、月並みな言い方をすれば推理小説を読むように面白い。本書が出たとき私は日本推理作家協会賞の評論その他の部門の予選委員を離れて本選のほうにシフトしていたのですが、もしまだ予選に携わっていて出版に気づいていれば、協会賞の候補ぐらいには残せたかもしれず、惜しいことをしたと思うくらいです。

 などと言っているうちに紙数がいっぱいになってきたので、大急ぎ、先の第十八信でのお訊ねに答えておきましょう。都筑道夫氏の「怪談」という題名の怪談ショート・ショートを収めた書籍内連作「即席世界名作文庫」(『悪夢図鑑』一九七三年、桃源社→角川文庫『感傷的対話』所収)は、岩波文庫の「読書子に寄す」をパロディにした刊行の辞にあるように、「世界不朽の名作をその長さと内容より解放して、似ても似つかぬショート・ショートとなさしめ」たもので、お題拝借のコーナーとなっています。全二十六巻・別巻二のうち、第二十巻ポオ集「黒猫」や別巻ストックトン集「女か虎か」ウールリッチ集「晩餐後の物語」のように原典を踏まえたパロディであるのは例外で、「大いなる遺産」「武器よさらば」といった題名がつけられなくもない・・・・・・・・・内容のショート・ショート(これら二編はたまたま、一九六二年の短編集『いじわるな花束』から『悪夢図鑑』に再録されるさい出来が「気に入らない」として棄てられた、戸田和光とだかずみつ氏の一大労作「都筑道夫 ショートショート初出誌リスト(試供品版)」にも載っていない幻の作品ですが)・コレクションでした。第二十二巻ハーン集に編入された「怪談」もその例に漏れず、氏のハーン観を窺うにはあいにく役に立ちません。

二〇二三年五月十五日


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【第二十信】
法月綸太郎→新保博久
/英語と米語のギャップについて

新保博久しんぽひろひささま

 スペイン風邪という通称が推奨されないのは、新保さんのご指摘通りでした。混乱を避けるため、本信でも引き続きその表記を用いますが、なるべく誤解を招かないように気を配りましょう。

 さて、さる五月十一日、飯田橋の角川本社ビルで第七十六回日本推理作家協会賞の選考会が行われ、私も「短編部門、評論・研究部門」の選考委員として久しぶりに上京。コロナ禍の折、過去三回の選考会はリモートで参加していましたが、今回で四年の任期が明けるので、不義理を重ねたお詫びも兼ねてリアル出席に踏み切ったわけです。

 選考結果はすでにご存じでしょう。この往復書簡との関わりでいえば、第十七信で名前の出た日暮雅通ひぐらしまさみち氏の『シャーロック・ホームズ・バイブル 永遠の名探偵をめぐる170年の物語』(早川書房)が「評論・研究部門」の受賞作となりましたが、この本に書かれているように、ホームズの生みの親であるコナン・ドイルもスペイン風邪によって家族を亡くしています。第2部9章「家族の死と心霊主義への深入り」によれば、「同じ一九一六年、ルイーズとの長男であるキングズリーが、ソンムの戦いで重傷を負い、帰国した。体調は徐々に回復していたのだが、一九一八年一〇月にインフルエンザで亡くなってしまう。これは一般に『スペイン風邪』と呼ばれているもので、一九一八年三月に始まり、世界的なパンデミックとなった。そして翌一九一九年二月には、弟イネスがインフルエンザ・パンデミックの第三波のさなかに、肺炎で亡くなった」というのです。

 相次ぐ家族の死のせいでドイルが心霊主義運動に走ったという俗説に対して、日暮氏は慎重な態度を崩していませんが、第一次世界大戦とスペイン風邪の流行がホームズ物語の作者の晩年に大きな影響を与えたことは否定できない。これもまた、パンデミックがミステリ界に残した傷跡の一つだと思います。

 スペイン風邪の話はこれぐらいにして、もう一つ今年の協会賞に関連する話題をメモしておきましょう。受賞を逸した「評論・研究部門」候補作、小林淳こばやしあつし氏の『東宝空想特撮映画 轟く 1954 ― 1984』(アルファベータブックス)の中に、やはり第十七信で言及された小林正樹こばやしまさき監督の映画「怪談」を論じたセクションがありました。「東宝空想特撮映画のカテゴリーに含まれるのか否か、さまざまな意見が出て、おそらくは〈否〉が大勢を占めるであろうが、詳述しておきたい作品がある」という挑発的な書き出しが目を引きます。

