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脳出血入院記(9)2022年9月 一時帰宅

 僕はこの病院の中では若いほうなので、入院している他の患者さんからも珍しがられて話し掛けられることが結構あった。雑談をしていると「いつまで入院するの?」とよく聞かれた。「分かりません。身体が動くようになるまでかな?」みたいなことを言うと、いつもなぜか怪訝な顔をされた。
 そんな会話を何人かとしたり他の人達の会話を聞いたりしているうちに分かったのだが、みんな自分の入院する期間を分かっているのだ。病気によって入院可能な期間が決まっており、その期間いっぱい使って入院しているのが当たり前で、その期間の途中で退院するなんて全く考えていない。その期間の終わる時が退院する時。だから入院期間が分かる。そういえばうちのばあちゃんが入院のことを「毎日寝てるだけで何でもやってもらえて御飯が三食出てくる至れり尽くせりの別荘」と言っていたことを思い出した。

 看護師さんが年輩の患者さんに話しているのを何度も見掛けた。
「○○さんはもうすぐ入院期間が終わってしまうのですが、もう少し治療とリハビリが必要だと思います。そこでご提案なのですが、うちの隣にあるケアハウスに今ちょうど空きがあります。隣のケアハウスに入っていただけたら、今までと同じ先生に診て貰えて、リハビリも同じように継続できます。お友達にも会えます。部屋は変わりますが、今の病院の部屋よりもケアハウスの部屋のほうが広くて綺麗です。ご家族にはもう説明してあります。ケアハウスに引っ越しませんか?」
 不思議なことに、なぜかいつも、ちょうど空きがある。これも年輩の人が多いこの病院のマニュアルのトークなのだろう。

 そんな病院なので、体調がどれくらい良くなってリハビリでどれくらいのことが出来るようになったら退院できる、というような説明は何もない。先のことが何も分からないまま、ただただ「頑張れ」と言われる。
 だから僕は自分の中で区切りを決めていた。倒れた日から3ヶ月経つ9月某日が自分の中での区切りで、それまではとにかく必死に一生懸命に頑張ろうと思っいてた。僕は他の人よりも意欲があって頑張るほうだと思う。そこには自信がある。だけどその意欲も無限にいつまでも続くわけではない。とりかえず3ヶ月の期限を決めて、それまでは一生懸命に頑張って、それから先はその時になったら考えようと思ってた。

 リハビリの先生からハッキリ説明されたことはないが、何気ない会話で、僕の入院の期限は年末くらいまでだと聞いていた。先生はナチュラルに「病棟でクリスマスに……、年末になると……、お正月には……、あ、お正月にはもう退院していないか」というようなことを話してくる。僕は正月どころかクリスマスや何末にはもうここにいるつもりはない。だから、病棟のクリスマスになんて全く興味が無くでどうでもいいので、そういう話には全く反応せずに無視していた。
 先生は何となく察したのだろう。ある日、先生が「いつまでに退院したいとか考えてる?」というようなことを聞いてきた。僕は「とりあえず9月○日が区切りだと思ってる」と答えた。その日に退院したいとまで思ってるわけではないけど、自分の中でいつも考えてる3ヶ月の区切りの日を言った。
 思っていたことを正直に言っただけだったのだが、僕が退院希望日として正式に申し出た、みたいな話になってしまった。

 次の日、リハビリ室で自主トレをしていると、看護師長さんが慌てて来て、「9月○日の退院は早い!考え直すように!」と怒鳴られた。「まだリハビリが足りない!退院してから絶対に困る!」とすごい剣幕で力説してきた。僕が自分で思ってたことを正直に言ったのがそんなに悪かったの?
 そもそも、僕はその日に退院したいなんて言っていない。まだまだリハビリが必要なことは僕も自分で分かってる。リハビリの先生の報告がおかしいのか。看護師長さんの理解がおかしいのか。それにしても看護師長さんは何をそんなに焦ってるんだ?
 まさか、僕のことも期間いっぱい入院させて、期間が終わったらどこかの施設に入れるつもりだっかのか?まさかねぇ。でもこの病院ならやりかねない。冗談じゃない。僕は歩けるようになってこの病院を自分の足で歩いて出て行くんだよ。ふざけんなよ。ばーか。

