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ユーモアと屁理屈の狭間で

通知表に嫌われている長男と学校生活について久々に語り合ってみた。

母 :あんた家で屁理屈捏ねるけど、学校でも同じようにやってんの?

長男:うん。俺がやりたいこと邪魔された時だけねw

母 :即答すな。それに邪魔ってどういうこと?誰が邪魔してくるの?

長男:先生。

母 :えっ?凄腕先生?あんたのこと邪魔するの?

長男:うん、掃除時間にこっそり俺が隠れて本読んでたりすると。

母 :おい、それは「邪魔」とは言わない。失礼だろ。集団行動における必要な所作を身に着けるべくあんたを指導くださってるんだよ。

長男:わかるけどさ~。

母 :それで屁理屈捏ねたら先生怒るだろう?

長男:いや、先生も笑ってるよ。

凄腕先生は本当に寛大で、長男の扱いが上手い。それでいて、おさえるべきポイントは外さない。

母 :でも結局あんた最後は「ごめんなさい」って言って掃除するんでしょ?

長男:まぁね。でも先生が見てるときだけ掃除して、いなくなったらまた本読んでるよ。

こういうことをいけしゃあしゃあと言うから呆れる。

母 :それで屁理屈って何を言ってんの?

長男:宇宙の真理に迫ってる。

母 :はぁん?

長男:掃除時間にみんなで掃除するっていうルールは誰が決めたんだ?その人物はどうやってこの世に生まれてきたんだ?って。

母 :先生も毎回そんなのに付き合わされてたらたまらんね。気の毒だわ。あんたが脱走するたびに見つけに来てくれて、それってずっとあんたのことを意識の中に置いとかないといけないってことでしょ。

凄腕先生は基本的にはルールを破ったからと言って即罰するわけでもなく、長男がルールに対して疑問を持つことについても一理あるとして理解を示して下さる。

同時に、公共のルールをしっかりと守らせるということも意識されている。長男は授業中でも読書を許可されている関係もあって毎朝図書室で10冊くらい本を借りて教室に持って行っていたらしいのだが、これが毎朝となると貸し出しカードへの記入時間が馬鹿にならない。

それでまた図書室の司書さんが寛大な方で、本好きの長男とよく話もするようで、長男を信頼してその日のうちに返却してくれるならと貸し出しカードの手続きを省略してくださっていた。

しかし、これは公共のルールをしっかり守るべきとして、凄腕先生が長男に「皆と同じルールで貸し出しをしましょう」と話して下さっていた。長男もこれは「はい、わかりました」とすんなり承知したようだ。

長男は野放しにしておくと社会規範から外れた行動が目につくのだと思う。この辺りを多目に見てくれる人もいれば、そうでない人もいる。そして学校内にはもっと長男に厳しく指導すべきとの声もあるのだろう、凄腕先生としても、長男には納得しなくても良いから、形だけでももう少し協力してくれたらという思いはあるようだ。

長男との会話はさらに続いた。

長男:最近けっこうちゃんと授業に参加してんのよ。暇すぎてやる事なくて。

母 :ん?今まで暇で退屈だったから授業中でも本読んだりしてたんじゃなかったっけ?

長男:そうなんだけどさ、暇もね、暇が過ぎると授業やろうかなって気になるのよ。だから次の通知表はちょっとは良くなると思うよ。俺ちゃんと見てないけど、「よくできる」が無かったのだけは覚えてる。

母 :今までも授業は以前より参加してたし、テストも良かったのにね。

長男:テストとかだけじゃダメで、最初に言われてたのが、授業中に発言したら「できる」がついて、プラスアルファで〇〇っていうヤバい、極悪なアプリがあるんだけどね、そこから課題やったり、追加で自主的に色々やったら「よくできる」になって、俺それはやってなかったんだよね。

母 :なるほど、そういう基準があるのか。

長男:でも期待しないでね、1つか2つよくなるだけだと思うよ。

母 :まぁでも授業にもっと参加したくなったのは良かったんじゃないの?

長男:誤解しないでよ?暇すぎてだから。通知表のために頑張るとかないからね。

ないだろうな~。

先日、長男が学校の学習面においては「社会的障壁」に直面して困っているということを書いた。

改めて「困る」というのは困った問題だなと思う。他の人からしたら困られても困るという状態が発生する。

学校としては、学習面の不満を持たない生徒が理想だろうし、それより生活面で社会規範を守れる生徒を理想と考えていると思う。

長男は生活面で野放しにしていても無茶苦茶なことはもともとやらない。ただ、できれば面倒なルールには縛られたくないという思いがある。長男は性格的に人が好きで集団生活を望んでいるところがあるため、生活面については今の担任の先生の指導で所作をもっと身につけてくれたらと考えている。

学習面については、ユーモアに絡めて以下のトークを紹介したい。10年前に初めて聴いて最高だと思った。何度聞いても笑い転げてしまう。今も1番好きなトークだ。このトークが刺さった私の所に長男が生まれてきたというのは面白くも必然だったような気がする。

...曲線から外れた変な点がある事実は・・・ 変わった人が混じっているのは・・・ (省略)皆さんお分かりでしょうが問題ないのです。 単に削除すればいいのですから。削除できるのは明らかに測定誤差だからで、それが測定誤差である理由は私のデータを台無しにしてしまうからです。
経済、統計 、心理といった授業で最初に教えているのが何かと言うと、統計的に適切な方法で異常値を抹消する方法です。一番良い曲線が得られるよう異常値を消すにはどうすれば良いか?もし私の見出そうとしているのが「平均的な人は鎮痛剤を何錠飲むべきか」ならそれは結構ですが、見出したいと思っているのが潜在能力や、幸福、生産性、エネルギー、創造性の秘密であるなら、このやり方は科学の名による「平均」教崇拝です。
「子どもが教室で読み方を学ぶ早さ」について質問をしたなら、科学者は「平均的な子どもが教室で読み方を学ぶ早さ」に言い換えます。そして平均に合わせて教室を仕立てるのです。ポジティブ心理学が指摘するのは、平均的に過ぎないものを研究していたら平均的なものにしかなれないということす。ポジティブな異常値を消してしまうのではなく、あのような分布を見たら、むしろ積極的になぜかと問うべきです。ある人たちの能力は、なぜ曲線の遙か上なのか?知的能力、運動能力、音楽センス、創造性、エネルギーのレベル、困難に直面したときの反発力、ユーモアのセンス 、それが何であれ、取り除いてしまうのではなく研究したいのです。そうすれば、みんなを平均まで引き上げるだけでなく、自分の会社や、世界中の学校の平均自体を引き上げる方法だって 分かるかもしれません。

(途中だけを切り出して引用しているため、ユーモラスな部分がほとんど含まれていないかも知れません。原文全体をご覧頂けるとよりユーモアが伝わると思います。)