 オムニバスの第四話「茶碗の中」についても、あらすじにほぼ一頁を費やす念の入れようですが、著者の関心は音楽音響を担当した武満徹たけみつとおるに向けられているようで、「彼は映画音楽分野でも輝かしい足跡を遺したが、『怪談』はそのなかでも最高峰の位置に据えられる」とあります。特に「茶碗の中」の山場となる音楽演出を書き起こしながら、「武満は日常の非現実を聴覚から表し、武士と異界からの訪問者の殺陣を古典芸能に近い意匠に近づけてみせた。三味線と文楽の節が映像を揺さぶり、昂揚させ、ドラマを牽引する。邦楽の様式が作劇の要をつとめる」と評しているのが印象に残りました。

 そういえば、選考会には〝中野のお父さん〟こと北村薫きたむらかおる氏も出席されていたのですが、選考終了直後に所用で退席されてしまいました。せっかく上京したのに、芥川龍之介と「藪の中」について話を聞く機会を逃してしまったのが心残りです。


 そんなこんなで、またしても前置きが長くなりました。ここからやっと本題です。まず「破られた約束」の結びのくだり、実は私も阿刀田高氏と似たような記憶があり、まさかと思いながら手近にある小泉八雲の本を確認したところ、上田和夫訳の新潮文庫版はもちろん、田代三千稔たしろみちとし訳の角川文庫版『怪談・奇談』所収の「破約」でも、ラストは「友人」「彼」となっているではありませんか! どうやら自分も模造記憶に囚われていたらしい。そう思い知らされて愕然としたことを、とりあえずご報告いたします(追記・二〇〇四年にちくま文庫から刊行された池田雅之いけだまさゆき編訳『妖怪・妖精譚 小泉八雲コレクション』所収の「破られた約束」では、問題の結語部分がカットされていました)。

 ――と、ここまでならよくある思い込みでけりがついたかもしれません。ところが、念のためネットで検索してみると、二〇〇四年六月、京都外国語大学付属図書館で催された「二人の偉大な日本紹介者 ハーンとモラエス」(ラフカディオ・ハーン没後100年並びにヴェンセスラウ・デ・モラエス生誕150年記念稀覯書展示会)という企画展が引っかかったのです。デジタル展示目録に転載された「(8)A Japanese miscellany『日本雑録』」のキャプションには、「『破約』は夫人セツが語った出雲いずもの怪談で」とあり、「終りの対話」部分についても「(ここではセツはハーンの男の友人となっている。)」と明記されています。具体的な典拠が示されていないので確言できませんが、京都外大図書館の展示目録ですからそれ相応の裏付けがあるはずです。ひょっとしたら、英米の読者が読むことを意識してハーンが友人の男性の話と書き換えたのかもしれません。

 そういえば第五信で、新保さんが「ところで最近、角川文庫の新版で『告げ口心臓』を読み返してみて、犯人の語りが女の子の口調で訳されているのに驚いたものです」「男か女かがミステリの仕掛けに影響するわけでないとはいえ、作品の印象はずいぶん変わります」と書いていたことが頭をよぎりました。仮に「破られた約束」のセツ夫人エンドが阿刀田氏(や私)の模造記憶だったとしても、性別錯覚トリックに通じるようなジェンダー・バイアスが作用しているわけで、それこそ大学の紀要などでアカデミックな分析が行われていてもおかしくはないでしょう。

「幽霊滝の伝説」のお勝さんという命名に関する議論も、恥ずかしながら今までまったく知りませんでした。「おかッさん」が「他人の女房」を意味する方言だというのも初耳です(「おッかさん」なら芥川の「杜子春」になりますが)。実在の「幽霊滝」は松江市から近いといっても鳥取(伯耆国ほうきのくに)にあるので、私が生まれ育った土地の言葉とは少し違うようです。鳥取県米子市出身の桜庭一樹さくらばかずき氏(二〇一二年の第九回ミステリーズ!新人賞の選考会でご一緒しましたね。近田鳶迩ちかだえんじ氏の「かんがえるひとになりかけ」が受賞した回です)ならご存じかもしれません。

 そうこうしているうちに、東京創元社から最新刊の『迷いの谷 平井呈一怪談翻訳集成』(創元推理文庫)を発売前にご恵送いただきました。新保さんのお口添えによるものだそうで、いつもお世話になってばかり、この場を借りてお礼を申し上げます。

