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推しの棚橋弘至もお酒も、すべてはジャズに繋がった!?40代でジャズシンガーデビューした好きなことを貫く人生

 G Innovation Hub YOKOHAMA入居者の貞吉なおこさんは、大手企業で技術翻訳の仕事をする傍ら、趣味で参加していた社会人ジャズバンドをきっかけに、40歳を過ぎてからプロシンガーに転身した異色の経歴の持ち主。2021年に引退するまで関内界隈のジャズクラブやジャズバーをはじめ、数々のステージでその歌声を届けてきました。「好きなことをしていると良い欲が出てくる」という貞吉さんに、シンガー時代の思い出やこれからについて聞きました。

歌詞の世界観を伝えたい―。発表を目指して解説を書き溜める現在


インタビューに答える貞𠮷さん

 先祖代々横浜で、私も中区の山手で生まれた生粋のハマっ子です。今はGで夫が代表を務めるイベント会社の仕事をしたり、ジャズの歌詞についての解説を書いています。今、日本にあるジャズの解説書は、歴史について書かれたものばかりで歌詞を解説したものはあまりないんです。現役のころからコツコツ書いてはブログで公開してきました。著作権に触れるためウェブ上には歌詞を掲載できないので、自分で要約してさまざまな歌詞の世界観を伝えています。歌詞に興味を持った現役のプロシンガーやアマで活動している人たちが見てくれているようで、いずれまとめてどこかで発表したいですね。
 私は今58歳ですが、プロのシンガーとして活動を始めたのは40歳を過ぎてからなんです。子どものころから英語が得意で、それまでは翻訳の仕事をしていました。最初は簡単なメールなどの翻訳、そのうちさまざまな会社に派遣されて化学プラントや原子炉などに関わる翻訳にも携わるようになって、技術的なことも学びました。今は難しい専門用語もネットですぐに調べられる時代ですが、当時は年上の技術者を捕まえてどういう意味か尋ねて翻訳していたので、それはそれは大変でした。仕事量は多かったし、その分やりがいはありましたね。
 そんな中、契約先だった大手化学メーカーの社会人ジャズバンドにピアノ担当として入ったんです。ピアニストはもう1人いたので、出番がないときは座って待っていたら、仲間から「座ってるなら歌って」と言われて歌うことになって。でも私、授業中に教科書を読むだけでも声が震えてしまうほど、恥ずかしがり屋だったんですよ。自分が歌うなんて思っていなかったし、私の性格を知る身近な人たちもびっくりしていましたね。ある時ライブハウスのセッションに参加したら、オーディションへの参加をすすめられて、そこで賞をもらったことでプロシンガーとしての道が開きました。

コンプレックスを抱え努力と涙の日々。憧れの人と演奏できるプロの舞台は感動の連続だった

  ジャズは何もわからない子どものころから両親の影響で聴いていました。ブラックミュージックが好きだった親に連れられて初めて行ったコンサートがレイチャールズで。当時小学生くらいだったと思いますが、盲目の黒人が笑いながらピアノを弾いて歌うスタイルが怖かった記憶があります。大きくなってから自分が好きなのはスイングジャズなんだと気が付いて意識的に聴くようになりましたね。
 音大を出たわけでもないので、ジャズシンガーになってからは周囲より遅れていることにコンプレックスがあって一生懸命勉強しました。とにかく曲を聴いて、楽譜を書けるようにならないといけないし、毎日河原で発声の練習もして。海外の音楽学校から帰ってきて20代で活躍するような天才的な子もいるのに、私はまずリハーサルで使われる言葉が分からないわけですよ。ジャズならではのアドリブはなにしろ難しくて、いつも冷や汗びっしょり。毎回「これじゃダメだ」と感じて、いつのまにか口癖が「すいません、またお願いします」になっていましたね。厳しいことを言ってくる人もいたから、40歳超えて泣いたりもして…まさに青春ですよ(笑)ステージに立てば自分はフロントとしてバンドメンバーらを全て雇う立場になるんです。自分が呼んだお客さんでそのお金を払うというプレッシャーがすごくありました。
 それでも憧れていた人に自分からオファーをして一緒に演奏できたり、自分のお客さんを呼んで喜んでもらえたりするのはプロならでは。感動の連続でしたし、だんだんと自分がレベルアップしていく快感もありました。好きなことをやってると「これをやってみたい」という良い欲が次々に出てきますね。印象に残っている最高の舞台は関内の老舗ジャズ店「BarBarBar」で、日本を代表するジャズギタリストの宮之上貴昭さんと一緒にできたこと。あとはジャズピアニストの山下洋輔さんとセッションさせてもらったことですね。山下さんとはご縁があってその後、翻訳の仕事をいただいたこともありました。

