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脳出血入院記(8)2022年8月 歩くリハビリ

 リハビリ病棟に来てから、歩くリハビリが本格的に始まった。
 麻痺している左足全体に装具をつけて太腿からつま先までガッチリ固定して、まずは平行棒で歩く練習。最初の病院でリハビリの先生に支えられながらギリギリ歩けたやつ。
 それが、左足に装具を付けた状態なら、先生に支えられなくても自分で平行棒に捕まりながら自分1人だけで歩けるようになった。
 平行棒の周りをグルグル歩く。平行棒に捕まって1周。最初は1周だけ。ほんの数メートル。1周歩けるようになったら、2周、3周と増やしていく。
 スムーズに歩けるようになったら、左足全体に付けてた装具を短くして、ふくらはぎから下だけの装具にして、歩く。太腿と膝の固定が無くなるので、太腿と膝にしっかり力を入れないと身体を支えられなくてバランスを崩して転ぶ。そんな状態を「膝折れ」と言うそうだ。僕は太腿から膝に上手く力を入れることはできて、膝折れすることは滅多になかった。
 でも、足首に力を入れて動かすことができなくて、つま先がブラブラして床に擦ってつまずいて転びそうになることは頻繁にあった。対策としては、左足で床を強く蹴って勢いを付けて左足をちょっと高く上げるようにする。この歩き方を平行棒の周りでひたすら練習する。

 僕がいつも使っていた平行棒は窓際にあって、大きな窓から外が見える。ちょうど見える場所に全国チェーンの飲食店がある。お昼の前後にリハビリをしている時は、その飲食店にたくさんの人が出入りしてるが見える。
 スマホでその飲食店の公式ホームページを見てメニューを調べて、「退院したらあの飲食店へ行って食べてやる!」と思い、それがリハビリのモチベーションになった。
 ……のだが、後日、公式ホームページでメニューの成分表も公開されことに気付いて、見てみた。僕は血圧が上がらないように塩分を抑えた食事をしなければならないのだけど、全てのメニューが一食で推奨されている塩分量を超えていた。つまり僕が安心して食べられるメニューはひとつもなかった。心底ガッカリした。
 外食のメニューって、塩分高いのね。

 短い装具で平行棒を苦も無く歩けるようになったら、平行棒は卒業。
 次は、一本杖を使ってリハビリ室の中を歩く。一本杖なんて持つ所があるだけのただの長い棒でしょ。固定されてる平行棒に捕まって歩くのに比べると、長い棒だけ持って歩くのはものすごく頼りなく感じて、正直に言って怖い。
 何もない空間を1人で歩くというのは、こんなに怖いことなのか。

 周りを見ると、四本足の安定感のある杖を使って歩くリハビリをしている人がたくさんいる。僕はあれを使わないのか先生に聞いてみたら、「室内の真っ平な安全な床を歩くならあれは安定してるけど、外のデコボコしてる場所や傾斜してる場所じゃ使えないよ。それでもいい?」と言われた。要するに言い換えると「外に出るつもりはないの?」ってことだ。嫌だ。僕は歩いて外に出る。一本杖ならどんな場所でも使える。僕は一本杖がいい。
 ちなみに、歩行器や手押し車を使って歩く練習している人もいて、それについても先生に聞いてみたら、「使わせるわけないでしょ」と一蹴された。

 僕は一本杖で歩く。最初は10メートルくらいだけ。何度も転びそうになって先生に支えられながら、10メートル歩く。
 杖を使って歩くことに慣れてきたら、歩く距離を少しずつ伸ばしていく。
 リハビリ室の中を歩く練習をしている人はたくさんいるので、歩きながら常に周りに気を付けて、他の人とすれ違ったり、他の人を抜かしたり抜かされたり、その為に進路を少し変えたり立ち止まったり、細かい動作が必要になる。やらなければならないことがたくさん増えて、歩くことの難易度が一気に上がる。
 最初は、歩く動作だけに集中しすぎて、歩きながら喋ることすら出来なかった。周りを見ようと思って首を横に振るだけでバランスを崩したり、真っ直ぐ歩いていて少しでも進路を変える時にはいちいち立ち止まったりしていた。リハビリ室の中を大きくグルッと歩くとおよそ50メートルくらいで、1周するだけで気持ちも身体もヘロヘロに疲れてしまった。