 数日後、リハビリの先生から正式に今後のことについて話があって、退院どうのこうのは一旦置いて、とりあえず一時帰宅というほどではないけど、先生と一緒に僕の自宅のアパートに帰って実際に過ごしてみることになった。
 そして、何が出来るか?何が出来ないか?という自分の現状を確認して、これから先のリハビリの内容を考えよう、ということになった。
 僕はそもそも退院するなんて言ってないんだけど、こんな話にならければ、アパートに一時帰宅できるようにはならなかったかもしれない。ちょっと腹が立ったけど、結果的に良い方向へ進んだみたいで良かった。結果オーライ。

 アパートに帰るには、病院から外に出ることになる。なので、外に出る前に、自分専用の装具を作って、装具を付けたまま履ける外出用の靴を用意することになった。
 専門の業者の技師さんが病院に来て、装具を付ける左足の色んな部分のサイズを測って、石膏で足の型も取った。このサイズにぴったり合わせて調節した僕の左足専用の装具を作ってくれるらしい。
 装具を付けたまま履く外出用の靴は、用意して貰った既製品の一番大きなサイズが履けてギリギリ大丈夫だった。特注品になると一気に値段が上がるので、既製品で履けて良かった。ちなみに、こういうリハビリや介護に使う靴は、左右別々に注文できるようになっている。僕は両足とも靴を履くけど、左足には装具を付けるので左右の靴のサイズが違って、左のほうが大きい。
 自分専用の装具が完成するのが一週間後くらいで、それを踏まえてアパートへ帰る日を決める。

 遂に、自宅のアパートへ帰る日。朝からちょっと緊張してた。
 お昼過ぎ、予定の時間になり、リハビリの先生が病棟に迎えに来る。車椅子を押して貰って移動して、病院の玄関から外に出る。外に出るのはおよそ3ヶ月ぶり。病院の玄関の前に止まってるワゴン車に車椅子から乗り移って席に座る。そういえばこの病院に来た時はベッドに寝かされて運ばれてきたんだったっけ。今は車の席に座って乗れようになれた。確実に進歩はしてる。
 自宅のアパートから近いという理由でこの病院を選んだので、アパートまで片道5分くらい。「自宅が近づいてきた!」みたいな感動が湧き出る時間も無く、あっという間にすぐアパートに着いた。
 到着すると、両親が待っていた。会うのはこの病院に転院した時以来でおよそ2ヶ月ぶりなんだけど、入院中もスマホで連絡を取り合っていたので、感動的な再会は特にない。

 アパートに帰ってくるのはおよそ3ヶ月ぶり。駐車場からアパートの玄関まで歩いていく。外を歩くのも3ヶ月ぶり。アパートの玄関のドアを開けて、用意してもらったパイプ椅子を狭い玄関に置いて、座って靴を脱いで、居間に入る。

 見慣れた光景。
 僕の部屋。
 僕がいた部屋。
 僕がこれからもいる部屋。

 部屋の中で僕がいつもいた場所に行き、いつも座ってた椅子に座り、いつも使っていたテーブル向かう。僕の場所。
 やっとここまで来れた。しばらくゆっくりと部屋の中の光景をただ眺めた。およそ3ヶ月ぶり。正確に言うと、頭が重くなって立ち上がろうとして倒れたあの瞬間以来。あの時は、あの瞬間から3ヶ月も帰ってこれなくなるなんて全く思ってなかった。

 気持ちが落ち着いたら、部屋の中で日常的な動きを疑似的に色々とやってみる。キッチンに立って料理を作る。冷蔵庫を開けて物を取り出す。トイレに入って用を足す。お風呂に入って身体を洗う。ベッドに寝て起きる。等々。
 リハビリの先生から、「その場所ではこういうふうに身体を動かして」「それをやる時はここに気を付けて」などという具体的なアドバイスを貰いながら、色々とやってみる。以前は何も考えず何気なくやっていた動作でも、これからは考えながら気を付けながらやらなければならない。でも、ちゃんと考えて気を付ければやれないことはない、ということが分かった。
 疑似的に試した動作は全部できた。ただ、これを毎日1人で実際にやっていくとなると、新しい問題が見つかるかもしれない。出来ないこともあるかもしれない。でも、それはそうなった時に考えるしかないと思ってる。

