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残酷異常虐待物語 元禄女系図(1969)

残酷異常虐待物語 元禄女系図(1969、東映、93分)
●監督:石井輝男
●出演:橘ますみ、葵三津子、賀川雪絵、カルーセル麻紀、小池朝雄、吉田輝雄

土方巽による舞踊から始まるタイトルバック。

エログロのショーケースのような異常な世界観は、これから始まる映画は凡百の時代劇とは全く違うということを示している。

吉田輝男演じる町医者がストーリーテラー的ポジションで、三つの話を幕間なくつなげていくオムニバス形式というのは『徳川女刑罰史』等と同じ構成。

明示はないが、第一話が残酷、第二話が異常、第三話が虐待ということなんだろう。

橘ますみ演じる健気な娘おいとが悪い男に騙され吉原に売られ最後は死んでしまう残酷なほどに悲しいストーリー。

うまく恋仲まで持ち込まれたシーンでは、足元や頭上に染めた帯が干してあるような背景になっていて幻想的で美しいのだが、「解かれた帯」=破られた貞操を示している。

吉原での女騎馬戦の迫力はもう今の世の中、一般映画はもちろんAVでさえ再現不能だろうと思われるリアリティと迫力。「ここもうフェリーニ超えてるな」と見ながら思った。

カルーセル麻紀は普通に女の女郎役として出てくるが、この後のアブノーマル全乗っけ展開考えれば、そういう両刀要素を入れてもいっそ良かったんじゃないかと思った。

おいとが脱走して男に会いに行くも見つかり縄で縛られ折檻を受けるが、このシーンでは雪が降っている。

その雪は厳しさや辛さを強調する意味合いよりも画的に少しでも華を、雪の華を降らせて彩っているようだ。

その後、身ごもった子と共に命を失ったおいと。

死んだ花魁は百本杭に捨てられるしきたりということで、改心した男が「どうすればおめえに詫びができるんだよ」と言いながら雨の中、水に沈んでいく樽を映しながら終わる。

雪のシーンの直後に雨というのは季節感的に多少アレ?という違和感があるような感じがする。

別にどちらの場面も雪も雨もなくても成り立つのにわざわざそうしているということは必然的な意図がある。

改心した男の「雪解け」を表すと同時に、それでもあまりに時が遅すぎたことの悲しみの涙も表していると捉えるとこの辺の演出は本当に素晴らしい。


第二話の主役は越後屋の娘おちせという、言ってみれば金持ちの娘。

SMがテーマになっているが、単なるSMではなく畸形の小人2人にいたぶられた後、SとMを逆転させ今度は自分が鞭でバシバシひっぱたきまくる。

吉田輝男が催眠術まがいの手法でトラウマを告白させると、以前顔面が焼けただれた醜い男に強姦されてから、普通の男では満足いかない体になってしまったのだという。

この女の異常性欲は、かなり闇が深く「心と体が言うことを聞かない」という台詞にもあるように現代的なテーマと言えなくもない。

さらに奉公人の長吉という男が、おちせが浮浪者やら黒人やらとアブノーマルセックスに耽るさまを耐え忍んでいるという構図にも目が向けられており、こちらを軸に捉えると「愛しいお嬢様が汚い男たちに抱かれている」という寝取られマゾ的要素も押さえている。

思い余った長吉は自ら顔を焼き鏝で焼くという展開は谷崎の『春琴抄』を彷彿とさせる。


第三話は小池朝雄のキチガイ殿様っぷりがハマりすぎて女優が脇に追いやられてしまっている感が否めない。

赤い衣を纏わされた女中たちの群れの中に牛の角に松明つけて放ち、「牛は赤い色を見れば猛り狂うのじゃ。脱げ!脱げ!」とか言いながらさらに弓矢まで放ちまくるとやりたい放題。虐待のレベルではない。

これは闘牛っていうより木曽義仲の火牛の刑か!?映像で本当にやってるところを始めて見た。

その後は皮膚呼吸できなくなって死ぬという噂の金粉プレイ、さらにin 鏡地獄。映像の力。

縄縛りなどもう当たり前すぎて書くのを忘れていた。他には狆(チン)でバター犬とか変態プレイのオンパレード。

最後には殿と妾の間にできた子供が実はその女は殿の子だったと発覚(近親相姦)、その腹子が人間か畜生か確かめてみると狂いだした殿が腹を裂くという暴挙に出る。

作り物とはいえストレートに腹を裂いて赤子を取り出すシーンは今の視点で見てもなかなかにショッキングである。

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