 1周歩くのは大変だ。大きな壁になった。もっと長い距離を歩けるようになりたい。もっと早く歩けるようになりたい。ついつい焦る気持ちが出てきてしまった。
 疲れてくると、麻痺している左足に体重を掛けるのが怖くなって、杖にものすごく体重を掛けて腕の力で支えた。左足で地面を力強く蹴ることができなくなって、腕の力で杖を地面に思い切り押し込んだ。そうやって腕の力と杖の助けを1000%ぐらい使って歩いた。
 こんな強引な歩き方を何度もやっていると、リハビリの先生から注意された。
「歩き方が格好悪いよ」
 例えばプロのスポーツ選手のフォームはとても格好良い。スポーツに限らずどんなことでも上級者の動作は必要な力だけが過不足なく使われていて綺麗で格好良い。
 歩くという動作ならば、背筋を伸ばして前を見て、両足に均等に体重を掛けて、腕は力を入れずに軽く振る。こんなフォームが綺麗で格好良い。早く結果を残すことばかり考えて、本当に大切なことを見失ってしまっていた。もう一度、今は何が大切なのか、今は何をしなければならないのか、考え直した。最初は大変でも長い目で見れば、綺麗なフォームで歩く練習をすることが歩けるようになる一番の近道なのだ。
 ちなみに、杖は身体の横に真っ直ぐ付く。それがダンディーで格好良い。スーツを着てハットを被れば尚良し。

 そんな試行錯誤をしながら、最初は1周だけ。およそ50メートル。1周歩けるようになったら、2周、3周と増やしていく。
 リハビリの先生と雑談をしながら、リハビリ室の中をひたすらグルグル歩く。歩くという動作を特別なことにしない。雑談しながら自然に歩いて、気づいたら進んでた、くらいでいい。
 だんだんと体力も付いて歩く距離は伸びていった。先生と雑談が盛り上がってしまい「あれ?今、何周目だっけ?」なんて分からなくなることもあった。それくらい歩き続けられるようになった。

 歩くリハビリは順調に進んだ。リハビリの先生から、
「実は、どうして歩けるようになったのか分からない」
 と言われたことがあった。僕は麻痺が非常に重くて、当初の見立てとしては動けるようになるのはかなり厳しかったらしい。だけど、この数ヶ月で杖を使って歩けるようにまでなった。たまに担当ではない他のリハビリの先生から「見学させて欲しい」と言われて僕のリハビリの様子を見られることがあった。で、僕を見ながら数人でああだこうだと何やら話している。リハビリの先生方から見ても、僕は不思議な例外だったらしい。
 
 でも、腕のほうは当初の見立て通りで、いつまでたっても思うように動かせるようにならず、厳しかった。
 亜脱臼は悪化せず治ってきて、肩には少し力が入り少し動かせるようになった。これだけでも凄い進歩ではあるんだけど、その先、肘、手首、指、などは動かせるようにならない。リハビリの先生は頑張ってくれて、色んな方法を調べて考えてくれる。でも何をどうやっても動くようにならない。
 一度、この状態が何だか急におかしくなってしまって笑えたことがあった。リハビリの先生は動かない腕に何をやってるんだろう。僕は動かない腕に何をやってるんだろう。僕達は何をやってるんだろう。あまりも動かないのでもう笑うしかない。妙なツボに入って笑うのが止まらなくなって、リハビリの先生は「笑ってる場合じゃないでしょ!」と言いながら、一緒に笑った。

