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あらかじめ敗北した者たちに|杉江松恋・日本の犯罪小説 Persona Non Grata【第9回】

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文=杉江松恋

 人間の合理的ではない姿、そうとしか生きられない不自由さを犯罪小説は描く。

 その極北は賭博小説である。賭博を犯罪行為と呼ぶことには抵抗のある人があるかもしれない。だが犯罪小説の主題となる心理状態が最も端的な形で表されるのはこの形式なのである。日本賭博小説の最高傑作、阿佐田哲也あさだてつや『麻雀放浪記』にそのことは一目瞭然だ。

 すでに説明の必要もないほどに有名なこの長篇は、一九六九年一月から『週刊大衆』で連載が始まった。六月で一旦完結したものが『青春編』として同年九月に刊行、以降同様のペースで連載が行われそれぞれ『風雲編』(一九七〇年)、『激闘編』(一九七一年)、『番外編』(一九七二年)として双葉社から単行本化された(現・角川文庫他)。続篇は以降も書かれているが、本稿で『麻雀放浪記』と言う場合はこの四部作を指すものとする。

 ところどころで別の語り手が登場するが、主たる視点人物の〈私〉はぼうてつである。作者である阿佐田哲也との同一視も可能な形で設定された主人公で、中学時代に勤労動員されて工場に通い、博打を覚えて道を踏み外したという経歴は後述するように作者とほぼ重なり合っている。『青春編』で初登場した坊や哲は初め博打の師匠である上州虎じょうしゅうとらとつるむが、野上のがみけんことドサ健と交わり、さらにベテランの出目徳でめとくに技を仕込まれて、イカサマの相棒として使われるようになる。出目徳は物語における導師の位置づけで、ドサ健も彼には敵わずに有り金をむしり取られる。

 この小説では賭博を生業にする者を〈バイニン(商売人)〉と呼ぶ。出目徳はその頂点に位置すると言ってもいい存在で、坊や哲は彼からバイニンの基礎を教えこまれる。いったんコンビを組むと自分の意志で解消することも許されなくなる。出目徳に教えられた技術はバイニンたちの共有財産だからだ。「玄人の規則を守っておとなしくしているか、それとも玄人全部を敵に回すか、その二つの道しかお前にはないんだ」と凄まれて坊や哲は、面従腹背の姿勢で出目徳を逆転できる時期を待つ。

 副次的な視点人物であるドサ健、女衒ぜげんたつたちのあがきが描かれるのが起承転結の転にあたる部分である。彼らは命綱である現金を失い、それぞれ借金の担保になるものを持って賭場に現れる。ドサ健のそれは情婦であるまゆみの体である。初めから失うことが前提なのだ。そのことを承知し、それでもドサ健に惚れているまゆみの動向が物語中盤の焦点になる。上州虎は金の担保ではなく、まゆみに固執し自分の女になるように口説くが、そのため運に見放されて敗北する。求めていいものは、あくまで金だけなのだ。他のすべてを削ぎ落として生きなければいけないバイニンの非情さがそのような形で表現される。

 フョードル・ドストエフスキーは一八六六年十月に中篇『賭博者』(光文社古典新訳文庫他)を発表し、賭博によって変性、あるいはその本性を露出させた人間の精神を描いた。周知のとおりドストエフスキー自身も賭博熱に取り憑かれたことがあり、借金返済のため原稿料稼ぎに励まなければならない事態に陥った。『賭博者』の主人公アレクセイ・イワーノヴィチは金を掴んだ者の全能感こそが博打に没頭する理由だと口にするのだが、いざ勝利した後は精神の張りを失い、結局はあれほど忌避した奴隷的立場に再び自らを追い込んでしまう。勝つよりも負けてすべてを失うことが彼の潜在的な目的なのである。アレクセイと阿佐田の描くバイニンたちの心性はほぼ重なっているが、異なる部分がある。アレクセイはまだ自分には人間を愛することができると考えているが、自分たちはもう金のやり取り以外に熱中できるものはないと冷めているのがバイニンなのだ。

 北上次郎きたがみじろう『阿佐田哲也はこう読め!』(二〇二一年。田畑書店)は、阿佐田の賭博小説全体を扱った画期的な評論書である。その中で北上は、賭博小説にピカレスク小説の構造が備わっていることをフレデリック・モンテサー『悪者の文学』(一九七五年。南雲堂)を引き合いに述べている。ただし日本で書かれた賭博小説にはモンテサーがピカレスクの必要条件と上げたうち、物語の中に社会批判が意識されていることと、生き残るという基本的問題の論議があることの二つを欠くものが多く、条件を満たすのは阿佐田作品のみである、というのが北上の論調だ。『麻雀放浪記』とはバイニンたちの生き残りをかけた闘争の物語なのであり、この直観は正しいように思う。