 事前に出来るだけ色んな状況を想定して準備しておくべきなのは当然だけど、あらゆるどんな状況にも100%対応できるように準備しておくことは不可能。絶対不可能。だからそうなった時に考える。何も起きてない時からああだこうだ考えるのは時間の無駄。どんなことでも、やってみなくちゃ分からない。やってみて出来なかった時にあらためて対応策を考える。長年ずっと自営業として1人で働いてきて身に着いた考え方だ。
 日々のリハビリ中に先生と話している時にも僕はこういうことを何度か言ったことがあり、いつもリハビリの先生と軽い言い争いの喧嘩になった。リハビリの先生としては、「出来ないことにぶつかった時にそれから考える、なんて危ないことはさせられない」「その“出来ない”が命取りになる恐れもある」と心配してくれていた。そこまで言われると僕も反論できない。先生も僕の普段の考え方が分かったようで、その考え方が良いとも悪いとも言わないけどこういう話をしなくなった。
 僕が部屋の中で動く練習を自主的に繰り返してやっている時に、リハビリの先生は部屋の中のあらゆる場所の幅や高さを測っていた。玄関の幅、トイレの幅、お風呂の入口の段差の高さ、キッチンの配置、部屋の中の色んな家具の大きさやそれぞれの距離、等々。きっと今後のリハビリの為の準備なのだろう。いつもありがとう、先生。

 部屋の中を動きながら端々までよく見ると、全体的に微妙に違和感がある。なんか小綺麗に整理されて色んな物の位置が変わったりしてる。おそらく親がやったんだろうけど、完全に余計なお世話だなぁ。後で自分で元の位置に戻そうっと。

 部屋の中での動きを一通りやってみたら、アパートの外に出る。靴の脱ぎ履きは椅子に座らないと出来ないので、狭い玄関でパイプ椅子を置く位置や方向、身体の動かし方、などを試行錯誤して一番やりやすい方法を探す。
 日常生活の必要最低限のこととして、この地域のゴミ集積所には歩いて行けなければならない。あと一番近いコンビニくらいは歩いて行きたい。ということで、アパートの周りの道路を歩いてみた。外を歩くのは3ヶ月ぶり。いきなり外の道路を何十メートルも歩くのは、ぶっつけ本番すぎじゃない?と思ったけど、リハビリ室の中をスムーズに何の問題もなく歩けるようになっていので、外の道路は歩きずらいかもしれないけど気を付ければ歩けるんじゃないのか?とも思った。
 ……でも、外の道路を歩くのは屋内を歩くのと全く違った。以前は全く気にしてなかったけど、外の道路はずっとデコボコしていてずっと微妙に傾斜してる。真っ平な場所は全くない。ものすごく歩きずらい。数メートル歩く度につまずいて転びそうになり、何度もリハビリの先生に支えられた。
 もしも1人で歩いていたら、間違いなく転んでた。今の僕は上手く受け身を取ることが出来ないから、全身を打つだろうし、下手したら骨折したり頭を強打する恐れもあっただろう。これが先生の言っていた「“出来ない”が命取りに」ってことなのかもしれない。
 僕の自信は木っ端微塵に崩された。

 予定の時間を過ぎたので、自宅のアパートでの練習は終了して、病院にまた行く。
 病院に向かう車の中で今日の反省をして、すぐに新しい目標を立てた。今日は出来ないことがあって落ち込んだけど、それを克服して目標が達成できればまた自宅のアパートで一人暮らしできるようになれる、という希望も湧いてきた。僕は外の道路を歩けるようになる。絶対になる。
 次にアパートに帰ってくる時は、病院を退院した時だ。僕は退院して自宅のアパートに帰ってくるんだ。僕は帰る場所は自宅のアパート。帰ってこれるようになる為に病院にまた行く。

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