網口渓太
何度も何度も読むようになってるんだったら、その本はもはや、本というより本(ブツ)と読んでいい代物に変化してるからね。その人にとっては。
ESくん
本(ブツ)っていうのは、つまり仏ってことね。拝みたくなるような。
EMちゃん
推しよ。推し本よ。
網口渓太
たしかに似てるかも。ある日偶然出会って恋に落ちた、拝みたいような有難たいような存在って意味で。そして、この好きな本(ブツ)を、日本的に多神多仏な世界にしてしまうのが、家の読書の好みだよ。束の間は一神教、長い目でみると多神多仏。これは、数寄の話でもあるね。
ESくん
拝みたいくらいの本か。ボクが一冊を選ぶとするなら、ジョン・ブラッドショーの『インナー・チャイルド』かな。マジで、ジンセー変わったから。EMちゃんはどう?
EMちゃん
そうねぇ、一冊を選ぶのは難しいけど、稲垣足穂の『一千一秒物語』かしらね。パパの影響が大きいけど。
網口渓太
いいね。二人のように誰かの本(ブツ)を相互編集するのも大事だね。まるで誰かの本(ブツ)を見仏するみたいに。
本も、みうらさんといとうさんのように真剣に遊べる対象になれるよ。
ESくん
『見本記』ね(笑)。またEMちゃんが好きそうな本(ブツ)ですな。じゃあ、みうらさんといとうさんに肖って、ボクも一冊重ねようかな。
「宗教的になり切れるほどわれわれは感覚をのり超えてはいない」って言葉は刺さるね。この欠けをどうにかする為にも、本をブツに見立てるのは面白い考え方かもしれない。
EMちゃん
長い目で見れば、仏教もアウトサイダーだから。みうらさんといとうさんも、そういう異人的なところにも惹かれているんじゃないかという気がする。そっか、数寄ってネットワークなんだ。
3人の子供が指を差す「インドラの網」「風の太鼓」「青孔雀」という不可知の存在を体験することを通して、次第に自己の輪郭を失くしていくのよね。これって、
ESくん
主観も客観の知覚も崩壊しているから、自己解体的だってこと?
EMちゃん
そう。「関係性を主語に、私を述語に」ね。これは渓太くん好みだ。
網口渓太
好み。ついでに、仮想現実とアバターの問題も取り上げておこうかな。2次元と3次元を交互に行き来しながら、読んでみて。
最後のセンテンスが特にグッとくる。(→11-2)とも話しが繋がるね。仮想現実空間とちょっと違うのは、ハイパー・リーディングでは、主人公は私ではなく、本であるというところなのね。EMちゃんが言ってくれたように、「関係を主語に、私を述語に」って奴ね。この少しの重心の置き方の違いが、変化をうながす大きな要因になることにハッとできるかどうか、そこがポイントだよ。
ESくん
ボクは今後も気付いてもらえない前提でいるけど、神が死んだ世界でどう生きるのか。おちおちしてられないね。