『麻雀放浪記』に含まれる社会批判の要素は『青春編』だけだと見えてこない部分がある。坊や哲にあるのは己を磨こうとする意志だけだからだ。第三部『激闘編』でその要素は浮上してくる。和田誠わだまこと監督の映画化作品で忠実に再現されていたように『青春編』の時代設定は敗戦の色がまだ濃い時代、焼け跡のバラックを舞台とする物語であった。それが『激闘編』になると「世間は、すでにバラック小屋の時代から本建築の時代に移っていた」「闇市に蝟集していた職業不明の兄ちゃんや復員服の呆けた中年男はどこへ行ったか、ぱたっと姿を消してしまっていた」と綴られる。坊や哲は闇市の中で物心ついたといってもいい男である。時代が進んでいく中で、彼はいつの間にか取り残されてしまっていたのだ。これ以降『麻雀放浪記』は、社会の中でなじめない者たちが唯一打ち込める行為、すなわち賭博で金のやり取りをして生の充実感を得るという物語になっていくのである。個人と社会との関係を描くのが基本である犯罪小説としてもこの時点で完成する。

 右に述べたことは『阿佐田哲也はこう読め!』の論を発展させたものである。北上は言及していないが『麻雀放浪記』が回想譚として書かれていることもピカレスク小説との構造的類似を高めている一因である。十六世紀に発展を遂げたピカレスクは、語り手が現在の立場から過去の自分を振り返るのが本来の形式だった。非道徳的な過去に対する悔悛かいしゅんの意を示すことが狙いである。これによって物語は現在進行形の叙述では不可能な、社会全体を見渡すという視野を得ることになったのである。『麻雀放浪記』も、高度成長期の日本にいる作者が復興期を振り返るという形式があったからこそ、主人公が社会に対して感じている違和や敵意というものを潜在的な主題として描くことに成功したのである。

『麻雀放浪記』は阿佐田の第一作ではなく、『週刊大衆』一九六八年十月三日号に掲載された「天和の職人」がその名義で書かれた最初の小説である。同作を含む初期麻雀小説が『パイの魔術師』(一九六九年。現・角川文庫)として刊行されている。週刊誌連載ということで文章量にも制約のある中に闘牌場面も盛り込んだ緊密な構成が素晴らしい。街場のバイニン=犯罪者を美化せずに描いた連作小説として特筆すべきであり、主人公たちがその目つきの卑しさを指摘されて終わる「まんしゅうチビ」は切ない読後感が残る。「ベタ六の死」は「六郎は、娘も息子もいない部屋で、まっ黒く色が変り、干物のように固まって死んでいたという。私には、それが私たちにふさわしい当然の死であるように思えたのだった」という一文で終わる。この死にざまは、直後に連載が始まる『青春編』のクライマックス、出目徳の最期につながっていくのである。賭博という逸脱行為によってバイニンたちは社会に闘いを挑むが決して勝つことはできず、哀れに散っていくのみである。負けるように生れついた者たちを描いて阿佐田作品は美しい。

 阿佐田哲也こと本名・色川武大いろかわたけひろは一九二九年三月二十八日に東京市牛込うしごめ区(現・東京都新宿区)矢来町やらいちょうで生まれた。出生時に四十四歳だった父・武夫たけおは海軍の退役軍人であり、恩給を受ける以外一切働こうとしなかった。その支給は日本の敗戦によって停止したため、色川家の経済状況は困窮する。阿佐田は東京市立第三中学校(現・東京都立文教高等学校)で無期停学処分を受けた状態で敗戦を迎えており、そのまま学業を放棄してヤミ屋などで食いつなぎ各地を転々とする住所不定の生活に入った。この頃に博打で喰いしのぐ技を磨いた、というのは坊や哲そのままだ。一九五〇年に二十一歳で生家に戻り、以降零細企業を転々とするが、本来の仕事はほとんど行わず、生活費はやはり博打で稼いでいたという。一九五三年、桃園書房に入社したころから複数の筆名を使い分けて売文業を開始、この年には藤原審爾ふじわらしんじ主催のチモフェーエフ文学理論勉強会にも参加している。

