ゾンビだけの世界になったら

エニーバニー 富島春です。

タイトルにもなっているゾンビ。
基本的には人に噛みついてその傷口からゾンビウイルスなのか、血なのかわからないが、何かを入れて人間をゾンビへと変えてしまう実際にいたら恐ろしい存在だ。
そんなゾンビといえばやっぱり映画。
この世にはゾンビ映画が腐るほどある。
そして僕は何本かゾンビ映画の有名どころを見て気付いた。
全ての人類がゾンビになってしまった映画を見たことがないと。
もしかしたら僕が知らないだけであるのかもしれないが、、
そこで僕は、全人類がゾンビになってしまった後のことを考えみた。
(ゾンビのゲシュタルト崩壊を起こしてしまっていたらすみません)

まず1つ。ゾンビが目的を失ってしまう。
人間を追いかけて噛みつき、ゾンビにする。それがゾンビの一番の目的のはず。
だがしかし、人間がいなくなってしまったら追いかける対象もいないし、ただただ歩き回るしかない。

次に、ゾンビ全員が人間がいないことを確認したら、一旦喜ぶ。
心の中で、「イェーイ!人間がいなくなった!!!」と。
追いかけるときに上げている両手でそのままハイタッチするだろう。
だが、ゾンビ達が喜べるのも束の間。
一旦喜ぶのはいいが、急に自分たちの存在意義を見失い、やる気や活気がなくなってしまうだろう。所詮は人間をゾンビに変えることしか能がない。
俺たちは人間を追いかけるしかやることがなかったんだ、と言うことに気づく。
所謂、トムとジェリー状態だ。
追いかけて遊ぶのが楽しいのであって、殺したり食べてしまったらそこで終わり。
そんな状態になってしまう。
そして、そんな状態が数ヶ月続くと、ゾンビたちの中でもまだゾンビ味、ゾンビ臭が弱い人間寄りの奴を、ゾンビ味が強いやつがもう一度襲うという現象が起こる。
「すれ違ったら軽く会釈するゾンビ」「家に入る時靴を脱いで、出船の形に並べるゾンビ」「雨が降ってきたら、掌を上に向けて確認するゾンビ」など、そんな奴等は狙われてしまう。
そうして行くうちに、ゾンビの中でもカーストができ「お前気持ち悪いな」と言った、側から見たら同じだよ!と言いたくなるような状況も生まれるだろう。

次に、ゾンビ同士で子供を作るようになったり、言葉を話せるようにもなったら、ゾンビの子供(ゾンベイビーとでも名付ける)が「ねえママ〜、人間ってほんとにいたの〜?」と言う会話が行われても不思議ではない。
でもそれも仕方ない。もう人間は歴史上にしかいないのだから。
そうしてゾンビにも感情が芽生えてくると、ゾンビは病んでしまうだろう。
「俺たちは死ぬことができないのに、なぜ生きるのだろう」
「俺たちはどのように生まれて、どのように死ぬのだろう」と。
元々悪い顔色も次第に悪くなって行くだろう。
しかし、哲学的になってしまうのも仕方がない。その答えを誰も教えることができないし、殺してあげることもできないのだから。
ホスピタリティならぬ、ゾンビタリティという言葉も生まれるかもしれない。

だが悪いことだけではない。ゾンビになる前の人間だった頃。顔がゾンビみたいとゾンビいじりされてたやつは、ゾンビいじりをされずに済むのだから。
なぜなら、いじってたあいつも今は本当のゾンビだから。
想像するとキリがない、全人類がゾンビになってしまった世界。
ああ、恐ろしい恐ろしい。
もしかしたらこれを読んだあなたの後ろにもゾンビがいるのかもしれません、、、

は?






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