短編小説 : 電車のなかで僕の写真を撮った女の人

1980年、大学1年生の僕は先輩に紹介してもらい、国分寺にある会社でバイトさせてもらうことになった。
僕はアパートのある高円寺から中央線に乗り国分寺に向かった。

東小金井駅を過ぎて少しすると、武蔵小金井駅で
降りる人たちがドアの方に集まって来た。
僕は入口のドアの金属製の縦のポールの所に背を持たれて立っていたので、少し身体を縮めた。
武蔵小金井駅に電車が到着すると乗客が電車から降り始めた。ふと前方を見ると、1つ先のドアの所にいた20代後半位の背の高い髪の長い女の人が僕の方にカメラを向けていた。
僕が、えっ?と思った瞬間、カシャッというシャッター音がした。
僕がビックリしていると、その女の人は電車を降り
そして僕の方を見てニコッとすると階段を上って行った。
僕は自分の周りを見回したが他にカメラに写るような人はいなかった。
僕は、何だったんだみたいに思って、次の国分寺駅に向かった。

その3日後、アパートの部屋の郵便受けに白い封筒が入っていた。僕の住所と名前は書いてあったが、
差出人の名前はなかった。
封筒のなかには、あの女の人が電車のなかで撮った
写真が1枚入っていた。
何のメッセージカードもなかった。
どうしてあの女の人は僕の名前と住所を知っているのだろう、と思った。
そして嫌な予感がした。

その3日後、また白い封筒が届いた。
また写真が1枚入っていた。僕が吊り革をつかみ 
中央線の電車に乗っている写真だった。
写真の背景から武蔵小金井駅で撮られたものだと分かった。
次の日の土曜日、僕は武蔵小金井駅へ行った。

僕は中央線下り線のホームに行き、送られて来た写真を見ながら歩いた、そして、ここだ、と思った。
あの女の人はここで中央線に乗っている僕の写真を撮ったんだと思った。
僕は武蔵小金井駅周辺を歩いてみることにした。
偶然に会うことは殆どないということは分かっていたけれど、何らかの手がかりが欲しかった。
2時間ほど歩き廻ったが、当たり前の話しだが、
その女の人と出会うこともなければ、何らかの手がかりを掴むことも出来なかった。
僕はアパートに帰ろうと思い、中央線上り線のホームに行きベンチに座った。 
疲れがどっと出た。
直ぐに電車に乗る気になれず、ベンチで少し休むことにした。

ベンチに座って遠くをぼんやりと眺めていると、
小さな女の子を連れた若いお母さんに話しかけられた。
「あの〜、すみません。髪の毛の長い綺麗な女の人にこれを渡すように頼まれました。」 
その若いお母さんがくれたのは、僕がいつも行っているハンバーガーショップの袋だった。
「これを渡すように頼んだ女の人は?」
「今出た上り線の電車に乗って行きましたけど。」

僕は諦めてまたベンチに座った。
ハンバーガーショップの袋の中を見るとメッセージカードが入っていた。
こう書かれていた。

私は矢島玲子、27歳よ。
鈴原くんは大学1年生だから18歳? それとも
もう19歳になったかな?
誕生日が分からないのよ。
鈴原くんが好きな月見バーガーとフライドポテトとアイスコーヒーを買っておいたから食べてね。
お腹空いたでしょ?
PS.
私は武蔵小金井駅周辺には住んでいないわ。

どうして僕が月見バーガーが好きなのを知っているのだろう?
僕は監視されている、そう思った。
とにかく喉が乾いていた。まさか青酸カリが入っていることはないだろう、と思いアイスコーヒーを飲んだ。
そして月見バーガーを食べながら、自分の無力感を感じていた。

気晴らしに吉祥寺駅で降りて映画を見た。
高円寺駅に着くと僕はよく行くラーメン店に入り
大好きな長崎ちゃんぽんの大盛りを食べた。
アパートに戻ると睡魔が襲って来た。
僕はそのままベッドに横たわり眠ってしまった。

