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挫折からの脱出 (7) 自我の目覚め

 自分自身の才能を生かした目標を設定をどのようにするのかについて本章で触れていきましょう。

 私の学友の多くは、すでに高校卒業までには進路を決め、自分の才能を信じて芸術方面にチャレンジするものや考古学が好きで研究生活を目指すもの、経営者を目指して会社の設立に動くものなど多岐に渡る人生の選択肢を間近でみることができました。彼らに共通するのは、心底自分の道を切り開いていきたいという強い思いです。私には、彼らへの憧れのようなものもありましたし、時期がくれば自分にも宿命のように人生でやるべきことが降ってくるのだろうと思っていました。

 しかし、時間は残酷でした。勉強することに集中して大学へ入学したものの強い志望動機もなく、かつ集団生活に慣れていない私がまた、以前のような生活に戻るのに時間はかかりませんでした。授業のほとんどを出席することなく、当時はやったテレビゲームに熱中し、喫茶店で時間をつぶしていました。動機があって大学へ入学してものは、その心構えから熱心に授業に出席し、志が同一な友を作っていきました。私は遂に大学での進級が危ぶまれる段階になっても日々の遊びに流され、結局留年することになりました。

 多少顔なじみだった学友は進級したので、授業にでても知っている顔はほぼありません。そのような私を不憫に思ってか、ある先輩が大学卒業までの過去の試験問題集をくださり、それを勉強すれば最低限度卒業できると助言してくれました。結局、卒業までの必要最低限度の単位数を取得して、なんとか卒業にたどり着いた訳です。

 そのような私に生活の転換点が訪れたのは、5回生の時でした。理系は最終学年に研究室に入り、実験を繰り返すことになるのですが、私が入った研究室は、その年に発足したばかりの新しい研究室でした。一風変った教授で研究には体力が必要であるとの主張で、毎日長距離走とウェイトトレーニングで春先の2~3ヶ月を過ごし、文献の調査はすべて英語のみでした。私は5年ぶりにルーチンが復活し、欲求の高まりを感じるようになってきました。

 前回の盲目的なルーチンと違うのは、教授の研究に対する姿勢を間近で見れたことが起因していました。教授は朝の7時には研究室に入り、夜は10時過ぎまで、体を動かし、文献を調査し、研究者とディスカッションを重ねていました。教授の専攻は、当時の日本では先端科学をいくもので、その独創性には驚かされました。大学の教室での授業は、あくまでも過去の科学の歴史が生んだ公式や真理ですが、教授はその先を見据えた道なき道を開拓していく遊牧民のようだったのです。

 私は、その時自分の個性を生かすには、自分を磨きオリジナリティを発揮する仕事に従事したいと考えるに至った訳です。つまり、自分の目標の設定に手助けになったのは、常に真剣に日々暮らす人をみてインスピレーションが湧いたことによりました。このような真剣勝負のひとは、あらゆるところにいるでしょう。部活のコーチ、陶芸家の師匠、大工の大将、新規事業のベンチャー社長などきっと皆さんの手の届くところで活躍されているに違いありません。

 自分自身の目標を明確にするには、そのような人生の先達に弟子入りするのが早道です。例えば、人気であったラーメン店の佐野実さんは多くの弟子を育てられたと聞いています。厳しい修行は、弟子の精神を鍛え、自省の時間によって次の日の希望を与え、成長を促していきます。残念ながらラーメン店を開業できなかった弟子の多くも佐野実さんに触発されて、自分自身の人生を切り開いていったに違いありません。

 私は、大学の最終年度は人生でこれほど頭を使ったことはないというほど頭の汗をかきました。大学生活で習得すべきすべての学習内容を半年でこなし、最終的に研究室での卒業研究が学業の唯一「優」となったのはとても誇らしかったです。

 卒業後、ある企業に就職することになったのですが、私は学業が振るわない生徒として採用されたので、いわゆる下積みの社会人生活を送ることになります。半年程度がんばっても人生のやり直しがきくほど社会は甘くはありません。その後の社会人生活については、拙書「転機の力」を参考にしていただければと思います。

 それでは、次章で挫折からの脱出をまとめていきます。

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