「積み上げる日々④‐発達障害当事者を生きる‐」note 公開版 その1

大学生~中国留学時代編

※noteでの無料公開版です。同人誌としてイベント等で販売される物より挿絵や内容が少なくなっています。

CAUTION!
☆この本は個人の体験談です。医療情報や診断基準を提供するものではありません。
「発達障害」の診断や治療には、必ず専門の医療機関の受診を行ってください。

☆「発達障害」の特性(症状)には個人差があります。
作者の特性は全ての当事者にあてはまるものではありません。


大学受験のエールさん

 高校三年生。大学受験をしたが、授業と同じく受験勉強も散々だったため、現役時代はもちろんどこも受からなかった。
「勉強する習慣が身につかないまま受験を迎えた」
というのが正しいと思う。

 浪人することになり、予備校に通うことになったが、そこでも授業に全くついていけなかった。
一つの理由として、入ったところが「難関私立コース」にだったこともある。
当時中堅の女子大を希望していたので「一般私立コース」に通うつもりだった。しかし
母は「せっかく一年あるのだから、もっと上を目指して勉強した方がいい!」
という強い意向があった。
本来なら入塾時のクラス分けテストで落ちておしまい、なのだが、なぜかその時だけそこそこいい点数が取れて、難しいコースに入れてしまったのだ。
ただ、一番の理由はやはり当時の自分そのもので、予習復習する習慣、先生に質問する習慣がない。明らかについていけていないのに、クラス替えの相談をするという発想がない。
中学高校時代同様、通っているだけ座っているだけ
夏まで「お金をドブに捨てている状態(なんともったいない!)」

 当時もちろん18歳だったのだが、恥ずかしながら精神年齢は8~10歳ぐらいだったと思う。進路とか将来のイメージがほとんどないまま通っていたので、まるで中学受験の勉強を始めた小学生のようだった。
 
 大きな転機は個別指導の教室に切り替えたこと、担当の先生との相性が非常に良かったこと。その先生は自分が「私立の女子大希望」というのを聞いて、勉強する範囲を大きく絞ってくれた。
また、細かく課題を出す、計画を立てるなど小学生にするような対応をしてくれ、それが「受け身」で「先のイメージが出来ず」「どこから手を付けていいか分からない」状態だった自分には非常に良かった。
自分の特性&精神年齢に合った環境に身を置いたことで徐々に自分からも勉強できるようになり、この時の先生には本当に感謝している。
結果、第二志望ではあったが無事合格することが出来、大学生活がスタートした。
 
続く

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