 一九五七年四月、初めて色川名義で発表したのが、『薔薇』に掲載された短篇「黄色い封筒」である。一九六一年、第六回中央公論新人賞にやはり本名で「黒い布」を応募、選考委員の伊藤整いとうせい武田泰淳たけだたいじゅん三島由紀夫みしまゆきおに全員一致で推されて受賞を果たした。『中央公論』同年十一月号に掲載されている(以上、『色川武大・阿佐田哲也電子全集7』所収。小学館)。その後色川名義での執筆に挫折し、『話の特集』連載(一九七五年一月号~一九七六年九月号)の『怪しい来客簿』(一九七七年。現・文春文庫)で復活するまで約十年の沈黙期間がある。『怪しい来客簿』は第五回泉鏡花いずみきょうか賞を受賞、『海』(一九七七年十月号~一九七九年四月号)連載の『生家へ』(一九七九年。現・講談社文芸文庫)によって本名での文筆活動を本格的に再開した。

 一九六八年に阿佐田名義で執筆を始めたのは、当時はまだ病名不明だったナルコレプシーを発症し、治療費を稼ぐ必要があったためだ。その病名が判明し、全治は難しいものの不自由な身体と付き合って生きていくしかないと覚悟を決めたことが色川名義の復活につながる。ナルコレプシーは睡眠障害を伴い、現実から不意に幻の領域に踏み込むことが阿佐田にとっては普段の生活になった。このことが作品にも影を落としている。

 先述したように『青春編』の第一章は敗戦後の焼け跡を描写する文章から始まる。これは阿佐田が十代の終わり、食うために汚濁に分け入らなければならなかった苦い記憶そのものだ。色川名義の『生家へ』の書きだしは「夜半、ふと眼をあげると、視界全体が、いつのまにか生家の八畳間になっている」という文章である。同作で描かれるのは、すでに存在しない生家の幻なのである。現実を侵食する過去の幻影は色川文学の根幹をなす要素だ。『怪しい来客簿』はひさしぶりに色川名義を復活させた作者が、身辺のことから過去の懐かしい記憶までを自由に書いた私小説だが、その中にも「亡くなった叔父が、頻々と私のところを訪ねてくるようになった」(「墓」)というように幻想小説の要素が入り込んでいる。「ずっと以前、毎日、外ばっかりほっつき歩いていたことがあったものだから、今でも自分が巣の中に坐って安閑としているような気がしない」と始まる「見えない来客」では、やはり闇市の記憶が語られる。阿佐田は『麻雀放浪記』と『生家へ』についてレコードのA面とB面のような関係という説明をしたことがある(『麻雀放浪記 番外編』角川文庫山本容朗やまもとようろう解説)。『怪しい来客簿』はその両面の接点なのだ。

 表裏一体の両名義作品は併読することによって興趣が増す。「ひとり博打」は、色川としては沈黙していた一九七〇年に、有馬頼義ありまよりちか編集長の要請に応じて『早稲田文学』五月号に発表された短篇である(講談社文芸文庫『小さな部屋/明日泣く』他所収)。自らの子供時代を描いたもので、少年期には相撲と野球の一人遊びにのめり込んでいたという。それも単に一人で力士を闘わせ、チームを対戦させるのではない。番付表に存在する全力士の取り組みを考えるだけではなく各々の心情までも考えたくなる。野球であればリーグ戦を行わせるための選手や球団関係者のすべてに生を与え、彼らがどのような日々を過ごしているかまでも網羅して考えなければゲームは成立しないのである。かくして少年の部屋には力士や選手たち一人ひとりを記した無数のカードが散乱するということになった。世界の中にもう一つの世界を作るという遊びに心を捕らえられたのだ。この性癖が後に競輪への傾倒を招くことになる。ご存じの方には説明の必要もないことだが、個人競技ながら選手の人間関係が大きく影響する競輪は、知識を集めれば集めるほど結果に対する興味が強くなっていくのである。

「ひとり博打」で語られているのは戦時下、色川少年の自宅周辺にも焼夷弾が落とされ、日常的に死者が出ている日々のことである。しかし「私の中の全能」を相手どって遊び続ける少年にとっては「そんなものを身体に抱えこんでしまっている困難に比すれば、焼夷弾に当るか当らないか、当ったところでさっぱりしてしまうような気が」していた。

 この短篇の中で作者は「私と砂漠の関係」という言い方で自身の生き方を説明している。砂漠とは不毛であり、そこに突き進めば死は不可避である。「心のままにまっすぐ砂漠に踏みこんでいって、飢えるか狂うか、生きられぬ段階に至るまでの、生きられぬこととの葛藤のプロセスこそ、生きるということではあるまいか」と考えつつもそれが叶わず「自分の向かう方向から遠去かりすぎない算段をしながら砂漠の縁を迂回」するような生き方をしているのが自分であると言う。その迂回への悔恨が常にあり、自身のことを書くときにはいつも含羞がんしゅうが滲み出る。一方で阿佐田哲也として敗北を約束された闘いの中に生きるバイニンを描く。これは自分にはないものを求めるという単なる願望充足ではなく、自身の居場所からは対極の位置にある生き方だからこそ、冷静になってバイニンたちの肖像を描くことができたのであろう。自身がそちらにはいかないということ、すでに世界はバイニンの存在を許さないものになっておりすべては嘘であるということ、それをはっきりと認識した上で物語内の現実感を与えるために阿佐田は最大限の努力を行った。

