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「積み上げる日々④‐発達障害当事者を生きる‐」note 公開版 その3

※2021年11月21日のCOMITIA138で発売された同人誌の、noteでの無料公開版です。                              同人誌としてイベント等で販売される物より挿絵や内容が少なくなっています。

CAUTION!
☆この本は個人の体験談です。医療情報や診断基準を提供するものではありません。
「発達障害」の診断や治療には、必ず専門の医療機関の受診を行ってください。
☆「発達障害」の特性(症状)には個人差があります。
作者の特性は全ての当事者にあてはまるものではありません。

◆レポートが書けないエールさん


中高時代はコミュニケーションの特性が強く出ていたが、課題やテスト勉強に関しては、
「できないというよりやらなかったから悪かった」
という側面があった。
大学進学では「読書が好きだから」といった安直な理由で文学部を選んでしまった。学部ではテストも「考えて書く」ものが増え、またテストの代わりにレポートがあったり、レジュメの発表があったりした。
中高時代も「読書感想文」などはあったが、大学の課題ほど要求水準が高くなかったため、得意かどうかなどあまり意識してこなかった部分だった。
結果大学時代は、
―「調べもの」「深く考える」「文章を書く」―といった方面での特性で、かなり苦労することとなった。
そして、レポートの親玉ともいえる「卒業論文」が必須の学部を選んでしまったため、大学4年生の1年間は特にストレスの連続だった。

自分は元々、必要でも興味のないことは中々できない、という特性というか
性格がある。
大学の授業には必修科目などで、興味の持てないのも多い。しかし、興味を持って選んだ授業、自分で書きたいと思ってテーマを決めたものでも、書けなかった。
理由が様々ある中で、一つ大きかったものが、
「レポートを書く」ということに対し、「書く」(文字数を埋める)ことがメインだと思ってしまっていたことだと思う。
(おそらく「言葉を真に受ける・表面的に理解する」という方の特性から)
本来は、
「テーマを決めて、参考資料を集め、複数の資料を読んで理解して、比較して、自分なりの考えをまとめて…」
といった工程が重要で、「書く=Wordで既定の文字数を埋める」というのは最後の最後だと思う。
 ラーメンで例えると、スープの材料を決めて時間をかけて煮込むのがメインで、丼に盛って麺と合わせるのは最後の最後。

それが、集めた資料(先行研究など)をしっかり読んで理解できていないまま、すぐパソコンに向かうことが多くかった。結果、
「何を書いていいか分からず、筆が進まない」
「書けたと思ったら、ほとんどが引用や資料のまとめで、自分の考えがない」
「自分の考えを書いたはずが、根拠がない。または感想になっている」
ということの繰り返しだった。
 苦手なのは自分でも分かっているので、課題が発表されるたびに早くから準備を始めるのだが、3000字程度のレポートでも、
毎回提出は締め切りギリギリ、内容も合格ギリギリだった。

「レポートが書けない」ということに関してはレポートそのものだけではなくもう一つ、自分の他の特性もかなり影響していた。
レポートに限らず大学生活全体に影響が出ていたと思うが、
「忘れ物やうっかりミスが多い。」
「計画が立てられない」
「目測が苦手で、余裕を持って行動できない」などなど・・・
(これは後に「AD/HD」(注意欠陥多動性障害または注意欠如多動症)という診断名がつくことになる。)また、
「視覚的にごちゃごちゃしている環境では集中できない」
「周囲の声やBGMが気になって集中できない」
「照明がまぶしすぎると集中できない」などという特性もあった。
今では文献資料も「デジタルアーカイブ」としてネット上で公開されている
ものがかなりあると思うし、書く作業にしても、自分のノートPCで書いてそのままメールで提出することが多いと思う。

時代ではなく自分の大学のシステムかもしれないが、
当時(200X年)は、レポートは印刷し、学籍番号や名前を書いた所定の用紙を付けて、研究室に提出するのがメインだった。
参考文献も(自分がネットを使いこなせていなかっただけかもしれないが)図書館の本や論文集からコピーして手に入れることが多かったように思う。
 その状況で上記の特性があったので、
「休館日を忘れ、図書館で資料をコピーできなかった。」
「家で途中までレポートを書き、大学で印刷しようとしたが保存したUSBを家に忘れてしまった」
などということがしょっちゅうあった。

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