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文学は時に最良なディスクガイドにもなる

三、四日続いた雨あがりの日、古本屋で見つけたチャールズ・ミンガスのバイオ本になぜか安い値段がつけられている。独出版社のものでドイツ語で書かれている。英語ならともかく、ドイツ語ではなかなか手にとる人がいなかったとみえて100円。それを私が手にしたのは、その値段だけではなく、厳格で生真面目なドイツ人が、怒れるジャズ・ミュージシャン、ミンガスをどう書いているか興味を持ったである。ドイツ語などできるわけもないが、そう、スマホの翻訳機を気分次第にあててみょうかと。

すると、やはり面白い記事に遭遇した。それはドイツの作曲家・音楽ジャーナリスト、ギュンター・ビューレスによって書かれた序文で、ミンガスの自伝『Beneath The Underdog』『ミンガス 自伝・敗け犬の下で』についてふれたものだった。そのなかでこの作品をこう評している。「魅力的な本であり、明確な良心をもってこの本をヘンリー・ミラー、ジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」の近くに置くことができる。アメリカの恐るべき子供、チャールズ・ブコウスキーの爆発的散文の黒人作品として、ジャズ・リスナーはこの本を是非読んで下さい」とある。
私が面白いと思った理由はほかでもなく、ミンガスの自伝『Beneath The Underdog』に対し、チャールズ・ブコウスキーの名前を引き合いに出しているところだった。なぜ、ここでそのドイツの音楽ジャーナリストから、ブコウスキーの名前がでるか、それはなんとなく理解できる。それはブコウスキーこそドイツに生まれ、その後、一家でアメリカに移住した経歴をもつ米作家だからだ。とはいえ、二人の年齢は違うだろう。ブコウスキーはもっと後の世代だろうと、私は思っていた。

『ミンガス 自伝・敗け犬の下で』チャールズ・ミンガス晶文社刊


だが、私はふとした気まぐれでブコウスキーのウキペディアのページを開いたのだ。すると、はじめにブコウスキーの生年月日をみとめるわけだが。なんと、そこには、こう記されていた。チャールズ・ブコウスキー1920年8月16日ドイツ・アンダーナット生まれ、私はここで唖然としたのだ。なんとこの作家は世界恐慌の時代に生まれていたのだ。作家として有名となったのが、自身の短編をまとめた作品集『ありきたりの狂気の物語 町でいちばんの美女』が映画化された1983年頃からだろうか。その時、ブコウスキーすでに63歳だった。なんとも遅咲きの作家だったのである。

そして、私は今度は、確信的な思いで、ミンガスのウキペディアを開いてみる。そこにあったのが、チャールズ・ミンガス1922年4月22日米アリゾナ州ガレス生まれ、だったのだ。つまり、ブコウスキーとミンガスは二歳しか年が離れていなかったのだ。そして、私は、この事実のなかで、今まで気にもとめなかった重要な事柄に気づくのであった。すなわち、嗚呼・・、二人ともファーストネームが、”Charlesチャールズ”であったということに!

そればかりか、チャールズ・ブコウスキーの一家は1923年にドイツから米国ボルチモアに移住。まもなくして、ロスアンゼルスのミッドシティに引っ越ししたとある。チャールズ・ミンガスの一家においては、1923年、ミンガス1才の頃よりロスアンゼルスのワッツ地区に移ったということ、つまり、なんと二人は、ほぼ同時期に同じ場所、ロスアンゼルスで過ごしたということになる。二人はこの時ロスアンゼルスのいずれかの街角ですれ違っていたのかもしれないのだ。

ミンガスには、幼少期からの生活を描いた自伝『ミンガス自伝・敗け犬の下で』(米1971年出版)があり、そして、ブコウスキーにも彼自身の少年時代を描いたとされる自伝的小説『HAM ON RYE』『くそったれ!少年時代』(米1982年出版)があるのだ。そして、改めて思うにこのふたつの小説は驚くべきほどに似ているということに気づく。私は、ブコウスキーがミンガスのこの自伝を読んでいるような気がする、気がしてならない。だが、もし、そうでないとしたら、この二人の環境が恐ろしく似ていたということになると思う。

『くそったれ!少年時代』チャールズ・ブコウスキー中川五郎訳 河出書房刊

このふたつの作品の共通点を書き出してみる。

『差別』

ミンガスの父親は黒人農場労働者とスウェーデン女性の間に生まれた子どもであって、またミンガスの母親は中国系イギリス人であったという。そのことからミンガスは肌の色が薄く、黒人コミュニティからも時に差別をうけることとなる。白人でもない、さりとて黒人でもないミンガス。ブコウスキーはドイツ系移民であるというこである意味差別されている。小説冒頭、オレンジ果樹園に入った父母と主人公ヘンリー・チナスキー(ブコウスキー分身)が散弾銃を抱えた農園主に追い出される場面があるが、都市部から離れたこの情景においてはこの一家こそ、アメリカにとっての部外者、侵入者のような存在であるように描かれている。

不良少年、ストリート・ギャングたちからの暴力』

幼少時のミンガスは地元の不良少年たちにからまれ嫌がらせ(時に性的なものも含まれる)をうけ、ミンガスはそれに始終泣かされていたが、やがて日系人ノブ・オカより武道を習うことで状況は変わっていく。ブコウスキーの場合のそれは、彼自身体格がよくイジメを受けるということはなかったが、孤独を好み群れに媚びない性格の彼にそうした厄介ごとは始終つきまとう。ヘンリー・ナチスキーことブコウスキーはまわりからタフガイとして認知されるようになる。

