見出し画像

自己肯定感という言葉が肯定感を拘束する

「自己肯定感」と聞くとどうしても引っかかってしまう。

「こどもの自己肯定感を高めて」というけれど、自然のまま生きている子どもという存在が自分で自分を肯定できないなんてことはまずないと思う。

あるとしたら、それは親を含めた周りの環境がその子らしさを無理に何かに誘導したために、肯定できなくなっているのである。

また、子どもには肯定感なんて必要がないのに、親自身が自己肯定感が低いというコンプレックスのために、子育てを成功させることで自分の肯定感を得ようとしてしまう。

肯定感を高めないとこどもが苦労するという固定概念をもちこんでしまうと「のびのび育てよう」と言いながら「のびのび」が強制になり、こどもは自分のやりかたで物事を探して達成する機会を失ってしまう。

人はみんな、その人なりのやり方で、それが回り道でも不自然だったとしても、自分で試して考え獲得することを、その人「らしさ」という。

こどものときに獲得した「らしさ」こそ、その人の魅力なのだから、今使われている「自己肯定感」ということばは、むしろこどもの自発的な選択を狭める結果になっているなぁと思う。

ぼくの記事がお役に立ちましたら、お賽銭を投げ込んでいただけると嬉しいです。 それを眺めてなんどもニヤニヤすると思います。