世界はすでにアップデート済み(万たるワンダラーの方々へ)



みなさん、体調はいかがでしょう、
お元気でお過ごしのことと願います。

[日々の暮らし] …その営みの夕暮れ時を感じ、
世界が急速に閉じていくような夜の訪れを
まさに[見ている]方も多いかもしれません。

でも、門は開いています。
いま暫く、持ち場をお守りください。
ご存じの方も多いかと思いますが、
もしかしたら、現状に耐えていらっしゃる方も
中には居られるかもしれないので、
既になされた、その一端を残しておきます。
これは昨年、夢に表れたひとつの側面です。


2022.7.27


彼が言うには、今年(2022)、世界は既に新しいシステムにアップデートされている。

去年のやり方、考え方ではうまくいかずエラーになってしまう。

それが出来事や現象として、見た目には人為的なミスや杜撰さが引き起こした失敗や大きな事故、今まではうまく隠されてきた謀がすぐに露見してしまうという形で社会に表れてくる。

個人的には、今までのやり方が通じずに苛立ったり、困惑したり、結果が思うように出ずに立ち行かない、という経験となって現れてくる。

物事を見るときの概念自体を新しいものにしていかなければ、起きている事が理解できなくなっていく…というようなことだったか…?

では、それが出来ない人はどうなっていくのか、という質問に対して。

システムの方が先にアップデートされていても、暫くの間は古い仕組みと互換性が利くので、ワンクッションのタイムラグはあるけれど何とか生活もできるし、古い概念を適用して物事を受け取ることもできる。

ただ、システムは人間の都合ではなく、世界の在り方そのものを変えているので、因果関係により起きてくる現象のレベルが今までとは違うものになる…変わるのだということを理解しなくてはならない。

波動領域の方では物質化や想念帯による干渉のタイムラグが起きない分、直に、それこそ瞬時にシステムの更新が浸透するので、因果というもの自体の概念、在り方は既に新しいものに変わっている。当然、その関係性で起きてくる現象も今までとは違う形になっている。

しかし、旧来の感覚では、起きた事が因果関係によるものだと認識することが更にずっと難しく、むしろ殆どが全く無関係な形で目に映ることになるだろう。点と点が繋がる箇所が変更され、各々の振る舞い自体も変わっているため、古い価値観で従来のように因果関係を辿ることが出来ないからだ。

すると、人はなぜそんなことが起こるのか、なぜひとつひとつの出来事にこんなにも混乱が伴うのか、という感覚に陥ってしまう。新たな認識と感覚を持てば、それらは不思議なことでも無秩序な現象でもなく、ただのフィードバックとして受け取ることができるのに、だ。

だから価値観という固定されたモノサシを採用するのは早急に取り止めて、なるべくこの変化に対応していける柔軟な視野と理解力を養わなければならない。変わり続ける環境や世界に執着するのではなく、自分の人生に集中して、人を愛し、軽やかな気持ちで物事を受けとり、そして軽やかに与えていく生き方を模索してゆく方がずっと混乱のない世界で暮らせるだろう。

過去の教訓や経験がそのまま通用する時代ではなくなってしまったのだ。

受け入れがたいかもしれないが、それが、今、起きていることだ。

目に映る出来事は混乱の様相を呈しているかもしれないが、見る目の方をアップデートすれば、そこには新たな秩序と軽やかになった世界が発見できるだろう。

アップデートされたものは、総じて古いバージョンよりも軽くなる。
人の感情も因果の絡みも、そのものが今までよりも全体的に軽くなっていることを感じ取る必要がある。

今日まで、深く重厚なる存在として恭しく扱われてきたいかなるものでも、今後はただ重苦しく窮屈で、中身を伴わない空虚な権威の象徴に感じられ、もっと軽やかで自由なものを心が望んでいることに気づくかもしれない。
それは、歴史そのものを生きた人々の、過去の想念自体が軽くなってしまったからだ。

同じように、到底望めないだろうと思っていた未来の姿が、そんなに不可能とは思えない身近なものとして感じられるようになるかもしれない。
それは、出来事が現実化する過程に起きる摩擦そのものが軽くなっているからだ。

見えている現実はフィードバックされた質量が象った、もののひとつの見え方、見え方のひとつであり、ある現象とは、幾つもの要因が織り成す出来事のひとつの側面でしかない。

それらすべての要因の在り方…質量と言ってよければ質量そのものが軽くなっている。するとそれらの振る舞いや運動の関わり方も当然変わってくるわけで、見えた現象そのものは今までと変わらなくても、その内容や質、因果関係が今までのものとは違っている可能性が高くなっている。外箱は変わっていないのに、いつの間にか中身だけが違っている…という、受け取る側にとって混乱や怒りを伴う行き違いや勘違いを量産し、非常に紛らわしい取り違えが至る所で起きてしまうだろう。

なにしろ我々にとっては、実質的に重力が弱まるということが起きている。
それが数字に現れていないのは、単なるタイムラグの範疇にすぎない。

我々の認識がシステムに追いつき順応しなければ、そのうち様々な不具合や異常現象、異常気象として認知されるようになってしまう。
平たく言えば、世界に置いていかれるということになる。

いずれ、心を重たくしたままでいると、軽くなった世界に対して、その比重でどんどん沈んでいってしまう。そうすると今度は浮上する為に膨大なエネルギーを必要とすることになり、自分自身で賄えなければ人を巻き込むことになってしまう。今後、起きてくるだろう現象として懸念されるひとつには、そういう人々の混乱や苦しみも含まれる。

それは過渡期には避けられないこととして、過度な恐怖や不安を持たずにやり過ごすしかない。そして自分の心を一新する方に注力する方がいいだろう。

古いものは、その時その時代に与えられた役割を全うし去ってゆく。
そして組成を変え、新たな役割を担い、違う形で世界に現れるかもしれない。
それが循環というものだ。

自分たちが生きている間にその転換点が起きてしまうというのは、昨日と明日が続いている者にとっては納得がいかないかもしれないが、結局、それを受け容れられるかどうかなのだ。

古いコンピューターや端末は新しいシステムに対応していないが、(難しい単語で失念)専用のソフトや機能をいったん挟んで処理をすれば、最新の画像を何とかその画面に映し出すことができることもある。しかし、それは解像度や情報が縮小されていたり、省かれていたりと、元のものと全く同じというわけではない。

永遠に同じやり方は続かない、いつかはシステム側からのサポートもされなくなる。

一方で、乾いたスポンジを水に着けたときのことを想像してほしい。

ひとつのスポンジがあって、そのスポンジが乾いていれば、その角を水に着けたとき、その場所はすぐに水を吸い上げる。でも角から水を吸い上げ続けたとして、スポンジの反対側、すべてに水が行き渡るまでは少し時間がかかる。

その間、先に水を吸った部分と乾いた部分には性質に違いが出る。だけど最終的には全体が水を吸ったひとつのスポンジになり、前の乾いたスポンジではなくなる。

それが、今起きていることなのだと…という感じの話だった。

そこでわたしは面白い喩えだなぁと思うのと同時に、あぁ、二極化するのではなく、ちゃんと人類は全体として扱われるんだなと安心もした。



…という内容の夢でした。
これは、わたしに直接話されたことではなく、どうやらその界隈ではとても有名な方のYou Tubeのライブ配信の中で公開されたものです。その場に直接電話を掛けて、1時間くらいかけて話された内容です。
なので、夢の中では沢山の人がこの話を聞いていましたし、その配信者の方も話を途中で止めたりせず、時には質問などして、最後まで彼の話を配信してくれました。













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