『麻雀放浪記』に代表される阿佐田賭博小説は実在のバイニンをモデルにして書かれたというていをとっていたため、作品世界と現実とを重ねたがる多くの読者を生んだ。当時の雀荘には無数の、自称ドサ健が現れたという。阿佐田哲也が色川武大としていかに文壇で認められようと、ファンにとっては坊や哲なのであり、現実の世界と地続きのところにあるものという形で虚構は保存されていった。阿佐田哲也の存在がなければ、麻雀文化はもっと違った形に成長していったのではないか。

 しかしその中で阿佐田は、自分が作品の象徴となることには抵抗し続けた。幾たびか書かれた『麻雀放浪記』続篇の中で坊や哲は『青春編』のころの精悍せいかんさを取り戻すことはなく、ぐずぐずと現実に取り巻かれたまま馬齢を重ね続けていったのである。

 その点はもう一人の主人公と言うべきドサ健も同様であった。『麻雀放浪記』四部作完結から六年後の一九七八年、阿佐田は『週刊大衆』に一月から六月にかけてドサ健を主人公とする長篇を連載する。ここで扱われた博打は手ホンビキであった。一から六までの引札があり、胴(親)はうちの一枚をかみした(手拭)の下に隠す。それを子方は当てるのである。麻雀よりはるかにルールは簡単で勝負も早いが、配当の付け方を含め金のやり取りは複雑である。博打の行き詰まりともいえる、病膏肓やまいこうこうに入った者だけの遊びだ。

 この博打では、相手がどんな札を引いたかという読み合いが焦点となる。つまり相手がどんな人間かを読むということである。手ホンビキの場に現れるのは綺麗な金を持った人間ではなく、全員が尻に火がついている。使ってはいけない金を博打に回してしまっており、負ければあるいは首を括ることになるだろうという者ばかりなのである。『麻雀放浪記』の上州虎は金の奪い合いから目を逸らしたことで運から見放された。そうした、生きている者のロマンティシズムさえも本作には皆無である。博打以外の人生は無いも同然で、ただその場の心理の読み合いだけがある。極端に純化された世界なのである。

 阿佐田は本作で、ついにバイニンという設定を捨てた。出目徳のような好敵手は出てこない。ドサ健の相手になるのは、昼間までは堅気の顔をしていた人間だ。その連中が金のために逸脱し、単なる博打狂いになって舞い込んでくるのである。奪い合いなので、誰かが潰れれば金を持っている人間を別に連れて来なければならなくなる。好敵手がいないだけではなく、ドサ健のヒーロー性も本作では失われている。人生を捨ててしまったという意味ではドサ健もその他の参加者もまったく同じなのだ。物語後半では彼以外の登場人物が中心になることもあって博打が続いていく。そこには切れ目がなく、昼夜の分け隔てもなくなっていく。間をおかないのは、そのつどケリがついてしまうからだ。結果が出ない限り、博打は永遠に続けていける。勝つためではなく、負けたという事実を作らないために続けているのである。それでもやがては誰かが潰れるが、金を持っている別の人間を引き入れればまだ続けることはできる。

 ここまでくると人間社会の歪んだ戯画のようにも見えてくる。賭博行為の特殊さを、賭博行為以外を描かないという純度の高い構成で描いたという点で『ドサ健ばくち地獄』は類例がない。ヒロイズムをも排することに成功したという点で阿佐田賭博小説の頂点と言うべきだろう。

 小説は以下のように結ばれる。「ドサ健は、生まれてはじめて、たとえようもない淋しい心を湧かせていた/明日から、何に心を燃やして生きていこうか/そう思いながら、たった一人で、街の中に帰っていった」。勝者も敗者もなく「皆がいのちより大事と思ってやりとりした金が、もまれて四散し、霧のように消えてしまった」だけなのである。

 賭博=犯罪という形で夢を追うことはできる。しかし夢が叶うことはなく、ただ覚醒した後の現実だけがそこにはある。喩えようもなく苦い現実だけが。

《ジャーロ No.88 2023 MAY 掲載》



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