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男嫌いが加速する『ジュリアン』。もはやトラウマ。

いやまあ、セックスの話ばっかり書いているわたしが『男嫌い』と言っても説得力に欠けるかもしれませんがね。基本的にわたし、男性の自意識のありようが苦手なんですよ。そのせいで男性と長期的な関係を築けなくて、いつも「セフレ」「セフレ」言ってんですね、アタクシは。いやー・・・もうね・・『ジュリアン』めちゃくちゃいい映画なんですけどね。もうステディも夫もいらん!!!全世界の男が怖い!!!!頼むからその自意識の骨折を修復してから恋愛しておくんなまし怖い!!!!!と震えが来るトラウマティックな映画でした。どっと疲れる・・・

卓越した演出が際立つ、静かで緊迫した映画

何って、サスペンスとしての完成度が高すぎる。ほとんど音楽を使用せず、まったく派手な演出のない、この静かな映画で、ここまでの緊張感を演出するとは。監督の圧倒的巧さに舌を巻くばかり。

しかし、そんな客観的な感想は後付け。演出の巧さに気付く余地もないほど巧いからだ。ただただ恐怖と緊張に没入する2時間。

画の切り取り方、俳優への迫り方、俳優たちの不安定で微妙な表情・・

日常に潜む本当の恐怖、身近な人(しかもかつて愛した人)が内に抱える狂気、信頼できるはずの司法制度の残酷さ、現実の予測不可能性を克明に描き出す。流血のホラー映画よりなにより、「なにこれまじこわい」と思いましたよ・・・

DV夫の屈折したメンタリティと支配の構造

なのでねー、「監督すげえ」の前に、「DV夫まじでこええ!!吐きそう!!!」が鑑賞後の第一声ですわ。DV夫の屈折したメンタリティと支配の構造・・。

監督曰く、DV夫をただ「憎むべき人物」として描かず、傷ついた一人の人間と言う側面も描き出すよう、俳優と話しあった、ということではあるが、いや、わかる。それもよくわかるけど、それでもなお、やっぱり、このDV夫はディスガスティングだ。

だって。

愛情に飢えた男が愛情を欲して人を傷つけ支配する様が、わたしは何より嫌いなのだ。みっともない。自分のコンプレックスは自分で克服しろ、子供か。子供なら大人の市場で恋愛などすな、ぼけなす。と、わたしは思っているのだ、しかもかなり若い頃から。

でも、成熟した男というのは本当に少ない。

この映画を観た男性陣がどういう感想を抱くのか聞いてみたいものだが、あの夫ほど極端ではないにしても、どんな男も多かれ少なかれ、あの夫の要素・・・「俺を愛してくれ、俺を認めてくれ」という飽くなきマザコン根性・・・は持ち合わせているはずだ。「認められない、愛されないことに打ち震えていた幼い自分」を再発見し、受容し、他者を愛すという行為に、腰が引けずに向き合える男なんて、希少種だ。

そもそも、自分の承認欲求に対処するので精一杯なのに、さらにこんがらがった男たちの承認欲求には付き合いきれない。それがわたしの恋愛への失望感の根源だ。

この映画は、そのことを突きつける。

男の「俺を愛してくれ」という叫びの、おぞましさを突きつける。

しんどい。

イケメンもヤリチンもデキメンもイクメンも、知らないよもう。メスの群れを統べる唯一無二のオスライオンでありたいその、貪欲な自己顕示欲が、わたしは怖くて仕方ない。

どんなに表面的には「ナイスガイ」な男の子でも、間もなく「彼が信じたい自分像」に気付いてしまって、いつも困惑する。

本当に恋愛できませんもう。

かっこよくなくていいから、自分自身の屈折をせめて自覚している男の人がいいです・・かく言うわたしはどうなんだ、この偏屈め。

つらいおやすみ。

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