 平井呈一についてはあまり深入りしないつもりでしたが、「ラフカディオ・ハーンの怪奇文学講義」が収録されているとなると、そうも言ってはいられません。「『モンク・ルイス』と恐怖怪奇派」「小説における超自然の価値」の二編で、特に後者はポーの「アッシャー家の壊滅(崩壊)」やルイス・キャロルの〈アリス二部作〉への言及もあり、比較文学的な視点も含めて非常にレベルが高い。一九〇三年に東京帝大がハーンを解雇した際、学生たちが留任運動を起こしたというのも納得の講義内容です。自ら英訳したゴーティエ作品にもしっかり触れていて、傑作と見なしている「死せる恋人」というのは、第十八信で少しだけ言及した「クラリモンド」のことですね。

 巻末の「解題」によると、中学時代からハーンの『怪談』に心酔していた平井は、佐藤春夫さとうはるお訳『尖塔登攀記:小泉八雲初期文集』(白水社、一九三四年)の「下訳者として小泉家と交流を」もったそうで、同書にはアメリカ時代のハーンが事件記者として名を馳せた新聞記事「皮革製作所殺人事件」を邦訳した「無法な火葬」が収録されています。その猟奇的な内容について、佐藤春夫の序文「訳者の覚え書きを以て解説に代う」によれば、

「『無法な火葬』はその記事がというよりも事件そのもの――娘の不義の相手を三叉さすまたを揮って殺害しその死屍を製皮所の竈の中に隠匿しているのが発覚した出来事が人々に喧伝されていたのを、その現状の残忍さを直視して淋漓たる血痕や半焼けの死屍などを忌憚なく如実に写生細描したというだけのものであるかも知れないが、それだけでも無論並々ならぬ筆力を示している上に例の叙述の順序の巧妙な単純化が自らな起伏によって一篇の工まざる探偵小説或は犯罪小説実話の傑出した一篇を構成している。殺人の現場を外部から聞知していて加害者や被害者とも問答したという特別な立場の少年や兇行現場に立合っていた無言の証人たる馬の取扱い方などに到底無味乾燥な新聞記事ならぬものを発見してさすがはと思わせるものがある」(旧字旧仮名の原文を新字新仮名に変更)

 だらだらと引用しましたが、こういう戦前の貴重本が「国立国会図書館デジタルコレクション」で手軽に読めるのはありがたいことですね。それはともかく、佐藤春夫がこの記事に注目したのは、アメリカ時代のハーンの文体に探偵小説趣味を見出だしたからでしょう。ということは、当時から探偵小説と怪奇小説の両面で、ハーン=小泉八雲の影響インフルエンスは無視できないものだったわけです。

 にもかかわらず、第十七信で新保さんが指摘したように、なぜか乱歩はそれをスルーしてしまった。二〇二二年に刊行された風間賢二かざまけんじ『怪異猟奇ミステリー全史』(新潮選書)でも、「佐藤春夫そして芥川龍之介の探偵小説」という独立した見出しを掲げながら、小泉八雲の影響についてはまったく触れられていません。平井呈一の訳文云々は別として、時代的に早すぎたということなのでしょうか?

 それはさておき、『迷いの谷』には「付録 エッセー」として、ミステリの翻訳に関するよもやま話を集めたパートがあります。この往復書簡で取り上げるには、こちらのほうがふさわしいかもしれません。推理小説は「食わず嫌い」「ずぶ・・の下戸」と言ってはばからない平井呈一が、東都書房版「世界推理小説大系」でクイーン『Yの悲劇』、ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』、カー『黒死荘の殺人』を訳した際の裏話に目を奪われますが、原稿によって本音と建前を使い分けているような気もします。セイヤーズ『ナイン・テイラーズ』を訳すきっかけとなった厚木淳あつきじゅん氏との会話を再現した「下戸」という文章の中には、「だいいち生粋の英語の文章だから、おれにも行けそうだな。アメリカのやつらの文章は、おれは大の苦手なんだ」という人騒がせな台詞がありました。

 それで思い出したのは、天敵(?)の都筑道夫が早川書房の編集者時代を回想して、英米の本格のギャップについて次のように発言していたことです。

「これは実は、私どもの怠慢でもあって、現代的な本格へ変化してい
く過程のイギリス作家のものが、おおむね渋くて、アメリカ語に馴れた目には、読むにも、訳すにも、骨が折れる。手間がかかるわりに、まず売れそうもないから、[中略]重要な作品が未紹介のまま、一足飛びにいわゆる新本
格のアンドリュー・ガーヴやニコラス・ブレイクになってしまったわけです」

