edit_ローラ_スメット_愛の残像サブ1

心の奥の声

「心の声を聞く」
「内なる思い」「内心」などなど、
表現は様々だが、
実際には、
表現だけでなく、
指しているものも種々に異なる。
 
日常の折々に自分の思っていることに注目してみると、
ぶつくさと繰り言が続いている。
状況や状態への批判、評価、非難、文句などや
判断、裁定、分析などを行っているのに気がつく。
 
それに気が付かないのなら、
自分を見る、心を観る基礎的な練習がそもそもできていないので、
自分の行動や感情、思考などと、
自分自身を分離してみる練習というか、
努力、癖?、をまず仕込み始めなければいけないだろう。
 
一歩、半歩退いたり、
横ざまに自分を観察するべきである。

あるいは、
そうとう訓練が進んでいないとできないのだけれど、
前に回って未来から見つめる事ができるなら、
大したものだ。
 
未来から見つめるのは口で言うほど簡単ではない。
いくつかの条件というか、手順を踏まないとできない。
もし常態的にそれができれば、
或る種、達人の域だと思う。
覚者に歩み寄せ始めている兆候だろう。
 
 
 
それらのなんらかの技術、手法でもって、
見つめ、観察し、言い分に聞き入っていても、
そこで現れているものは、
まだ「心の中の声」「心の奥の声」ではない。
 
それは言うならば、まだ「心の声」にしか過ぎない。
 
 
「心の声」、すなわち、
心という捕らえどころのない、
様々な状態を持ち、
また様々に反応し刻々と形や色味を変え続けている心、
その声にしか過ぎない。
 
その心のゆらめき、ざわつき、揺動、流転、反転、展開などの奥に、
「心の奥の声」がある。
 
 

しかし、十分に前述の「心の揺動」に関する冷徹な観察眼がなければ、
その奥の「心の中の声」は聞こえてこない、ともいえる。
 
冷徹な観察眼で、
鋭利に切り裂き、深く内部にメスを滑り込ませるように。
自分の思い、感情、反応の奥に切っ先を差し込む。
丁寧に切り分け精密解剖するのである。
 
ときには自身の信仰でさえ、疑う、
いや、血祭りにする。
 
臨済禅で言うところの
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し」
である。
 
それを柳生家では
「神に会うては神を斬り、仏に会うては仏を斬り」
ともじったそうだが、
わたしは、
殺したり斬りつけたりという言葉に少し抵抗があるし、
さらには、
実際にその虚構や幻影と戦うのが本分ではないので、
自分なりに自分のやり方として改良していった。
 
それを「神削ぎ」という。
虚構の神を削ぐのでくある。
 
削いで剥ぎ取り、
より真なるもの、より内奥なるものを
見ようとする、聞こうとする。
 
虚構と戯れていられるほど暇ではないのだ。
人生は長くはない。
 
 

とはいっても、
圧倒的な量塊で迫り、立ちはだかる「心の擾乱」の、
そのむこうの声など、
なかなか聞きつけることなど出来ない。
 
それを試みる者は、
多分に漏れず絶望し、
すぐに外の手法や頼れる人を探すことに転向し、
迷いを深める。
 
 
「心の中の声」はカクテルパーティ効果の聴覚認知に似ている。
それも極めて巨大なパーティ会場で遠くから呼びかける声なのである。
 
黙れ、雑音ども!
「奥の声」が聞こえないではないか!
 
だが、
その雑音、その擾乱は、
自分の「心の声」なのだ。
外部の雑音でもあるが、
そのパーティは「心」であるため、
結局、外部の事象に反応する心であり、
また、心の中で沸き起こり続けている会話と雑音でもある。
 
 
そのパーティ会場のような心の様を俯瞰的に認識できずに、
自分の作った「仲の良い幻影」と談笑し続けているのが、
普通の人々だ。
 
あるいはアチラコチラでグループを作っているテーブルを渡り歩くのが「自分探しの放浪者」である。
それは、世界を渡り歩いているのではなく、
自分の心に映じている幻影の「寄り合い所」を巡っているのである。
所詮、自分の興味、趣味趣向、許容範囲、損得勘定で
品定めをしているに過ぎない。
 
 
 
無数の会話、周囲の雑音、音楽、ニュース、
笑い声、怒鳴り声、叫び声、泣き声、
物の音、物事の音、
無尽蔵の小さな音が合算されたノイズ、
その中に、
自然の音、風、木の葉の舞、水の音、
全部混じり合って、
心の中で轟音が鳴っている。
 
 
その中に、その奥に、
声がするのだ。
 
声があるのだ。
声ともいえぬような声が。
 
限界状況のカクテルパーティ効果の先で、
拾い上げることができるか否か。
 
多分、人間の持ちうる可能性の最果てであり、
かろうじて聞こえる最難易度の微声なのだ。
 
限界状況の雑音を超えて、
深淵より聞こえてくる声が在る、のだ。
 
 
 
だから、無駄口はやめろ。
雑談も静まれ。
調和と調性で演奏は律せよ。
そうすることで、
少しは、声の通りが良くなるだろう。
 
心というパーティー会場を、
穏やかにせよ。

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