エッセイ : お正月料理を見ていて思うこと ジビエ料理を食べて育って良かったと思うこと

お正月の料理を食べながら思った。
お正月の料理は御節料理が代表だが海産物を多く使っている。
僕が住む長野県は海のない県だ。
僕が子どもの頃の昭和40年代まで、海のない長野県の人たちにとって海の生魚は貴重品だった。
魚と言えば、鯉や岩魚や鮎のような川魚や湖に生息している魚をメインに食べていた。
鯉の甘露煮や鯉のアライと呼ばれる鯉の刺し身が冠婚葬祭の料理とされていた。
海の生魚、所謂刺し身というものは、今のように
交通網や物流網が整備されていなかったので、
貴重品且つ高級品で、年に数えるほどしか食べられなかった。
お寿司屋さんは高級料理店だった。

だから魚ではなく肉が貴重なタンパク源だった。
馬肉はよく食べた。馬刺しだけではない、馬肉の
すき焼き、馬刺しのステーキも食べた。もつ煮も
馬もつだった。
豚肉は時々食べたが、牛肉は高級品であったため
滅多に食べることは出来なかった。
そのため、父の実家は長野県の南の地域、南信地方と呼ばれる所にあって農業をしていたが、鶏を常に20羽位飼っていた。
雌鳥は卵を生むために飼っていたが、雄鶏は食べるために飼っていた。
卵は全部食べず、幾つかは孵化させ雌鳥は卵を産ませるために、雄鶏は食べるために世話をしていた。
だから、父の実家では、すき焼きは、この雄鶏を締めて捌いた肉を使った鶏肉のすき焼きだった。

それ以外にも山の動物たちの肉を食べていた。
今で言うジビエ料理だ。
子どもの頃、父の実家で熱を出した時、祖母は僕に山羊の乳を飲ませてくれた。牛乳よりも栄養価が高いからだ。ただ山羊の乳には臭みがある、僕は我慢して飲んだ。祖父は裏山に罠を仕掛け野ウサギを捕まえて来て、栄養があるからと言って味噌焼きにして食べさせてくれた。
長野県の南の南信地方では、その頃猟師さんが沢山いて、鹿肉をよく食べた。
鹿肉は臭みがなく美味しい。
そして猪の肉も食べた。猪は大きな獲物のため、
猟師さん達が集団で協力して猟をする。
皆で猪を追い、1番ベテランで腕の良い猟師さんの居る所に逃げさせる。
1番ベテランで腕の良い猟師さんが1発で銃で仕留める。
猪の肉はボタン鍋という鍋料理にして食べるのが
一般的だが、肉に臭みもなく美味しい。

僕は社会人となり就職し、海外営業部に配属となり
欧州に出張に行くようになった。
当然フランスにも行った。
フランス料理というと皆豪華な美味しい料理だと思うが、日本で食べるフランス料理は日本人の口に合うようにアレンジされている。
フランスでは料理の食材に鹿肉を使うのは普通のこと。子牛や子山羊の脳みそも食べる。エスカルゴ、
つまり、でんでん虫も食べる。
僕はジビエ料理を食べて育ったので食べられない物はなかった。エスカルゴも食べることが出来た。
1回、フランスの地方の町に行った時、食事に
山羊の乳で作ったチーズが出て来た。ブルーチーズよりも凄い臭いだったが、山羊の乳を飲んだことがあったので食べることが出来た。
お客様は、このチーズを食べた日本人を初めて見たと言って喜んでくれた。
人間、どんな経験が役に立つか分からないものだ。
僕はジビエ料理を食べて育って良かったと思った。

長野県ではよく料理に酒粕を使う。
僕の母が父と結婚して初めて父の実家で正月を過ごした時のこと。父の実家の正月料理のメイン料理は 出世魚のブリの粕汁だったという。
ひとくち食べて母は、とても美味しいとは思えなかった。だが父の実家のお母さんが作った料理だったので、食べ残すことは出来なかった。
母は涙が出そうな思いをして全部食べたという。
そして、私は大変な所にお嫁に来ちゃったと思ったと言った。
僕の奥さんも、僕の母が作った料理には独特な田舎料理もあったので、とても美味しいとは思えない物もあった。
でも奥さんも我慢して全部食べた。
何処に行っても美味しい正月料理が食べられる、
今の若い女の人たちは幸せだと思います。






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