実は新日本プロレス“棚橋推し”♡「横浜とプロレスをリンクさせる仕事をしてみたい」


ジャズのポスターとマイケルジャクソンと棚橋弘至と、好きなものに囲まれた貞𠮷さんのデスク

 コロナが流行し始めてからはコンサートもキャンセル続きで。お客さんが5人、10人のところでやったり、配信をやったり…不思議な経験でしたね。Gに入居したのもコロナ禍でしたが、フレンドリーで人と人とをつなげようと考えてくれている雰囲気が気に入って別のシェアオフィスから移ってきました。ブースの壁一面に阪神タイガースのポスターを貼っていた方もいたと聞いて、その自由さが気に入りました。実は私、スマホの待ち受けにもするくらい新日本プロレスの棚橋弘至さんが大好きなんです。今は自分のブースにジャズの年表とともに棚橋さんの写真を貼っています(笑)技術翻訳をしていたころから違う世界のものに触れて気分を変えたくなると男性誌などを読んだりしていて、その中の一つが『週刊プロレス』でした。それで見ていたからなのか、5年くらい前に急に好きになって。『The Man I Love』という曲に「とても強くて大きな人なの」という歌詞があって、その時は思い浮かべて歌ったりしていましたね(笑)気持ちを作るために譜面の後ろに写真を忍ばせていたこともあります。当時はまだ“推し”という言葉がなかったから、この気持ちをなんて表現したらいいんだろうと思っていました。今はイベント会社の役員をしているので、いつか横浜とプロレスをリンクさせるような仕事をしてみたいです。それが夢ですね(笑)

どこに行っても声がかかるほど仕事をした関内の街。飲み歩く時は「檀家まわりみたい(笑)」

 子どものころの関内のイメージは「ビジネス街」でしたが、今は「どこに行っても声がかかるくらい仕事をした街」で、「飲んで遊ぶ街」。ジャズをやっている人はお酒好きが多いです。私もお酒はかつては“週8”くらいで飲んでいたかな(笑)。いつも飲むのはウイスキー。カクテルは苦手ですが、バーボンやウォッカも大丈夫だし、日本のお店なら焼酎もいけます。早く仕上がりたいので最初は濃い目で。飲める仲間と飲むことが多いので、ボトルを入れてお店をはしごして7、8杯くらい飲んでいますね。昔出演していたお店のバーテンダーや後輩プレイヤーから誘われて年下と飲むことが多いです。関内にはシンガー時代の馴染みのお店も多いので、あちこちに顔を出していてまるで檀家まわりみたい(笑)昔はお付き合いで飲むこともありましたが、今は好きな人と好きなように飲めるようになりました。お酒以上に「また後で戻ってくる」と気軽に言えるような酒場のコミュニティも気に入っています。

関内おすすめのスポット…横浜スタジアムのそばにある宮崎料理「いっちゃが」。炎がばっとあがって、網の上で炭焼き。焼けた灰も一緒に食べる鶏モモ焼きがおいしい!柚子胡椒つけて食べる。当然ボトルキープ。焼酎黒霧島。コスパがいいので、常にボトルキープです(笑)このお店のあとは友達のレコードバーに行くのがお決まり。


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