『実父からの虐待』

ミンガスの自伝には、幼少期のミンガスが寝小便をもらしたり、長靴のなかに雨水を入れただけで父親から鞭で叩かれるという折檻を受けるといった場面がある。幼少期のミンガスは自伝のなかでこう語る。「ダディ父親が休みの日なのを思い出すと、彼は自分の葬式を心に想い描いた」と。そして、ブコウスキーこと、ヘンリーもまったくそれと同じことそれ以上のことを幼少期に体験する。彼もまた、しばしば失業状態にあった父親から剃刀を研ぐ革ベルトで打たれるという虐待を受けている。庭の草刈りを父親から命じられ作業後、ほんの少し芝が残っているといったような些細な理由で。後年のブコウスキー自身のインタビューによると、それは母親の黙認のもと行われ、父親は想像上の最小の犯罪で息子を殴打し続けた語っている。

『思春期の性』

どちらの作品も、自身の経験、自身がそれぞれ環境下のなかで、見たもの、聞いたもの、どれもそれを生々しく描いている。四文字言葉も臆面もなく、ふんだんに飛び交う。どちらの作品もそれを意図的に多くの分量をさいて細密に書き込まれているのが特徴といえる。ブコウスキーの「くそったれ!少年時代」には、意識的か無意識か性的な魅力をふりまく女教師を前に机の下であらぬことを繰り返すクラスメイトのような下ネタエピソードが延々これでもかと続く。良識人なら途中で投げ出すことだろう。そう、まさに、くそったれ少年時代!だ。本書の原題は『HAM ON RYE』(ライ麦パン・ハムサンド)だが、内容から邦題をそのようにしたと訳者の中川五郎氏のあと書きにあるが私もそれに大いに賛同する。そして、ミンガスの自伝には、先輩格であるベース奏者バディ・コレットの父親が若いミンガスに指南するところのヘタなポルノ小説より生々しいファッキング妙法が詳細に語られる。

『市井の人間に向ける視線』

さらに、その両者に共通するのは、その自身をとりまく環境、その市井の人間に向ける視線である。それは従属も従服もしていない。恐れてもいない。さりとて同化してもいない。客観的に見た冷めた視線である。ヘンリー・チナスキーは人嫌いであるがそこにいる人間たちをとことん徹底的に観察している。ミンガスの自伝も、ジョイスの「ユリシーズ」たった一日を細密に記録するようその時代の市井の人々の生活を克明に描きだしている。どちらも、相手の吐く生臭い息が感じられるような距離感で。
そして、何より、それら環境から受けた痛みから浮き上がってくる怒りである。不思議なことに、どん底、底辺の暮らしながら、ミンガスには楽器トロンボーン、後にベースが与えられ、(エルンスト・ハインリッヒ・ロートによるドイツ製・ここにもまたドイツつながり)ブコウスキーには、なぜかどうしてか不思議なことにタイプライターが与えられるのだ。そして、その怒りの闘志を音楽ジャズに、方や文学に変えていく。わずかな違いがあるとすれば、ミンガスには音楽を教える教師、先輩ミュージシャンの存在があったが、ブコウスキー、彼にノベルズ・物語を書くことを教える者はいなかった。彼はそれを独学で学んだ。同年代の二人が世に認められる時期で大きな開きがあるのはそれが理由といえるだろう。

二人がいたこの時代、1920年代、狂乱の20年代の終焉、自動車、映画、フラッパー、アールデコの頂点、イギリスに代わって世界の工場となったアメリカ、こうした経済の状況、技術の進歩にも関わらず、ミンガスのようなアフロ・アメリカン、新たにヨーロッパから新天地を求めてやってきたブコウスキー一家のような移民、怒りの葡萄のトム・ジョードのような出稼ぎを含む地方からの農民たちは、この期間、国から政府から、なんの恩恵も受けなかったと言われている。ただただむしろの上で貧困にあえいでいた。事実、ひと家族あたり、一年あたり2000ドルという貧困ライン以下で暮らす人々が何百万人もいたとう。
父親から剃刀を研ぐ革ベルトで打たれるという虐待を受けていた。ブコウスキーのインタビューには続きがあって彼は最後にこう答えている。
「私は、その不当な痛みを理解することで、それが後の私自身の執筆を助けた」と。
その痛み・・・、ブコウスキーやミンガスが父親から受けた革鞭による不当な痛みとは、それら二人の父親がアメリカから受けた不当な痛みでもあったことだろう・・・。

ミンガスの名言のなかに「単純なものを複雑するのは、ごく普通のことだ。複雑なものを単純に、とてつもなく単純にすること。それこそが創造というものだ」という言葉があります。
ミンガスはこの時代から、単純なものを、ただややこしくこねくり回して複雑にしている事例をたんとこさ経験してきたのではないでしょうか。困っている人間が望むものそれは決して複雑なものではないはずです。それはきっとシンプルなものに違いありません。愛が、シンプルなもののように。そして、創造こそが、ただただシンプルなものであるように思います。そのややこしくこねくり回した複雑な事象の数々に対し、ミンガスの音楽こそが、その怒りの先にある音楽的創造ということなのかも知れません。

ミンガスとブコウスキー、ゴツゴツいうようなベース、ゴツゴツいうような文体、怒り、エモーションこの両者は驚くほど似ています。ミンガスの自伝には『くそったれ!少年時代』というタイトルが似合いますし、ブコウスキーの自伝には、なにより『敗け犬の下で』でタイトルが相応しいとも思えます。そして、何より、チャールズ・ミンガスの音楽を知ることで、チャールズ・ブコウスキーの小説をより面白くし、またチャールズ・ブコウスキーの小説を読むことで、よりチャールズ・ミンガスの音楽をより面白くするのです。

『EAST COASTING BY CHARLIE MINGUS』


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