見出し画像

カレーパンノススメ

 日本で初めてカレーパンが販売されたのは、昭和2年(1927)。深川名花堂、現在はカトレアと呼ばれるパン屋さん。いま私たちは、コンビニやスーパーで、当たり前のようにカレーパンを頬張ります。その味や形状のイメージがピンと来るくらい、日常に浸透しているカレーパン。その原型が、ここ深川名花堂です。
 戦前における日本人の生活は、どこか暗くて地味で、常に我慢を強いられたような灰色っぽい印象です。あまり華やかなことを学校では教えてくれませんでしたからね。
 どこかのA新聞社が作ったコピー「欲しがりません、勝つまでは」が強烈すぎて、どうも戦前までそんな印象になってしまうのでしょう。
 しかし、カレーパンが誕生するくらいだから、庶民の暮らしはそれほど陰鬱なわけではなかったようですね。

 

 当時、カレーパンは〈洋食パン〉と呼ばれたそうです。カレー南蛮が誕生したのは明治41年(1908)。それ以前は高級洋食であったり、海軍食だったものが、ぐんと庶民的になったのも、明治後期です。カレーパンの誕生した昭和2年には新宿中村屋で純インド式カリ・ライスが販売されたそうですが、庶民に手の届く値段ではなかったそうです。深川名花堂で洋食パンが実用新案登録をしたことで、今日におけるカレーパンの元祖と呼べることになるわけですが、この誕生時期は、関東大震災の後という世相も影響していたそうです。
 夢酔はカレー、好きです。
 みんな、好きですよね。美味しいですもの。
 なので、わざわざ行ってみました。江戸東京博物館から、てくてくてく……気になると、呼ばれもしないのに、わざわざ推参するのが夢酔の善(わる)い癖です。

 平成21年(2009)1月25日、はじめてカトレアを訪ねました。当時、日本赤十字病院看護婦・萩原タケを主人公にした作品「聖女の道標」を地方新聞で連載していました。新聞紙上ではカットされましたものの諦めきれず、単行本化に際しこのカレーパンを作中に登場させました。
 せっかくなので、その部分を紹介してみます。

「義姉さま、痩せましたね」
「馬鹿をお云いでないよ。こうみえても私は千鶴さんの拵えた三度の食事を残したことはないんだ」
「それじゃあ、帝都の味に餓えていますね?」
 何か含んだような笑みを浮かべて、幸世は風呂敷の結び目をほどいた。
「実は私、こういうのを持ってきたんですよ。差し入れです」
 幸世が差し出したのは、深川名花堂のカレーパンであった。なんでも関東大震災を機に店主・中田豊治が考案し、特許まで取ったという。
「これ、中にカレーが?」
「美味しいそうですよ」
 食の細かったタケは、意外にもペロリと一個平らげてしまった。脂が浮いていた割にはサッパリとしていて、それでいて何やら胃もたれもなく、香辛料の刺激が食欲をそそる。
                (夢酔藤山著「聖女の道標」より抜粋)

 このカレーパン。カトレアで購入して、すぐに食べるのが勿体ないから、自宅まで我慢して持ち帰りました。代わりに上野精養軒でハヤシライスを食べてきました。さてさて、実際に口へ運んで、思わず無言で二つ平らげたのを覚えています。コンビニのカレーパンに慣れ親しんでいた夢酔は
「ちゃんと調理されたカレーパン」
に圧倒されたのです。
 だめだ、グルメレポーターのように、上手な言葉が浮かびません。こればかりは、食べた者にしか分からないですね。今日、私たちが当たり前のように食べている多くのものは、戦前から親しまれた和風洋食が多いです。カレーパンも一種の和風洋食かも知れません。

 人の歩みとしての歴史には、人の糧となる食の歴史も寄り添います。
 美味しい歴史、素晴らしいですね。