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生まれたての頃(2)

GCUに入院

助産師さん曰く、長男の呼吸が不安定とのことだった。それでも再度安定したようで助産師さんは去って行ったのだが、何となくモニターのピーピー鳴る音だけが気になっていた。

長男の入った赤ちゃん用のカートは私の頭の位置よりずっと後ろで、仰向けに寝ている私にはカートの中が全く見えなかった。

すると、今度は別の助産師さんが飛び込んできて「君っ!」と叫ぶと、長男を抱き上げて背中をバシバシとたたき、そのまま「ちょっと連れて行きます」と言って出て行ってしまった。

こうしてあれよあれよという間に長男はGCU(Growing Care Unit:新生児回復室)に入院することになってしまった。

あとで聞いたところ、長男は呼吸を止めてしまい、紫色になっていたそうだ。ベテラン助産師さんの話では、時々出産時のストレスが原因で、今までいた子宮に戻りたいと思って息を止めてしまう子がいるらしい。

長男はGCU入院中に脳波とポリグラフというもので呼吸の状態を評価をしてもらっている。結果は特に異常はなかったようで、発作も増えることなく消失したことから、医師からも「出生時のストレスが影響したのではないか」との説明を受けている。

3時間おきの授乳でGCUに通う

この後、母の方も出血が多かったためICUに入院することになり、GCUにいる長男への3時間おきの授乳は、初日は助産師さんが粉ミルクを作ってくれて、そこに少しでも初乳が入ると赤ちゃんにとって良いからと手伝ってくれていた。

無呼吸発作を起こしてしまうと9日間GCUに入院する必要があって、そこでしっかり観察してもらう必要があった。母児同室ができなくなることを助産師さんが気遣ってくださって、私がICUから出られた後も、赤ちゃんのいるお母さんとは同室にならないように手配くださっていた。

私はと言うと、助産師さんの気遣いのお陰と、長男が第一子で母児同室のイメージがなかったこともあり、自身が母児同室でないことを特に何とも思わずに過ごしていたなと思う。のちに次男を出産して母児同室を経験した際に、これがもし同室の生活を知った後に遭遇していたら、寂しくて自身のメンタルが不安定になっていたかもしれないなと思った。

幸い感情のアップダウンもなく、毎回授乳の時間を楽しみにして長男のところに通うようになっていた。ICUからGCUまでの距離を自力で歩けなかったため、産後数日は助産師さんに車椅子を押してもらったり、少しずつ一緒に歩いて行くようにしていた。

先に哺乳瓶に慣れてしまったためか、母乳は最初長男にも頑張って練習してもらう必要があったようだ。母子手帳にこう書いてある。

最初はおっぱいを飲むのが難しかったけど、練習して上手になりました。一生懸命飲んでいる姿は必死に生きようとしてくれているようで、とても感動します。大きくなって辛いことがあった時、この時の写真を見てほしいなと思っています。

母より

どんなに辛いことがあっても生きていてほしいと思ったのだと思う。

GCUでは基本的に看護師さんが長男の面倒を見てくださっていて、夜中の授乳では私の体力が回復するまでは代わりにミルクを飲ませてくれていた。

日中は決まった時間に私と助産師さんがGCUに行っていたのだが、ある日10分ほど遅れた際に、長男はいつもならお腹をすかせて泣いているはずのに、なぜかすやすやと寝ていて、その側には担当の看護師さんがイライラもMAXな表情で立っていた、ということがあった。

(3)につづく