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荒ぶる神よ鎮まりたまえ 親子間バトル(2)

長男とは些細なことでもバトルになることがある。

長男が南部せんべいの大袋を開けて食べていたが、いつものことで片付けずに放置していたので「出しっぱなしになってるよ」と声をかけた。

「ごめんごめん」とでも言ってささっと片付けてくれることを期待していたが、何度「片付けてよ」と声をかけても動いてくれる気配がない。

そのうち、「何が問題なんだ!早く片付けろ!ゴムで止めておけ!」と怒鳴ってしまうわけだが、そうすると「できない」と返ってくる。

こうなると、もう反抗的態度にしか見えない。食べるだけ食べておいて片付けをしないとは何ごとだ、という訳で、

私 :できないじゃない!やれぇ!
長男:できない
私 :やれぇ!

となる。

しばらくやり合っていると、長男がいたって冷静ですという顔で、「びりびりに破れた袋をゴムで縛った所で密閉はできない、湿気に弱い南部煎餅に対して意味のない行為であり片付けたことにはならない。よってその方法では片付けはできない」という様なことを言い始める。

知らないが、片付けるも片付けないも南部せんべいに対する効果が同じなら片付けなくても一緒だろう、くらいのことを思っているのかもしれない。

不可抗力で、片づけられないのは自分のせいじゃないのに、なぜ理不尽に怒るのか?という感じで言うことがあり、これが間違っていることを認めさせなければと一層怒りが爆発する。

こちらはもはや湿気のことなどどうでも良くなっている。片付けるということの重要性を理解したかどうかがポイントなのだ。

長男には、最低限こちらが頼んだことの意図はわかっているのか?納得しているなら、ちゃんとそれを意思表示するとともに、今何を考えているのか言葉で説明してくれないと、「できない」じゃ相手は片付けるのが嫌で反抗しているようにしか見えないよ、と叱っている。

不思議なのだが、こんな話をしなくても、「はいはい、わかった」と一つ返事で動いてくれる時もあれば、喧嘩を売っているのか?と思うこともある。

もし湿気を防ぎたくて良い方法を考えているのであれば、それを言葉にしてくれるだけで、片付けについては同じ方向を向いているということが共有できる。それか、密閉したいがどうやったら良いか?と訊いてくれれば、透明ビニールでも渡してその中にいれてゴムで縛ってはどうかと提案できる。

長男はそういう質問はせずに、「家にあるものでやるなら、マスキングテープならなんとかなるかも」と言ってテープを取りに行こうとするので、「それじゃ開け閉めが大変だろ!無駄に時間もかかる!ビニール袋にいれぇ!その上から縛れ!」と再度叫ぶことになる。それに、それなら最初からびりびりに開けなければ良かったという話だ。

真面目にやってるのか?当てつけか?これがバトルの最中にはよく分らない。だから余計に腹がたつ。本当に分らないとしたら問題だし、分かるはずと思って必死に分らせようとしてしまう。

お互い興奮状態が落ち着くと、大抵長男が謝ってくる。なぜか素直になれないらしく、「いつも反抗だよ。俺ってそういう所あるんだよね・・」と認める。

最近は腹が立つと、「どうせ後で謝ってくるのはお前だろ!だったら最初から素直になっとけ!」「いや、今回は俺が謝ることは無いよ」などとやってしまう。

しかししんどい。不毛だ。だんだん謝られても心が動かなくなってくる。最近は反抗期と思春期もあるのか、叱ると敵意すら見せてくる。当たり前の些細なことがすんなりできない。

今の担任の先生はこんな長男でも上手に対応してくださっている。長男が「できない」と言えば、「手伝おうか?」と言い、長男がやると、「嬉しかったよ、でもまた元に戻るんだよね?」と神対応だ。

でも言われた、「お母さん大変ですよね、学校は半日ですけど、毎日、しかも仕事もあって、下にお子さんもいてですもんね」と。

そうなのだ、長男には時々ひどく振り回される。

(3)につづく