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ゴキブリが降る夜

清掃業界のトンデモない出来事、トンデモない人たち

皆さんは、この世で一番苦手なものって何でしょう?
タイトルを見ていただければお分かりの通り、ボクはゴキブリとケムシがとにかく苦手だ。この世でそれ以上ないぐらいに大ッキライである。
これから書くお話はちょっとおぞましいので、同じくゴキブリが死ぬほどキライな人は読まない方がいいかもしれない。

プライベートを晒すことに躊躇するが、ボクは一年前まで、ある清掃会社で足掛け七年働いていた。
清掃の仕事に興味があった訳でもなく、入社当時自分の希望した職種への就業が今と違って難儀を強いられ、就職に苦労していたから、最終的に正社員としてとってくれるその清掃会社で働くことにし、次の機会を待つつもりだったのだ。
肩書きはマネージャーで、管理会社などから請け負っているマンションの清掃業務が主な担当。パートさん欠勤時の代行、採用、クレーム処理、消耗品の補充、指導など、車であちこちへ移動と、仕事は多岐に渡る。
マンションの日常清掃はパートさん(主に高齢者)を雇い、決められた日時で働いてもらうのだが、住民のゴミ出しが一番肝心な仕事になり、大抵はゴミ庫から回収場所へ運び出す。ワンルームマンションはマナーが悪く、外国人の居住も多いため、分別がされてなかったりして、そういうところではゴミ出しに時間がかかるから厄介である。

さて、今回の話の舞台となるマンションだが、山手線のうぐいす谷のエリアにある。
明るいネーミングとは裏腹に築年数は古く、住民は少ないが賃貸ではなく所有物件で、年金暮らしのヒマな中高年が多い。こういうマンションは要注意で、皆ヒマだから清掃に対して目を光らせており、日常的に何かとクレームが発生する。
このマンションも例外ではなく、当時の理事長のオッサンがとにかく口うるさく意地悪で(バチがあたったのか脳梗塞で倒れ、今では車いす生活である)、パート清掃人が何かやらかすと(大抵はサボリ)、すぐに交代しろと命令がくる。大体規模からして一時間もすればすべての清掃が終わるような状態なのに、月曜から土曜まで3時間勤務というのがそもそも間違っているのではないかと思ったが、年金が裕福らしく、管理費が潤沢なのは困った話であった。
ボクが入社した当時、そのマンションの清掃を担当していた男性の方は、性格的に理事長からも気にいられていたようで、ほとんどクレームがくることはなかった。
その男性にちょっとした病気が発覚し、二週間ぐらい入院するということになったため、ボクが代行で入らなければならなくなり、もうひとりの担当者と作業内容の確認に現地に行った。
色々ゴミ出しのルールなんかを聞いていた訳だが、別れ際、彼が、
「ゴミ庫のゴキブリの死骸が気持ち悪くて仕方がない」
と言っていたのが気になった。