「黄色い部屋はいかに改装されたか?」

 ですから、都筑氏が平井呈一の訳文にアレルギー反応を示したのも、元はといえばアメリカ英語とイギリス英語のギャップに悩まされ、後者への苦手意識を解消できなかったせいかもしれません。

 もう一つ『迷いの谷』の「付録 エッセー」で気になったのは、「秋成小見」という上田秋成の『春雨物語』に関する文章です。平井呈一は「『春雨物語』というものはまぼろしの集で、」「前半の五篇だけがつたえられており、しかも五篇目の「樊噌はんかい」は(上)だけで切れている」と記していますが、巻末の「解題」には、一九五一年に新発見の完本が上梓され、「以降は全十篇の刊本が流布していたのだが、平井呈一はそれを知らなかったようだ」という注釈があります。

 なぜそこが気になったのかというと、都筑道夫も半自伝エッセー『推理作家の出来るまで』(フリースタイル)の最終回近くで、やはり「樊噌」について触れているからです。これは伯耆国大山だいせんの麓に住んでいた大蔵だいぞう(樊噌は後のあだ名)というならず者の物語で、ある雨の夜、若者たちが小屋に集まって酒盛りの最中、一人で山上の大智明神の社まで行けるか、という話になり、怖いもの知らずの大蔵が肝試しを買って出る。社にたどり着いた証拠の品として賽銭箱を背負って持ち帰ろうとすると、いきなり箱から手が生えて宙に舞い上がり、大蔵を抱きすくめたまま隠岐島おきのしままで飛んでいってしまう……。

「幽霊滝の伝説」とそっくりな状況ですが、ここまではほんの出だしにすぎません。晩年の都筑のエッセーでは、さらにこんな回想が続きます。

「落語家の兄にすすめられて、私はこの作品を読んだ。写本でつたわって、後半は発見されていない、と教えられた。ひとつ、ふたりで後半を書こうじゃないか、といいだしたのは、兄だったろう。ふたりで、ストーリイを相談して、現代語で私が書く。兄がそれを、秋成の文体模写で、古文ふうにす
る」

「読者はどこに」

 しかし、贋作「樊噌」を書く試みは二人の手に余り、立ち消えになってしまう。その後、落語家の兄(鶯春亭梅橋おうしゅんていばいきょう)が亡くなってから完全版を入手して、やっと「樊噌」の後半を読んだけれど、書誌的な解説が不十分で欲求不満に陥ったと述べています。どうもこういう逸話を読むにつけ、平井呈一の訳文への反発は、都筑氏本人が意識している以上に厄介な、コンプレックスの裏返し的な不満から来ていたような気がしてくるのです。


 最後にこちらも駆け込みで、都筑道夫のショートショート「怪談」の感想を。送っていただいたコピーを拝読しましたが、確かにこれはハーンの原典とほとんど関係ない、アメリカの酒場ジョークを引き伸ばしたようなものですね。ハーン観を窺う役に立たないどころか、この内容で「第二十二巻ハーン集」と冠するのは、逆に小泉八雲への無関心を公言するようなものでしょう。無茶振りをして申し訳ありませんでした。

 それよりも、この「怪談」が掲載された「ヒッチコック・マガジン」一九六一年二月号の目次のほうが興味深い。というのも、「日本ショート・ショート・傑作集」と題して都筑作品のほかに、山川方夫やまかわまさお 「箱の中のあなた」、星新一ほししんいち「霧の星で」、中河悦朗なかがわえつろう「不完全犯罪」が同時掲載されているからです。四人目の中河悦朗という人はよく知りませんが、星・都筑・山川のいわゆる「ショートショート御三家」が勢揃いしているとプレミアム感があります。昨年末に刊行された日下三蔵くさかさんぞう編『箱の中のあなた 山川方夫ショートショート集成』(ちくま文庫)には、同じ顔ぶれの座談会「ショート・ショートのすべて〝その本質とは?〟」が収録されており、そちらへ話を転じるつもりでしたが、今回も頭でっかちの尻切れトンボで、枚数がオーバーしたようです。返信の期日も過ぎてしまったので、ここらへんで筆をおくことにしましょう。

二〇二三年五月三十一日


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【第二十一信】
新保博久→法月綸太郎
/話題のツヅキはどこまでも

