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田中角栄 日本列島改造論を読む

 今年(R5(2023).3)復刊された田中角栄の『日本列島改造論』を、先日買いました。
 個人的にぜひ読んでみたかった一冊で、半世紀ぶりの復刊により、入手しやすくなったことはありがたい限りです。
 その読書レビューを、交通、鉄道関係にさだめて、以下書いてみました。


日本列島改造論の概略


 『日本列島改造論』は、日刊工業新聞社より、高度経済成長期も終わりに近づいた、昭和47(1972)年に発刊された。
 この一冊のテーマは、様々なインフラストラクチャ―(社会資本)を、総合的かつ全国各地に配置・改良することにある。
 これを通じて開国や明治維新以来、経済発展の代償として続いてきた過疎、過密問題を解消する。および国土を均一に発展させることを目指した。
そのために、

・太平洋ベルトに集中している工業団地の、全国への分散的な整備
・旧来からの零細農家の撤退に伴い、農業の大規模化を推進するために農地の再編
・高速交通網の整備、情報化社会へ対応を挙げた。

国土総合開発法(昭和25(1950)年)の制定を初め、生涯を通じ手がけた数多の立法の、背景にあった彼の理念は、本書に凝集されているといえよう。

田中角栄 首相官邸ホームページより

交通インフラ増強・拡充への情熱

交通の整備、とりわけ新幹線網と高速道路網の普及に、同書では相応の項数が割かれた。
またにローカル鉄道は採算にかかわらず、維持すべしと主張している。
特筆すべきは、交通機関同士の結節を、角栄は重視したことである。このことは前後の文脈からして、貨物輸送が念頭に置かれていたといえる。とはいえ、その先見の明に驚かされる。
そして道路と鉄道、両方の整備を着実に進めるために、角栄は一般財源としての「自動車重量税」を創設を構想した。
青天井に、クルマと道路の普及・整備のサイクルを進めていけば、特に都市部では道路の面積ばかりが増えてしまう。それでは建物を高層化しても、公園整備による、ゆとりある都市生活が妨げられる。
ガソリン税などのように、自動車道路の建設・維持にしか使えない税収とは異なり、自動車重量税を一般財源として、一定のまとまった移動需要は、渋滞を吸収する鉄道に移そうとしたのだ。
貨物輸送では、大型車の無制限な走行を許せば、道路補修の費用も高くつく。そこで重量貨物に高い税金を課す(禁止税制)ことで、鉄道にシフトさせる(誘導税制)ことをもくろんだ。
なお、この需要を鉄道(国鉄)が受け入れられるようにするためもあって、整備新幹線計画を角栄は強調していた。長距離旅客輸送を新幹線が担うようになれば、在来幹線は線路容量に余裕が生じる。そこに貨物列車を増発させようと考えていたのである。

国鉄ローカル線の廃止・整理に反対した理由

角栄が託した思いは届かず、いわゆる「限界ローカル線」となっている路線は多い。 JR米坂線(H30.11)


 角栄はローカル線の廃止が、地域から人口流出など、路線単独の赤字よりも大きな「国家的損失」を招くとした。また道路交通の方が雪に弱いため、その除雪に、かえって手間がかかるとも主張している。
 当時から地方では過疎化が進みだし、その状況は俗に“三ちゃん農業”(とーちゃんは都市部に出稼ぎしているため、残ったじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんで地元の農業を支えている状況から)などといわれていた。それを食い止める手段の一つとして、幹線鉄道のみならず、ローカル線の維持・建設も大切であると角栄は説いたのだ。
 折しも国鉄の赤字問題が顕在化し、私鉄でも軽便鉄道を中心に淘汰が始まっていた。その最中でも、彼はその事業者が収益として回収できていない、外部経済効果に着目していた。
 しかしそのための、具体的な経済効果の回収方法、また利用の維持策にまでは、彼は言及するにはいたれなかった
 昭和39(1964)年に角栄の強い関与もあって、日本鉄道建設公団(鉄道公団・鉄建公団)が設立された。
これにより、少なからずの路線は国鉄の負担なしに建設されるようになったが、開業後の赤字は結局、国鉄自身が内部補助や債務によりあがなっていた。
 鉄道廃止による”国家的損失”に注目できていたにも関わらず、それを(適切な運営の仕組みづくりにより、利用の維持、定着ができれば)回避し得る鉄道に、どう還元していくのか。その対策は今一つとなってしまった。
 こうした点からも国鉄時代、東海道・山陽新幹線以降の新幹線の建設事業が公共企業体国鉄の所轄なのか、それとも国家として取り組むのか、あいまいになったゆえんがうかがえる。

むすびに 私見を交えて

 とはいえ、中央政府が各地それぞれの利用定着、促進策に着手するのには、根本的に無理があるといえよう。
後年制定された、『地域公共交通活性化再生法』(H19)においても、名実ともに「地域の足」として存続を果たすために、地域の主体的関与が求められている。
 せめてその大枠だけでも示せなかったか、との恨みも無きにしもあらず、である。だが我々には後知恵があるからこそ、それらが見つかると心得たほうがよかろう。
 地方自治体と連携した国土開発という方針は、半世紀を経た今もなお、魅力的に映る。
 角栄の失脚は国政より、俯瞰的・包括的なインフラ整備の観点を失わせてしまったとの評もある。
 先行的な投資を国家による積極財政をもって強力に進め、将来の経済活動を支える。角栄はこの点を強調してやまない。
 (もっとも当時は、為替がインフレ傾向であった。それにも関わらず、こうした先行投資を重視しすぎたゆえ、通貨発行を要請された日銀にとって、トラウマになってしまったとの指摘もある)

 翻って今日では、これはインフラ整備に限らず、“国の借金”ばかりが懸念される昨今への、鋭いアンチテーゼに私には見える。この点への見直しが、本書の復刊された意図ではなかろうか。
(了)

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