このマンション、表側は大通りに面しており、反対の裏口は一方通行の狭い道路に面している。
代行の当日、ボクは裏口の方からマンションに向かった訳だが、早くもその段階で異変に気づいた。マンション前の裏道に、セミのようなゴキブリの死骸が数匹あった。大抵は車に轢かれていたが、中にはまだ生きていてヨタヨタ歩いているのもいた。ギョっとしつつも裏口からマンションに入ると、ナント理事長、副理事長夫婦が立っていて、お出向えをしているではないか。どうやらどんなヤツがくるのか、確かめたかったようだ。何もそんな仰々しくしなくてもいいものだが、人の良い副理事も理事長の言いなりのようだった。
軽く挨拶をしていると、副理事が突然、
「アッ!」
と声を挙げた。ちょうどゴミ庫の前だったが、巨大なゴキブリが床を這ってくるところだった。ボクは事前に危険を感じていたため、殺虫剤のスプレーを持参していたので、すかさずシュー!っと噴射。
イチコロでひっくり返ってオダブツになったゴキブリを見つつ、副理事が、
「ゴキブリが多いんだよねえ…」
と呟く。マンション管理組合の役員だけではなく、ゴキブリまでお出迎えとは参った。
挨拶はそこそこにして、管理人室へ入り、仕事の準備を済ませ、ゴミ庫へ向かう。ゴミ出しとゴミ庫の整理がまずはじめの作業である。
ゴミ庫のドアを開けて中へ入ると、住民のマナーは良いからゴミはきちんと整理されていたが、両端に並んだポリペール(蓋つきのゴミ箱のことね)の間のスペースに、セミのようなゴキブリの死骸がいっぱい。
うわー、キモチ悪うー!
そう思わず声をあげそうになる。パートの清掃員が言っていたのはこのことだったのかとわかったが、とにかくこれを何とかしないといけない。
ボクはゴキブリの死骸を踏まないようにつま先立ちで奥へ移動し、バケツいっぱいの水を放流させ、排水溝へ死骸をすべて流し込んだ。
しかし、なぜこんなにゴキブリが多いのか?見回すとゴミ庫の構造に問題があるのではないかと思った。
このゴミ庫は建物の外に作られていて、トタン屋根と壁との間に隙間がある。周辺は食べ物屋が多いことからゴキブリが自然に集まりやすいだろうし、隙間からゴミ庫へ侵入しているのが原因と判断した。
それが分かったところでどうしようもないのだが、なぜ死骸だらけなのかが謎として残った。誰かが駆除のため殺虫剤を撒いているのか。
清掃をしながら副理事にそのことを聞いてみたがわかならいという。ただボクはこのおぞましい状況がたまらなくイヤなので、ゴミ庫の隙間を何かで塞いだ方がいいと進言したが、副理事は困惑した顔をするばかりだった。
裏道の死骸も片づけなくてはならず、これも水で排水溝に流した。
ああ、キモチ悪い…。
掃除の手を休めてふと上を見ると、植え込みに植えられた低木の枝に、何やらゴミがひっかかっているのに気付いた。誰かが上から故意に紙屑を捨てているのか、そのままにはできないので、箒でひっかかっている紙屑を落とした。それはほとんどが丸められたティッシュだった。
そして、ボクは再び仰天する。
丸めて捨てられているそのティッシュの中身は、ゴキブリの死骸だったのである。3~5個ほどあったが、全部そうだった。
何なんだ、これは…?
住民の誰かが、窓からこれを捨てていることに間違いない。そして、道路の死骸とも関係している。一体、誰なんだ?
ボクはこの事態に今までかいたことのない汗が全身から吹き出し、その年の夏も暑くて、着ている作業着はビッショリだった。
一日も早くこの現場を去りたかった。しかし、清掃員が退院してこなければ他に代行する人がいない。

次の日も、ゴミ庫は同じ状況で死骸だらけ、裏道も死骸が転がり、半分生きてヨロヨロ動いているゴキブリに気づいた登校中の中学生が、思わず飛びのく。そして、木の枝には、同じように数個のティッシュがひっかかっていて、中には潰れたゴキブリの死骸だ。
前日にゴミ庫に用意しておいた殺虫剤がなくなっていた。住民以外は入れないないから、誰かが持ち去ったのは明らかだった。これにはメチャクチャ腹がたった。
一日だけ別な人が代行してくれたが、このゴキブリの惨状に
「なんなんだよここはー!キモチ悪りーよ!」
と電話があった。
何が何だかわからないが、このマンションでは明らかに何かしらの異常が発生しているのだ。
別な住民も夜にゴミ庫へゴミを持っていくとゴキブリと必ず遭遇してしまうようで、
「ゴキブリが多くてかなわんわ。えらいところを買ってしもうた」
と、大阪人らしき気のいいオジサンは言うのであった。