法月綸太郎さま

 都筑道夫の初期トリッキー長編、「トクマの特選!」での三次四次文庫化の四連続解説、お疲れさまでした。都筑氏の逝去直前(二十年前!)に光文社文庫版で私も解説を連投した折(三番目の『誘拐作戦』だけは当時、創元推理文庫で現役だったので再刊を遠慮しましたが)、気づいていれば指摘すべきだったあれこれを教えられて蒙を啓かれたものです。『三重露出』(一九六四年原刊)も、今回付載された中野康太郎なかのこうたろう氏の妄説(褒め言葉)が正鵠を射ているかどうか検証したいところですが、『猫の舌に釘をうて』(一九六一年)と併せてじっくり再読(何度目かしら)している余裕がありません。とりあえず法月さんの解説を拝読しましたが、解説の末尾はここ四半世紀、再刊に恵まれていない居候探偵キリオン・スレイが主人公のシリーズ長短編計四冊の復活予告かなと解釈したものの、これはいまお答えいただかなくとも結構です。

 むしろ気になるのは、「平井呈一の訳文への反発は、都筑氏本人が意識している以上に厄介な、コンプレックスの裏返し的な不満」というくだりで、このコンプレックスというのは、都筑氏の兄者(鶯春亭梅橋)に対するブラザー・コンプレックスなのでしょうか。実は、梅橋師匠の遺稿文筆を少しまとめて読む機会があったのですが、ニコラス・ブレイク『野獣死すべし』の論理的矛盾を指摘して江戸川乱歩を驚かせたという論理的思考や、新作落語の構成には長けていたとしても、それを文章化する技術ではやはり弟に一揖せざるを得なかったようです。それでも惜しまれることには、坂口安吾さかぐちあんごの中絶長編『復員殺人事件』について、梅橋師匠に解決編を予想しておいてもらいたかったなあと。

 ご承知のように『復員殺人事件』は『不連続殺人事件』に続く本格推理長編第二作になったはずが、掲載誌の休刊により未完に終わった幻の作品です。安吾亡きあと江戸川乱歩の慫慂しょうようによって高木彬光たかぎあきみつが書き継いだ『樹のごときもの歩く』が、模範解答として冬樹社版や、ちくま文庫版の安吾全集には全文収録されていますが、高木氏自身も認めるとおり努力賞レベルで、安吾の意中の解決を言い当てたと思われるには程遠い。私も高木氏の驥尾に付して首をひねったものの、戦中に倉田くらた家の長男が息子ともども線路に横臥していて轢死した事件の真相は、バレー選手だった妹の美津子みつこがバレーボールの球で顔面を強打して昏倒させたのだろうというぐらいしか考えつきませんでした。

 日本推理作家協会(当時は日本探偵作家クラブ)の懇親会、土曜会恒例の余興だった犯人あて小説でも屈指の名編といわれる鮎川哲也あゆかわてつや「達也が嗤う」(一九五六年。光文社文庫『翳ある墓標』などに収録)では、最優秀の解答が田中潤司たなかじゅんじ、第二席が矢野徹やのてつの両氏だったといいます。出題時の鮎川氏はまだ本名の中川透なかがわとおるを名乗っており、直後に出世作『黒いトランク』が刊行されて鮎川名義に改められ、「達也が嗤う」が「宝石」に掲載されたときは現筆名になっているという端境期でした。土曜会では第二席に入らなかったものの、「矢野氏に劣らぬ解答」と出題者からお墨付きを得たのが都筑氏です。正解ではないだけに「達也が嗤う」を未読の読者にも興を殺ぎはしないでしょうから、引用してしまいますが、都筑氏の解答は「真犯人は中川透氏。動機、中川透を犯人として抹殺し鮎川哲也として甦生するため」というもので、中野康太郎氏の「三重露出ノート」を考え併せると、このときの名誤答が『三重露出』の遠い発想源になったのではとか思ってしまいますね。

 顧みれば、「達也が嗤う」で十回目を迎えた犯人あて企画の、第一回・第二回が高木彬光の「妖婦の宿」「影なき女」(ともに光文社電子書籍『神津恭介、密室に挑む』などに収録)で、誰にも当てられまいと自信満々だった高木氏の鼻を二度続けて明かしたのが早大英文科の鈴木幸夫すずきゆきお教授でした。第三回の出題役には鈴木氏が指名されて、その「痴人の宴」を書いて作家千代有三ちよゆうぞうが誕生しています。

「挑戦された作家たちは想像力を駆使して、自分で解決を創作してしまうから、優れた作家ほど犯人は当たらない。[中略]高木さんは(「痴人の宴」に)長編解答を提出してくれたが当たらなかった。高木彬光さんが想像力豊かな優れた作家である証拠である」

