見出し画像

ただいま。温泉

勇気をだして温泉に行った。
私にとっては一大事なのだ。
何せ、3年ぶり。

乳癌になり片胸を切除した。
だから温泉には行かない。
行けるはずがないと思っていた。

でも、そんな思い込みは
捨てることにした。
人生は今を楽しまなくちゃ。
noteを初めてから、色んな人の記事を読んで
心からそう思った。
そして思うだけでなく行動するのだ!

近場にいい温泉施設があると以前、
友人が言っていたのを思い出した。
源泉かけ流しで露天風呂もあるらしい。

平日の朝イチなら人も少ないだろう。

この日は秋晴れだった。
施設を取り囲むように広がる雄大な山々が
実に美しかった。

営業時間10時少し前に到着すると、
常連らしきお客さんが数人待っていた。
10時ぴったりに玄関のドアが開く。
演劇の幕開けのようにドキドキした。


ここは脱衣所も清潔で、気持ちがいい。
訛りの強いおばさま達のおしゃべりが炸裂する。
地域に密着した施設であるのがよくわかる。
全員が浴場に行ったのを確認し、いざ浴場へ。

久しぶりの温泉の匂いに緊張が和らぐ。
ただいま。

温泉の独特の匂いは硫黄の匂いと思っていたが
硫黄そのものは無臭なんだとか。
正式には硫黄と水素が結びついた化合物「硫化水素」の匂いらしい。
しかもゆで卵が腐ったような匂いと表現するが、
腐ったゆで卵を嗅いだことがないのでよくわからない。



一番の難関は湯に浸かる前の身体洗いだ。
そうだ!
タオルを首に引っかけて無い方の胸を隠すか、
タスキがけにしたらいいかも…。
でもタオルは一枚しか持って来ていない。
じゃあ身体は手で洗うしかない。
急に面倒くさくなり開き直ることにした。

片胸しかない私をみたとしても、
誰ひとり興味はないはず。
開き直ると気持ちが楽になった。

ほうじょう温泉 ふじ湯の里HPより引用


念願の露天風呂に入った。
山々から吹く冷たい風が心地良かった。
薄緑色の柔らかい泉質が肌に沁み入る。

生きてて良かった。
癌を宣告された時、
生まれて始めて死を意識した。
でも、私はこうやって生きている。

そしてもう二度と味わえないと思っていた
温泉にどっぷり浸っている。

若いお母さんと女の子が入ってきた。
無邪気にお母さんとお湯をかけ合っている。
女の子の洗いたての髪からシャンプーの香りがした。

湯のなかで、心と身体がほどけていく。


サウナに入ると脱衣所にいたおばさま達が
声高らかにここでもお喋りしていた。
テレビの通販番組を見ながら、
アレはマズかった。
買わない方がいい。 
見栄えだけだ。 
ほんと、ほんと!
笑い声がサウナ室に響き渡る。

テレビモニターの横に
大きな張り紙が目の前に貼ってある。


「黙浴」



その後も湯の花がゆらぐ温泉を愉しみ、
胸のことはすっかり忘れていた。


湯上がりに脱衣所の洗面台で髪を乾かそうと
ドライヤーを手にした。

壁に貼られた謎の注意書きを発見。

「ドライヤーは髪を乾かす以外には使用しないでください」


髪を乾かす以外に何を乾かすのだろう?
あれこれ想像したが、ピンと来るものが無い。

脱衣所のトイレの張り紙。逆に入りずらいんですけど(笑)


せつない片胸の物語は結局何もなく
平穏な時間だけが流れた。


恐れ、
先入観、
コンプレックス、


そんなものは単なる
自分の思いこみ。



ふと指を見ると皺くちゃになっていた。
肌もカラカラに干からびている。
柱時計は午後1時を過ぎていた。
3年の月日は少しばかりの勇気で克服できた。
あっぱれワタシ。

火照った身体を抱きしめてやった。



#温泉 #エッセイ #乳癌 #思いこみ #温泉の匂い #硫黄の匂い #匂い #香り #勇気 #サウナ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?