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下町音楽夜話 Updated 003「のらいたち」

インターネットが世に広まってしばらくした頃、WindowsME全盛期の話だが、「深川いたち亭」というヘンなペンネームで文章を発信をしていた。その由来について書いておこうと思う。何せいきなりの、「いたち」であった。この動物の名前は知っていたが、見るのも初めてなら触るのも当然初めて、何を食べるかも全く判らなかった。東京の下町、江東区に暮らしていて、音楽三昧の日々を送っていた我が家に、まさかの「のらいたち」登場だったのである。

大規模なマンションの一室を少々無理して購入してから二年目、管理組合の理事を仰せつかり渋々ながらやっていた、そんな春先のある日、「警備員が変な動物を捕まえた」と管理センターで大騒ぎになっていた。センターの事務室を覗いて見ると、ダンボールから鼻先を突き出して可愛らしいのがゴソゴソやっている。「どうせ誰かが飼っているのが逃げてきたんだろ」と、困り果てている管理人や理事長を見て、「二・三日なら面倒みましょうか」と、このお人好しは言ってしまったのだ。これが運のつき、うんちのつき始め、うんちつきまくりの3年間の始まりだった。

まずは本屋に走り、「小動物の飼い方」なる本を買い求め、フェレットといういたちの仲間であることを確認し、何を食べるかを調べ、次はエサを求めて走り回った。やたらと水を飲み、食欲も旺盛、そして部屋の隅という隅でうんちをしてくれた。ところがこのいたち、様子が少々変なのである。なぜか震えが止まらない。翌日になっても状況は変わらず、あまりにも気になるので動物病院につれていったところ、脊椎損傷及び左後ろ足骨折という我が耳を疑うような診断であった。「体の柔らかい動物なので簡単には骨折しない。恐らく虐待されたか、高層階から落ちたのだろう。」ということであった。意外な展開に腹が痛くなる思いだったが、動物のお医者さんはさらに追い討ちをかけた。「どうせ飼いきれなくなったんだよ。こんなの飼い主なんか出てこないよ。あなたが飼いなさいよ。ただし、もの凄いイタズラっこだからね、覚悟しなさいよ。」

半信半疑のまま、張り紙を掲示して二週間が過ぎた頃には、もう諦めもついていた。いやむしろ、絶対に最後まで面倒をみようと思っていた。優雅とまでは言わないが、DINKSを決め込んでいた我が家に、突然の新しい同居人、いや家族ができてしまったのだ。幸い動物を飼うことが許されているマンションだったので問題はなかったが、もう一人の同居人、カミサンは相当に面食らっていた。ごん太君と名付けられた彼はどんどん回復し、我が家にやってきたときと比べ、2ヶ月で体重が倍になった。毎朝リハビリを兼ねた追いかけっこが日課となり、背中は曲がったままだったが、半年後には走り回れるほど元気になった。さてそこで自分にとって最大の関心事は、大きな音を出しても大丈夫かであった。ごん太君がやってきてしばらくは、気が引けて少々音量を絞っていたが、さほど気にするでもない様子なので、徐々に元の状態に戻していった。つまり以前と変わらず常時轟音の流れている家となったのだが、唯一気を抜くとLPジャケットに噛み付くヤツがうろついていることが違っていた。

ごん太君がやって来た頃は、ロン・ウッドのギターの音にハマっていた時期で、フェイセズやローリング・ストーンズのマイナーな音源を買い集めていた。中でもフェイセズの名曲「ステイ・ウィズ・ミー」などに代表される、ぶ厚いカッティングを多用した、少々ラフなロックンロールが大好きだった。ごん太君は勿論ノリノリというわけではないが、スピーカーの前で平気な顔で轟音を浴びていた。後々気が付くのだが、彼は目も見えなければ、音もあまり聞こえていなかったのだ。とんだ障害児の出現に、よく生きてこれたものだと感心するやら、同情するやら。音の出どころ、JBLのスピーカーのサランネットは、爪を研ぐのに向いていたのか、日増しにボロボロになっていった。

さて命あるもの、当然ながら別れがやってくる。二年半ほどして、脳腫瘍があるようだという診断を受けてから半年間の闘病の末、ごん太君は天に召された。ステロイドの投与ももう限界だったと思う。優しい顔立ちとひょうきんなしぐさで和ませてくれる日々も終わりがやってきた。動物病院の診断では、病気というよりも老衰ということになった。その「老衰」という言葉に込められた動物病院のセンセイの優しさは、実に身にしみたものだ。

フェイセズでのロン・ウッドのギターは、ローリング・ストーンズでの演奏ほどの重さがない。そのアルコールの匂いがしてきそうなノリノリのロックンロールを聴くと、「軽い方がいいのさ」と笑っている、いたちひげを生やしたロン・ウッドの顔が浮かんでしまうのである。あっという間の3年間だったが、ごん太君のいた日々は忘れられないものとなった。音楽を聴くという行為はみな至極個人的なものであり、様々な思い出とリンクして心に残るものである。「カフェ深川いたち亭」という、ごん太君の写真とオススメ音楽を紹介するウェブサイトを立ち上げ、そこの文章のご縁もあって多くの人と知り合いになったのだから、ごん太君は単に思い出だけでなく、多くのものを残してくれたことになる。手間のかかるヤツだったが、そんな彼に心から感謝もしている。それにしてもロン・ウッドさん、自分のギターでいたちを思い出す人間がいるとは、夢にも思うまい。

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(本稿は下町音楽夜話100「深川いたち綺譚」に加筆修正したものです)

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