論創ミステリ叢書『千代有三探偵小説選Ⅱ』

「痴人の宴」は同探偵小説選Ⅰに収録)と先輩を立てましたが、これは一面の真理で、高木氏が安吾の中絶作を完成させるのに適任であったかどうか、疑問が残るところ。安吾が夫人に打ち明けていたという腹案なるものはずいぶん雑で、信が置けず、高木氏は相当苦心したらしい。『樹のごときもの歩く』(一九五八年)のあとがきに、「後半部の執筆にあたっては、横溝正史先生、ならびに都筑道夫君から、いろいろと御知恵を拝借した」とありますが、田中潤司氏に直接聞いたところでは「樹のごときもの」の解釈をひねり出したのが都筑氏だという。しかし田中氏は、「正解はあんな言葉遊びみたいなものではない」としりぞけ、生前の安吾に一度だけ会う機会があった折、『復員殺人事件』の「真相は、こういうことですよね」と問いかけたところ、否定も肯定もされなかったものの、田中氏は言い当てた感触を得たそうです(どんな内容だか、教えてもらえませんでしたけれども)。

 そこで鶯春亭梅橋に戻るわけですが、安吾が『不連続殺人事件』を連載していた雑誌を毎号買って読み、「ごく早いうちに、真犯人を見ぬいていた。それも、作者のいう「心理の足跡」から、ちゃんと犯人を推理したのだ」(都筑道夫「安吾流探偵術」、創元推理文庫版『日本探偵小説全集10/坂口安吾集』解説)。「アリバイ崩しや、密室をつかわなかったところが、実にあたらしいね」と『不連続』を絶賛し、『復員殺人事件』も連載時から購読していた(同前)ので、中絶はさぞかし残念だったでしょう。都筑氏のほうは『不連続』を初読時にはそれほど買わなかった由で、『復員』についても兄弟間で話題にならなかったのかもしれません。何より安吾自身『復員』中絶後も五年間、生きながらえていたので、当人が完結編を書いてくれる望みがあったでしょう。しかし安吾は一九五五年二月に世を去り、梅橋も同年十月に身まかってしまいました。せめてあと一年、余命があれば梅橋案・都筑執筆の兄弟合作「復員殺人事件・完結編」が生まれていたかもと夢想するものの、都筑氏の推理作家としての始動はさらに遅れたかもしれません。

 最初の長編推理『やぶにらみの時計』(一九六一年)徳間文庫版の解説で法月さんも引用しておられますが、「私が推理小説を書くようになったのも、落語家の兄の影響だ」(フリースタイル刊『推理作家の出来るまで(下)』)と認めつつ、「私の心の底には、落語家の兄に対する憎しみも、あったように思う。兄が生きているあいだ、私はいくらすすめられても、推理小説を書こうとしなかった」(同前)といいます。こてんぱんに批判されたら癪だ、というより推理作家として立ちなおれなくなりそうな恐怖を覚えていたようでもありますが、この近親憎悪的な愛憎は法月さんの連続都筑解説の一貫テーマのようでもありますね。

 それはそれとして、『退職刑事2』創元推理文庫版(二〇〇二年)でも指摘したことですが、都筑氏の場合、「自分で考え出した謎よりも、よそから与えられた問題を解くほうが会心作になる率が高い」。〈退職刑事〉シリーズの第一作となった「写真うつりのよい女」からして、山村正夫やまむらまさお氏が新聞記者時代に遭遇した奇妙な死体事件に独自の解釈を与えたものですし、シリーズ代表作と自他ともに許す「ジャケット背広スーツ」も、地下鉄の駅で三着の上着を抱えて走っている男性を都筑氏が目撃したことが出発点でした。同じく〈なめくじ長屋捕物さわぎ〉の「天狗起し」「小梅富士」はともに、やはり推理小説マニアである従弟の中村利夫なかむらとしお氏(『キリオン・スレイの生活と推理』初刊本の担当編集者でもあったはず)に出題されたものだといいます。

