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恨みを手放す

恨みには大抵不満という感情が付随するが、時にはもっと激しい怒りやその他の感情的動揺がつきまとうこともある。
いつも何かに拒否反応を示そうと待ち構え、すぐに苛立ったりむかついたりする人は多い。
そういう人たちは、薬物ならぬ動転の中毒なのだ。

恨みや怒りの感情は誰しもが持っていてもおかしくありません。
今現在、誰かに対して強い怒りを感じている場合は、
親に恨みがあるパターンが多いです。

自分が形成された原型は、間違いなく親の影響なので
親に対して抱いていた感情を今目の前の人に感じている事がほとんどです。
(そうじゃない場合ももちろんありますが)
過去に感じた出来事を繰り返しているだけなのです。

そして、腹が立つ相手と同じものをあなたも持っています。
多くの人はこの事実に気づいていません。

信じたくはないですよね。
目の前の嫌いな人と、実は自分も同じものを持っているなんて・・・

特定のエゴイスティックなパターンを誰かに発見して強く反応し、
それが相手そのものだと誤解する時は、
大抵自分自身にも同じパターンが存在するのだが、
自分ではそれを見抜ける力もないし、その気もない場合が多い。

例えば、
自分がすごくオシャレに気を遣っている人間だとします。
目の前にいる人が、服装や髪型に無頓着で、すごく心がザワザワする場合、
自分の中に「ダサいのは嫌だ」という価値観が存在します。

でも、オシャレに興味がない人は
相手がオシャレだろうがオシャレじゃなかろうがどーでもいいはずです。
そこに自分の価値を置いてないからです。


他にも、
「人に優しくしなければいけない」と思っているとします。
人に気を使うのが当たり前で、人に好かれなければいけないと思い込んでいる。

そこで、人に優しくない気も使えない思いやりもないような人に出会うと、
怒りが湧いてくるんです。
「なんで優しくしないんだ!」「自分はこんなに気を使っているのに」と。

人に優しくできなくて嫌われた経験とか、
人と仲良くしていないと孤独になってしまうと思い込んでいるとか、
気を使わないと親に愛されなかったと思い込んでるとか、
色々理由はあると思いますが、

「本当は過剰に人に優しくなんかしたくないのに、気を使いすぎてる自分」
がいるから
人に気を遣わない人を見ると怒りが湧いてくるんですよね。

本当はもっと自由に生きたい。
他人の目線なんて気にせず生きていきたいのに。

っていう本音が隠れているはずです。


嫌いな人、苦手な人は
抑圧している自分を知るチャンスであり、学びなのです。

相手への怒りを手放すこと、許すことは
自分を許すことに繋がります。
相手=私  なので。

闘いは心の癖で、そういう癖から生じる行動は全て、悪と想定される敵をかえって強くするし、たとえ闘いに勝っても打ち負かした敵と同じような、それどころかもっと手強い新しい敵、新しい悪を生み出す。

職場に嫌な人がいて、転職してもまた同じような人がいて悩まされたり、
恋人がいて、嫌な事があって別れても、また同じような人と付き合って同じような問題が繰り返されるのは、自分が問題をクリアしていないから。

目の前の問題から逃げてもまた同じ問題が必ずやってきます。
嫌な出来事は、学びのチャンス。
向き合って自分が変われば、もう同じ問題は起こらなくなるし、問題が起こっても気にならなくなります。

そうゆう状態になれば、解決した証拠です。

(エックハルト・トール「ニュー・アース」という本を参考に書いています。)

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