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矛盾を愛する自分でいたい

 職業を変えてそろそろ1年が経とうとしている。これで何度目かの転職だし、その度に業界も変えてきたのだが、これまではずっと会社に雇われて、営業や事務系の仕事をしてきた。そんな私が、「物書き」と呼ぶのか「編集者」と呼ぶのかよく分からない立ち位置ではあるけれど、ひょんなことから「表現者」と言われる部類の仕事をするようになった。しかもフリーランスで、である。

 新しく飛び込んだ世界はとにかく違和感を覚えることばかりで、始めたばかりの頃はそれをただ新鮮な驚きと好奇心を持って吸収できていたけれど、途中から違和感は小さなしこりとなって私の中に残るようになっていった。最後までコーヒーに溶けきれなかった角砂糖の塊みたいに、心の底にざらつきを残す原因が増えていったように思う。

 これまでのワークキャリアにおいて、自然と身についていったこと。たとえば、ミスが起きた時にどう対処するか。再発を防ぐために原因を特定し、手順を見直し、再発防止マニュアルを策定して周知徹底する、というようなところ。それに加えて私自身が持つ、先天的な真面目さとか計画性を好むという要素。こんなことを全部「正」として今の仕事に臨むと、成果の50%以上は「誤」へと転ずるような気がしてならない。自分が正だとしてきたことが通用しないというか、そんな枠をつくって囲い込んでしまうこと自体が、自由な表現の幅を狭めてしまっているというか。だから一緒に仕事をする人に対して期待することや、頭の中でつくり上げるプロジェクトマップみたいなものがとことん作用しなくて、フラストレーションだけが溜まっていった。業界ごとの違いといえるものに本当の意味でまだ気付けていなかった私は、自分のやり方を通そうと躍起になり、それ以外は誤りだと決めつけて、勝手に傷ついて負の感情を爆発させた。この夏に取り組んだ130ページほどの雑誌をまるごと一冊つくるというプロジェクトを終えて、ようやくいろんな現実と向き合い始めたのが今なのだと思う。

 もちろん業界が違ったとしても、場合によっては自分がこれまでの職業経験から学んできたことがうまく活かせる場面があるとは思う。ただ現時点で私がお会いしたこの業界で活躍している方々は、ルールみたいなのに縛られることなく、自由に、自分の情熱やこれが好きだという熱い想いみたいなのを爆発させながら、仕事そのものを楽しんでいる方が圧倒的に多いというのが私の印象だ。チームワークを重んじるというよりは、個々の人間がそれぞれの違いとペースを尊重している。言葉は少々乱暴だけど、皆が皆好き勝手にやって許されている印象がある。そして締め切りに追われて、徹夜が何日間か続くのは苦しいけど、なんだかお祭りみたいにすべての作業をぎゅっと凝縮させた時間が、やっぱり何度繰り返しても病みつきになるくらい楽しいんだと口を揃えて言い出す。そんな時に限ってとても良いものが生まれたりもするのだと。決まった時間に通勤電車に揺られて、仕事して、昼休憩も帰宅時間もいつもほぼ同じ、帰宅したら睡眠を取り、規則正しい日々を繰り返すというようなパッケージには収まらない。それこそがフリーランスの醍醐味だという感覚が、私にも少し分かってきたような気がする。でもどうも馴染めなかった。

 そもそもこの仕事は向いていないのか、業界自体が自分の性分に合わないのか。一緒に仕事をする仲間を変えたら何かが変わるのか。様々な選択肢が頭をもたげてはどれにも答えを出せずにいた。ぐるぐると思考が止まらない。考えることに疲れて、思考を止めるために寝ようとするけど、結局頭は回転し続けて悪夢を見る…そんな負のループにはまってしまっていた。鬱々とした気持ちを抱えながら日々をやり過ごしていく。でも仕事部屋から一歩外に出ると、そこには私の「表の世界」というべきものが待っていて、母親としての自分や妻としての自分が何事もなかったように普通に振る舞うことが求められる。いや、実のところ求められるというのは自分の勝手な解釈であって、実は誰からもそんなことを求められてはいないのかもしれない。「仕事とプライベートの明確な切り替え」というようなところも、元をたどればこれまでのワークキャリアにおいて身についたことのひとつなのだろうか。とにかく、日々の暮らしに二面性があるように感じてつらかった。

 本当にこの道を歩き続けてもいいのだろうか?という疑問が拭えないまま、時間だけが過ぎていく。幸か不幸か、今月は仕事らしい仕事がほとんどなかったから、一旦仕事からは離れてリセットすることができた。家事や育児をこなしつつもボーッと過ごす時間を意識的に取って、少しずつモヤモヤしたものが晴れてまた前を見られるようになってきた気がする。かなりたくさんの小説を読んだし、数年前に買った本を再読してみたりもした。そんな中で心が動いたのは、小説家や作家と呼ばれる人たちが登場人物となる小説だった。無意識のうちに共感できる何かを求めていたのかもしれない。やはり一般に常識的と言われているような生活というのか、世の中の多くの人が送っている会社員生活みたいな生き方はできないのが作家であるらしい。時間の流れ方が特殊だという記述もあった。実はそんな生き方にとても魅力を感じている自分がいることを発見した。でも一方で、多くの人が常識と称するような生活をするよういつも心掛けてきた自分がいて、自己に対して大きな矛盾を感じずにはいられなかった。同時に、きっと私はずっと矛盾を抱えたまま生きていくのだろうという予感がした。どちらの自分も自分だから。でもそんな矛盾に気付いた今、だから私はこの仕事を選んだのだとすんなり腑に落ちた。矛盾を抱えた自分がありのままでいられるために、この仕事に出会い、仲間と出会い、すべてが始まったのだと。つらいと感じた暮らしの二面性は決して悪いことではなくて、矛盾が生み出すひとつのライフスタイルとしてそのまま受け入れたらいいんだと思えたら気持ちが楽になった。加えて、矛盾を受け入れた自分は、以前の私よりもずっと私らしいと思えるようになった。

 ふと気付くとあと1週間で41歳の誕生日を迎えようとしている。人生の折り返し地点だと思って迎えた40歳、これから続く人生後半戦のプロローグと呼ぶのにふさわしい1年を過ごしてきたように思う。ワークキャリアをまったく別の視点から捉え直してゼロから再構築した、そんな1年だった。そして浮き彫りになった、私にとっての仕事とは?という問いの答えは、生きることそのものだということ。そして自分の中に潜むもうひとりの自分にスポットライトを当てて、自由に羽ばたかせること。これからも自分の矛盾を愛しながら表現者としての仕事を楽しんでいきたいと思う。

#私の仕事

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