 そういうのが得意な作家と思われていたせいか、現実の新聞記事から事件の背景を小説化する競作企画に佐野洋さのよう氏、岡嶋二人おかじまふたり氏らと参加して、「新聞を読むシルビア」も書きました。こうした点を踏まえて〈退職刑事〉の創元版最終第六巻に、若竹七海わかたけななみ氏の書店員アルバイト時代の実体験に基づく「五十円玉二十枚の謎」を退職刑事が解くボーナス・トラックを書下ろしてもらうアイデアを担当編集嬢が思いついたのですが、一年後に都筑氏の死去が迫っていたと知る現在、叶わぬ夢だったと諦めるしかありません。健康が許せば乗り気になってもらえただろうことは、読者から謎を募集した『朱漆うるしの壁に血がしたたる』(一九七七年)があったことからも想像がつきますが、長編でやるにはさすがに無理があった。『復員殺人事件』の完結編も、単独では無理だったと思われます。

 なお、氏の『黄色い部屋はいかに改装されたか?』は、名探偵復活論という結論ありきに向けての強引さも見られるとはいえ、長編連載評論には稀な明晰さですが、第二十信で引用された、クリスティ、クイーン流の黄金時代本格が、「現代的な本格へ変化していく過程のイギリス作家の[中略]重要な作品が未紹介のまま、一足飛びにいわゆる新本格のアンドリュー・ガーヴやニコラス・ブレイクになってしまった」というくだりは分かりにくい。黄金時代の後衛であるJ・D・カーが『夜歩く』でデビューしたのが一九三〇年、ブレイクの同じく『証拠の問題』が三五年と、五年しか差がないので、未紹介に終わった重要なイギリス作品と都筑氏が言うのは一体どういう作家が念頭にあったのでしょうか。むしろデビューはブレイクより遅いエドマンド・クリスピンあたりかなとも思うものの、まったく未紹介だったわけではありません。

 翻訳ミステリ編集から退いて推理作家となった氏は、初期長編『飢えた遺産』『三重露出』カバーで、「推理小説と名がつけばなんでも読むが、親米派というより親英派で、イギリス作家のひねった作品がいちばん好きだ」と自己紹介しながら、晩年に贔屓したのはアメリカ作家のホック、ヤッフェら、そしてベルギー生まれのシムノンでした。親英派で生涯を貫いた平井呈一氏への反感は、あるいは同族嫌悪、逆に羨望だったかもしれません。


 平井呈一について私事を述べると、その名前を初めて認識したのは、まだ完訳が出ていなかった『吸血鬼ドラキュラ』の訳者としてですが、偕成社版のハーン『怪談』では、訳者名まで意識していたかどうか。『ドラキュラ』は訳出態度がどうのこうのとあげつらうには中学生の身は幼すぎ、それなりに怖くて楽しんだものです。それ以上に目を引いたのは、創元の文庫解説目録で見かけたヘンリ・セシル『ペテン師まかり通る』という訳書名でした。コンゲーム小説という概念は当時まだなく、数行の内容紹介からユーモア・ミステリとは知れたものの、『ドラキュラ』との落差は奇異でしかありません。『ペテン師まかり通る』は当時すでに絶版で、たまたま重版された同じセシルの『メルトン先生の犯罪学演習』を高校の入学説明会の合間に面白く読み、ますます『ペテン師まかり通る』が欲しくなったのですが、古本を入手するまで数年かかったはずです(裸本で数十円)。見つからないとなると期待はどんどんふくらむもので、フロントページの紹介文に「おもしろすぎて申しわけありません」と言うほどには笑えないぞと少し不服でしたが、『怪談』や『ドラキュラ』の訳者がなぜこれを訳したか、読み終えてますます不思議でした。

 そして忘れるともなく忘れて幾星霜、大学も卒業して数十年経ったつい先年、ワセダ・ミステリクラブの先輩で歌人の藤原龍一郎ふじわらりゅういちろう氏から、これ読んでおいたほうがいいよと、岡松和夫おかまつかずお著『断弦』(一九九三年、文藝春秋)という初耳の著者の小説・・ を貸し与えられました(そういえば鈴木幸夫教授も、このクラブの初代会長でした。顧問格が会長で、学生側のリーダーは幹事長と呼ばれるのです)。『断弦』の主人公の白井貞一・・・・青年は、師事する文豪永江荷葉・・・・の手許から同じ門下生とともに「四畳半襖の下張」を持ち出したり、荷葉の自筆原稿や色紙を贋作して小遣いを稼いだとして、ペテン師の汚名を着せられたことを初めて知ったものです。古い東京の記録者として永井荷風ながいかふうを愛誦する都筑氏は、ここでも平井氏より荷風に肩入れする気になったのでしょうか。