 足は、何をする時でも体重が掛かって力が入るので、立ったり座ったりの日常のあらゆる行動が全て足のリハビリになる。座ってるだけでも姿勢を保持するには足腰に力を入れなければならないので、リハビリになる。
 だが、腕はそうはならず、腕に力を入れるのは腕を使う時だけだ。その場に立ってるだけでも足のリハビリになるけど、腕にはそういう瞬間がない。まさか普段から逆立ちするわけにもいかないし。

 僕が歩けるようになった理由として、個人的に勝手な自説がある。
 僕は中学から大学まで陸上競技部だった。陸上競技は色んな種目があるが、どの種目も走ることが競技の基礎。だから、走るフォームを練習して直すし、その為には普段の歩き方から意識して綺麗な姿勢でスムーズに体重移動できるように直す。ほとんどの人達が何も考えずにやっている「歩く」という動作を、あらためて考えながら正しいフォームを身体に覚え込ませている。
 もしかしたら、僕は本能として歩く動作を覚えている脳の部分とは別の部分にも、歩く動作が覚えられていたのではないだろうか。だから、運動を司る脳の部分にダメージがあっても、別の大丈夫な部分で覚えている歩くという動作ができるのではないか。
 そういえば、前の病院のリハビリの先生に、僕の足は「適度に柔らかくて良い筋肉」だと褒められたことがあった。それも陸上競技をやっていたお陰かもしれない。
 陸上競技最強説。あくまでも僕の勝手な自説である。
 リハビリの先生にも何気なく言ってみたことはあるが軽く流された。
 決して信じないように。

 僕は、頭の中に歯車があるイメージをいつも見ていた。物事が上手くいっている時は歯車が勢いよくグルグル回る。上手くいってない時は歯車が綺麗に噛み合っていなかったり、泥にハマって回らなかったり。別々にやっていたことがつながっていき大きく発展した時などには、別々に回ってる何個かの歯車が噛み合って大きなひとつの機械になって動き始めたり。そんなイメージがいつも頭の中にあった。
 でも、入院中に歯車のイメージを見なくなっていたことに気付いた。頭の中にイメージで歯車を出して動かそうとしてみるんだけど、動かない。自分のイメージなんだから自分の好きなようにできるはずなのに、どんなに頑張っても動いてくれない。
 まだ脳が上手く動いてないってことなんだろうか。この歯車は動かそうとして動くものではなくて、実際の出来事に連動して動くものなのだろう。ならば、歯車が動くようになるくらいリハビリをもっとたくさんしなければ。

 リハビリ病棟はリハビリ室に近くて行き来しやすい。なので、決められたスケジュールの時間以外にもリハビリ室に来て自主トレをしたいと先生にお願いした。1人でも出来る危なくない自主トレのメニューを先生に考えて貰って、やるのはそのメニューに限るという条件で自主トレの許可が出た。
 なお、絶対に1人では歩かないように、という注意も受けた。リハビリ室での自主トレとしても1人で歩いてはダメ。病室や病棟では絶対ダメ。歩くのは先生が付いているリハビリの時間のみ。

 僕は毎日、昼間のほとんどの時間をリハビリ室で過ごした。
 リハビリ室に来ている人はこれからもっと良くなろうと頑張っている人ばかり。たまに相変わらず文句を言っているジジイもいるが、本当にうるさく文句を言うようなジジイは何だかんだ理由を付けてリハビリをサボって来ないから、リハビリ室でいつも見かけるような人でそこまで嫌なジジイはいない。
 リハビリ室の雰囲気は悪くなかった。良い、とは言わないけど、病院の中では一番悪くない場所だった。
 いつもリハビリ室にいるので、リハビリ室の事務のスタッフさんや、自分の担当ではない他のリハビリの先生などにもよく話し掛けられた。
 他の先生が自主トレを手伝ってくれたりアドバイスをくれたりすることもあって、基本的には自分の担当の先生に言われた指導を第一に考えているのだけど、たまに他の先生だからこそのちょっと違う視点からのちょっと違う表現のアドバイスもあったりして、参考になることもたくさんあった。これはリハビリ室にいつもいて自主トレしていたことでの思わぬ嬉しい副産物だった。

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