論語 先進5 愛も信頼も感覚として軽くなる。

 南容は詩経にある白圭の詩(大雅、抑篇)を何度もくり返し口ずさんでいた(白圭の美玉は、もし欠けても、磨いてもとに戻せるが、人の言葉の過ちは、一度口にしたら取り返すのが難しいという内容の詩)。
 孔子先生は、このように言葉を慎むのであれば大丈夫と思い、兄の娘を嫁にやられた。

野中根太郎(訳)(2016)『全文完全対照版 論語コンプリート』 誠文堂新光社

 信頼の話である。お金を摘んでも信頼を得る事は出来ない。勿論保障という形や代替手段としてお金を使う事は出来るのだろうが、それは信頼ではなく洗脳に近いのではないだろうか。
 
 言い方や概念を増やすのはあまり好きではないが、お金がきっかけの縁があっても良いとは思う。しかしお金だけを根拠にして付き合いの維持を信頼という言い方はいかがなものか。

 言葉遊びや概念の名づけ方に寄っている気もするが。

 といってもお金は非常に大事なものである。借りた、貸したで関係性が崩れる事もあるし、必ずしもお金が返済されなくても関係性を継続するべきであるとも思わない。
 人間関係は一つの要素だけで成り立っているものではない。友情、信頼、愛という要素は綺麗に見えるし重要視される。勿論信頼関係の形成にお金という物も存在するのは否定しない。

 単純に金額を積んだ程度で個人として信頼を買えるわけではないという事だ。仮に失った状態が回復したとしても同じ状態ではないだろう。
信頼そのものに代替されるのではなく、それ以外の手段として用いることが出来るか可能性があるという話である。

 さて、信頼においては行動もあるのだろうが、発言の方が多いという事だろう。普段から悪口を言っている人はそれだけで近寄りたくないだろうし、信頼しようとも思わない。ここで都合の良い悪口を言うという事は別なところで悪口を言っている可能性が予想できる。
 
 まして現代においてはスマホを皆が持ち歩いているので、全国に伝わる拡声器を持っている状態である。リスクしかない。

 常識的に距離をとる事意外に何かをする必要はない。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?