 荷風に小説「来訪者」(一九四六年)で筆誅を下された余波で、平井氏はみすず書房版の個人全訳〈小泉八雲全集〉(五五年)が蹉跌してから、五六年の『魔人ドラキュラ』以降は幻想怪奇系か、ミステリなら『ナイン・テイラーズ』など重量級の作品しか訳していないなかで、『ペテン師まかり通る』(六〇年邦訳)は妙に浮いている。推理小説には「ずぶ・・の下戸」を自認する平井氏が企画を持ち込んだはずはなく、編集部の厚木淳氏に依頼されたのでしょうが、気分転換に何か軽いものをという思惑があったのかもしれません。しかし原題Much in Evidence ともアメリカ版のThe Long Arm とも似もつかない『ペテン師まかり通る』という邦題を、まさか編集部は提案しはしますまい(マッケン『怪奇クラブ』The Three Impostors も『三人の詐欺師』とは当初しなかったんですから)。これはご本人から「ペテン師平井ここにあり」と自虐的に主張したかったように見えます。なんだか怪奇小説以上に怖い邦題です。そのせいかどうか、版元はすぐ絶版にしてしまいました。


 ところで、しばらく前に第二十一回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作として今年初め刊行された小西こにしマサテル『名探偵のままでいて』(宝島社)を読んだのは、探偵役の老人(といっても私より二つしか年上でないのですが、じゅうぶん爺さんですね)の設定が気になったからです。ワセダ・ミステリクラブ(小説では中黒ナシで、現実にはワセダ・ミステリ・クラブと表記されることもあって一定しないのですが、カタカナがずらずら続くため、ここでは一つだけ中黒を入れました)出身で、瀬戸川猛資せとがわたけし氏とも親しくミステリ論を闘わせたとあり、小説に取り入れられるほどメジャーな存在なのかなと手に取ったのですが、感想を述べるのはこの書簡の目的ではなく(愉しく読みはしました)、探偵が患っているレビー小体型認知症という存在を知ったのが一番の収穫でした。頭は昔ながらの明晰さを取り戻すこともあるものの、リアルに幻覚を見るんだそうですね。

 たまたま昨六月十一日の毎日新聞朝刊一面(!)で、コナン・ドイルが特に晩年、心霊主義に傾倒したという、ミステリ・ファンにはほぼ常識がデカデカと記事になり、何か新資料でも発見されたのかと驚きましたが、単にヒマネタだったようです。妖精のインチキ写真にも手もなく騙されてしまったり、あるいはレビー小体型認知症に罹患していた証拠でも見つかったのかと思ったのに。病気が見させる幻覚だという知識がなくて、当人が見たと確信したなら、いくら科学精神に富んでいても屈服させられるでしょう。こんな妄説は、世界中に数多いるシャーロッキアンの誰かが、とうに指摘していそうですが、愛する家族をいわゆるスペイン風邪によって一人ならず喪ったことがコナン・ドイルを心霊主義に走らせたというよりは、こちらのほうが納得しやすい。どうでしょう?

 妄言はほどほどにして。さて、「WEBきらら」二〇二三年三月号(二月二十日配信)「Pick UP インタビュー/小西マサテルさん『名探偵のままでいて』」(文・取材/瀧井朝世たきいあさよ) を見ると瀧井氏の、「終章で扱うのはリドル・ストーリー。謎に対する答えを明かさないまま終わる話のことで、F・R・ストックトンの「女か虎か?」という有名短篇が作中にも登場する。さらに最後にも読者に対して、あるリドルを提示してくる展開だ」という説明に、小西氏の言葉が続きます。

「『女か虎か?』をただ紹介するだけでなく、出来がいいか悪いかは別として新解釈を入れたかったんです。ただ、読んでくれた方の感想を聞くと、リドル・ストーリーというもの自体がわからない人も多いみたいで……(苦
笑)」

 その世界にどっぷり漬かっていると、オタク外の堅気衆の常識水準も、つい過大評価してしまいますね。法月さんが最後に触れられている山川方夫・星新一・都筑道夫三氏の座談会では、「ショート・ショートというのは、[中略]一つの重要なファクターとして読者の参加を最大限に許している形式だということを考えているわけです」という都筑氏の発言が目を引きました。勝手に結末を考える読者参加型という意味ではリドル・ストーリーこそ典型ですね。そちらへ話を持って行こうと前々から企んでいたのですが、リドル・ストーリーのスタンダードである「女か虎か」よりも、私はW・W・ジェイコブズの「猿の手」に目をつけていました。次回はその話をさせていただければ幸いです。

二〇二三年六月十二日

(次号、第二十二信につづく)

《ジャーロ No.89 2023 JULY 掲載》


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