そうして代行の日々は続いたが、やがて、ひとつわかった事実があった。
三階に居住している独身のオジイの部屋が、ゴミ屋敷らしいということだった。独り身でマンションの役員も安否が気になっているそうで、これまでにも何回か見守りの介護などで人を呼んだりしていたらしいのだが、変わり者ですべて拒否しているとのこと。親類とも疎遠だという。一度清掃中に外から買い物袋を下げて帰ってきたところに遭遇したら、格好はホームレスそのもので、ボクに片手をあげて、
「ご苦労さん」
と言った。そうか、このオジイが何かしらゴキブリ多発の要因になっているのだな、と思った。
だとしたら、このオジイがゴミ庫で殺虫剤を噴霧し、夜に窓からゴキブリを始末したティッシュを投げ捨てているのだろうか。どうも合点がいかない。そういう生活をしている訳だから、むしろそんなことをするほどまともだとは思えない。
じゃあ、誰の仕業なのかー?
ボクはこのおぞましい環境で何ともキモチ悪い中で仕事をし、結局訳がわからないまま、一週間で元の清掃員さんが戻ってきてくれて、このマンションから退避することができた。

後日このマンションを別な用で訪れると、エントランスにタンスなどの粗大ゴミが置いてあった。副理事に聞くと、住民の一人が退去したからだという。そして、すべての謎がわかった。
まずあの問題のオジイだが、ご臨終になったとのこと。状況まではわからなかったが、孤独死したのを発見されたようだ。
そして今回退去した住民は、同じ三階でオジイの隣りに住んでいたオバアだそうで、一人での生活ができなくなったため、施設へ入居することになったらしい。そして、このオバアこそが、事件のすべてを起こしていた。
事のあらましはこうだ。
ゴミ部屋になっていたオジイのところからゴキブリが湧き、隣室のオバアの部屋にまでそれが侵入、それを始末して毎夜窓から外へゴキブリの死骸を放り投げていたのである。ゴミ庫は人目のない夜に行き、人知れず殺虫剤を噴霧していたものと思われ、ボクが持参した殺虫剤もこのオバアが持ち去っていたようだ。
このオバアにボクは一度も遭遇したことはなかったものの、認知症だったのではないかと思う。オジイの隣室だったばかりにゴキブリ被害を被っていたのは気の毒な気もするが、他の住民との接点もなく、ゴキブリ被害を拡大させていた要因には違いない。おかげでボクや清掃員は随分とキモチ悪い思いをさせられ、同情よりむしろ腹立たしかった。問題の二人がいなくなり、キモチの悪いゴキブリ被害はなくなったようだが、ゴミ庫には構造上今でもゴキブリは外から侵入しているだろう。

日常清掃の現場では大抵ゴミの処理はつきものだから、ゴキブリの遭遇は避けられない。場所によってはネズミ被害に困惑する場合もある。だからゴミ庫にゴミを保管するというマンションの現状はじつは良くない。今回の事例のような外にあるゴミ庫は尚更で、別なマンションではバルサンを噴霧してほしいという依頼で作業を行ったところ、足の踏み場もないほどのゴキブリの死骸だらけになったのには心底参った。

「名前のない女たち」の著作で有名な中村淳彦さんが、AV業界、風俗業界、介護業界は最底辺の世界だと言っていたが、清掃業界も同じような環境だと、ボクは痛感している。とにかく365日トラブルなのである。今回はこのゴキブリ話を取り上げたが、清掃人も色んな困った人がいるし、高齢者や訳ありな人が多いから、年中人出不足に陥っている。人口減少で近いうちに、ゴミ出しをしてくれる清掃人もいなくなるのではないか、と今も付き合いのあるこの清掃会社の社長と危惧している。
だからゴミ庫なんかは廃止し、各ゴミの回収日に、住民が自分でゴミ出しをすればいいのである。そうすれば、不潔な環境は少なからず減るだろうし、巡回で掃除をするだけなら、雇用できる人材もいるだろう。
結局ボクはずっとそんなストレス漬けの日々が祟ったようで、ある日電車の中で突然パニック障害を発症してしまい、半年経っても治らず、診療内科を受診するハメになった(薬を処方してもらい、回復したが)。
ボクが自己紹介の記事で、ラグビーの田村選手の言葉を持ち出して、仕事について思いを語っているのは、こんなツラい経験を何度もしてきたからなのである。

という訳で、今回はボクのおぞましい体験談を掲載したが、この清掃業界のトンデモない話はまだあるので、また次回に。
お付き合いいただいて、ありがとうございました。

次回は、「ドア前にウ〇コ」のお話を書くので、覚悟されたし。(笑)

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