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元鬱病、気が合う理由に驚く

大学一年で強制的に受けさせられる第二外国語。そこで、たまたま同じ講義を受けていた同学年の人と仲良くなった。

出会った当初は、溌剌としていて、いつもおしゃれで、運動神経がとてつもなく良いその人との共通点はなかった。名字は知らないし、名前も漢字は書けないが、周りが呼び合うことで知る音でそれぞれの名前を覚えて、なんとなく昼飯を食べる6人くらいのメンバーのうちの一人だった。

なのに、なぜか仲良くなれる予感がした。そして、相手もそう思っていることを傲慢にも感じ取っていた。

そんな8年来の付き合いの友人が住む町へちょっくら週末に旅行へ行った。(そう、直感は案外当たるのだ。我々は実際仲が良い。)

旅行中も「ドレッサーと同じくらい必要のない家具は何か?」「先住民族の保護地区で人為的に白塗りされた場所は軍施設ではないか?」「台風が想定されない地域は壁がないから、今後気候変動の影響で沖縄の石垣は変容するのではないか?」「対象が分けられた同じ目的の器具を揃えることは余裕があることの証拠ではないか?」「けん玉をうまく扱うには手首を動かさず、膝を動かすのがコツなのでは?」はなどと1年ぶりに会ったのに流暢にお互いが疑問に思うことをつらつらと話し合う。我々はマイナーな観光地へ行くのが好むが、心動いて思わず写真に収める対象物が似ているのも心地よい。

時は戻るが大学3年の春。我々二人の共通の人間が恋人と付き合って一年記念日を迎えた。くしゃみをすれば吹き飛びそうな弱々しい繋がりのメンバー内でお祝いの色紙をサプライズで用意していた。キャピキャピした女子2名が私のところへ来て、お祝いメッセージを書くようにねだる。「そういうの、する主義じゃないんだ、ごめん」と返し、断った。顔面蒼白になる女子二人。

中高生じゃあるまいし、一年付き合うなんてざらにあるのに大学生が色紙など用意して祝うのが薄寒かったのだ。それは私の社会不適合な、今では思わず苦笑してしまうエピソードだが、夕御飯を食べている時に友人に蒸し返された。「あの時さ、君は色紙に書かなかったでしょ?あれ、私も書いてないんだよ。」

衝撃の事実である。陸上部キャプテンで輝かしい経歴を持つ明るくて賢く優しい君と、なぜ何にも所属しない孤独な流浪の私が同じことをやっているのか。「は?!まじ?なんで?あの記念日サプライズ色紙を拒絶したの私だけかと思ってたんやけど」と聞き返すと「だって本当に理解できないから。今でも同じことをすると思うよ」と真顔で返してくる。

あぁ。と、合点がついた。我々が直感でわかったこと。それは嫌いなものが著しく似てるのだ。だから毎年行く旅行だって、まず重視することは人混みを避けることだし、お互いが気持ちよく過ごせるように、夜ごはん以降は干渉しない。なんなら違うホテルに泊まる。

君となら、普段思ってる違和感や、専門性の高い話も、好奇心の弱い人なら邪険にする宗教や戦争や政治の話も。できるんだよ。なぜなら我々は嫌いなものが似てて、それを避けて会話ができるから。

君といて、嫌な気持ちになったことがない。それは偏に君が気を遣ってくれている部分も大いにあるのだろうけれど。

さぁ、次はどこに行こうか。

明日も自分に優しくできますように。

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