日曜日、僕は知り合ったばかりの同じ大学の1年生の女の子と渋谷の街をデートした。
一緒に夕食を食べ、彼女を駅まで送りアパートに帰ると、郵便受けにまた白い封筒が入っていた。
中には僕が長崎ちゃんぽんを食べている写真が入っていた。
そして、小さなメッセージカードが入っていて、
ゆっくり落ち着いて食べないと身体に良くないわよ
と書いてあった。
それ以上に驚いたのは、封筒に住所も書いていなければ、切手も貼られていなかったことだ。
矢島玲子は自ら僕のアパートの郵便受けにこの白い封筒を入れたことになる。
僕はアパートのドアと全ての窓に鍵がかかっていることを確認し、枕元にアウトドア用のアーミーナイフを置いて寝た。
その日の夜はウトウトとしていただけで眠れなかった。
それから金曜日まで、白い封筒が入ることはなかった。

土曜日の午前中、僕は池袋のデパートに買い物の行った。お昼を食べ午後の2時頃アパートに着いた。
部屋に入って直ぐにえっ?と思った。
部屋の中が綺麗に掃除されていた。洗濯物が干してあった。僕の部屋は2階にあったが、小さなベランダには布団が干してあった。
母親が上京するという連絡は来ていなかった。
僕はリビングのテーブルにある手紙を見つけた。
その手紙にはこう書いてあった。

お掃除とお洗濯をしておいてあげた。
お布団を干したことないでしょ?
夕方まで干しておいて。
私が何処にいるか知りたい?
お布団を干してある窓から少し離れたマンションを見てみて。

矢島玲子

僕は布団の干してある部屋から白いマンションを見た。僕の部屋の丁度真正面の2階の部屋の窓から
髪の長い矢島玲子が望遠レンズの付いたカメラで
僕の方を見ているのが見えた。
僕はアパートを出て白いマンションに向かった。
エレベーターは使わず階段を上り、その部屋のドアを握ると鍵がかかっていないのが分かった。
ドアを開けると矢島玲子が腕を組んで微笑みながら僕を見た。
僕は部屋に入り、どうやって僕の部屋に入った?
と言った。 

「ねえ、鈴原くん、そんなに怖い目をしないで。
私は女なのよ。鈴原くんのアパートの管理人さんに鈴原と申します。いつも弟がお世話になっています、と言って菓子折りを渡して、弟の部屋の掃除をしたいんです。
と言ったら合鍵を渡してくれたわ。
ねえ、鈴原くん、君は今回の件に関して、何ひとつ有効な手段を見つけられなかった。
私の勝ちよ。男らしく負けを認めなさい。
それより、今私、鈴原くんが大好きなパンケーキを3時のおやつに焼こうと思っていたところなのよ。」 
「さっきから何好き勝手言ってるんだよ!」
「ねえ、そんな怖い声を出さないで。今も言ったでしょ、私は女なのよ。
鈴原くんが好きなダージリンの紅茶も淹れてあげるから。ねえ、私の言う通りにするしかないのよ。
鈴原くん、私の部屋のドアをノックもせずに開けて私の許可も取らず部屋のなかに入って来たわよね。ここを見て、防犯カメラが取り付けてあるの。
鈴原くんがやったこと全部写ってるわ。
鈴原くんが急に私の部屋に進入して来て、私を襲った、と言ったら皆信じてくれる。
そうなったら鈴原くんの人生は終わりよ。
さあ、椅子に座って、パンケーキ焼いてあげるから私の作るパンケーキは美味しいのよ。
意外と頑固ね、座りなさい。鈴原くんに襲われたって皆に言っていいの?」
僕はキッチンのテーブルの椅子に座った。
「パンケーキにバニラのアイスとフルーツを添えてあげるからね。それから、明日、バイト辞めて来て、学生は勉強に専念すべきよ。私はこれでもプロのカメラマンなの。お金はあるから、鈴原くんは
お金のことは心配しないで一生懸命勉強して。
それから、月曜日からお弁当を作ってあげるからね栄養バランスの取れた物を食べて欲しいの。
それから大事なことを言うわよ。この間の日曜日にデートした女の子と月曜日に別れて来て。キスしたら、どうしようってハラハラしていたわ。
別れないと私が皆に何を言うか分かるわよね。
ねえ、厳しいこと言っちゃったけど、私たち幸せになりましょうね。」
矢島玲子がダージリンの紅茶と一緒にパンケーキをテーブルの上に置いた。
矢島玲子の顔には勝利の微笑みが浮かんでいた。
僕は矢島玲子の言う通り、何ひとつ有効な手段を思いつくことが出来なかった。





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