恋愛エッセイ : 大きな愛で包んでいるのは女性の方だと思う(男よりも女性の方が精神年齢は上だと思う)

大学1年の時、所属していたサークルの飲み会で、
当時4年生だった女性の先輩が僕にこう言った。

「女は男を好きになるとその男のことを心配するのよね。 女の子に心配されたら、自分に少なくとも好意を持ってると思っていいわよ。女は何とも思っていない男のことを心配しないから。」

僕からすると
同じ男は、理解し同情し協力してくれる。
女の人は、心配し慰めてくれる。
同じ男は、援助してくれる。
女の人は、助けてくれ、大切にしてくれる。
僕からすると
援助と助けてくれるは少し違うと感じる。
助けてくれる方が精神的な意味合いが強いと思う。

この女性の先輩は、その時、こうも言った。

「女は好きな男に、素敵とかカッコいいとか頼りがいがあるという言葉を余り使わない。これ、褒め言葉だけどお世辞に近い。おじさんに立派ですねとか凄いですね、と言ってるのと同じ。女は好きな男にかわいいという言葉をよく使うよ。」

僕の世代のおじさん達は、かわいいと聞くと軟弱だと思う。男らしくなければならないと思っているような所がある。
そもそも、男らしさとは、潔さにも通じる
愛する人や家族のために犠牲になることも厭わない
自分の生に対する潔さだ。
見た目の問題ではない。果たして何人の男が、この
潔さを持っているだろうか?

女性が、かわいいと言う場合、何も見た目が女の子の様にかわいい男の子のことばかりを言うのではない。
その男の存在そのものを、かわいいと思っていることが多い。
男のことをよく知っている女の人や、男との交流関係の広い女の人は、男のこういうところがかわいい
とか、男は女に未練がましいからかわいいと言ったりする。

もう大分前の話だがお昼のバラエティ番組でタモリさんがゲストの方に
「男って、どんなに歳を取っても、気持ちというのは30歳位のままだよなぁ。」
と言った。タモリさんの言う通りだと思う。

僕は大学1年の時に一般教養科目として心理学の講義を受けた。女性の教授からこう教えてもらった。
〈男は小学校5年生 女は中学2年生〉
人間は歳を取るごとに人生経験を積んで、いろんなことを学び、考え方もっと言えば人生観、性格、
価値観を変えるあるいは進歩させる。しかし、根本である精神年齢というものは、男は小学校5年生、
女は中学2年生の時から変わらない。
だから、女は男よりも精神的に強い、男は精神的弱さを体力と見た目で補おうとする。

つまり、男はどんなに身体を鍛えても、如何に厳つく見せても、女の人には頭が上がらないということになる。
昔は男にとって有利だった。男にとって都合の悪い情報は女の人に対して遮断して、自分を有利にしておくことが出来た。
だが、今の様な情報化社会では女性に対して、都合の悪い情報を遮断することは出来ない。
精神年齢が上の女性の方が今は有利だ。それを古い価値観のおじさん達が必死になって抵抗を続けているだけだ。
村上龍さんがエッセイのなかで、男が女よりも優れている所は、重い物を持ち上げることだけかもしれないと仰っているが、そうかもしれない。

僕の個人的な考えにすぎないが、
男は男が本来持っている果たさなくてはならない義務、つまり、いざという時は自分が犠牲になって、
女性や自分の家族を守るという意思と実行力を持たないと、女の人に愛されない気がする。
男が本来果たすべき義務を認識し、それを実行出来る男は、女の人にとっては大切。だから、心配し、
助けてくれるのだと思う。
これは、僕もそうだが、娘を持つ父親も同じだ。
小学校6年生になれば、女の人は男よりも常に俗に言う大人だから、女の人が好きな男の存在自体を、
かわいいと思うのかもしれない。

見延典子さんが、早稲田大学の学生さんだった時に卒業作品として、もう方づえはつかない、という
小説を書いた。
後に、桃井かおりさん主演で映画化もされている。
2人の男の間を揺れ動く女子大生の姿を描いた作品だが、この小説を読むと、結果的に、この女子大生が2人の男を大きな愛で包んでいたことが分かる。
だから、女性を中心に多くの人々に支持されたのだと思う。

特に僕達の世代の男達多くは、常に女性に対して優位に立とうとしている。
僕からすると無駄な努力だと思う。
そんなことよりも、男が本来果たすべき義務を認識し、それが実行出来る様になっているか、よく考えてみるべきだと思う。
それが出来ないと思うなら、出来る様になるのが
最優先事項だと思うし、女性に対して優位に立とうという無駄な努力をしている時間などないと思う。









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