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離婚裁判百選㉔番外編ー生殖にとっての責任及び婚姻の承認を読んで

Scott FitzGibbon【ボストン大学ロースクール教授】「生殖にとっての責任及び婚姻の承認〔訳:鈴木伸智〕という論文(『21世紀の家族と法小野幸二教授古稀記念論集』768頁以下(法学書院,2007)を読、んだ。
 著者は、一男一女の婚姻が、生殖にとって正当であるに違いないと結論を導いています。
 

婚姻の構造及び諸要素は、賢明なものであるー貞節の誓いおよび特有の愛の基礎:実行の制約及び排他性。その他の形態のいずれもその目録(bill)を満たさないー

Scott FitzGibbon〔訳;鈴木伸智〕「生殖にとっての責任及び婚姻の承認」789頁

 論者は、婚姻以外の形態を排斥する趣旨ではなく、生殖の関係に最も適切な関係は婚姻であると位置付け、最も適切な形態を確認する一連の基準を提案しています。親子の関係から考察をはじめ、

⑴子孫の現実的に必要なものを供給するために、十分秩序建てられていなければならないこと
⑵家は、居住者及び彼らの適切な役割について、真の、乱雑ではない関係と伝えなければらないという意味において「尊敬すべきもの」でなければならないこと、
⑶善行の心及び
⑷熟知
⑸貞節
⑹自分たちの関係とそれを取り巻く社会との好結果の関係を模範とする
⑺親の関係は好結果の生殖の関係を模範とする※⑴ないし⑹を全部満たしている意味

前掲791~800頁

この7つの要件が正当性を支えると説く。わかったようなわからないような基準を提案していますが、とりわけ⑷に意味深な主張がある。
 

この要件の影響力は、自分たちの関係は、家庭を維持するという実利の計画の完了あるいは挫折に基づいて解消できるというものではなく永続的であるという、一般的には、婚姻をしているカップルの間で見受けられる心構えを明らかにする一助となる。不変という美徳は、自分たちの関係は、家庭生活の日常の任務となって現れるという、婚姻をしているカップルの間で見受けられる意識を明らかにする一助となる;かけがえのない、絶え間ない貞節、短期間の関係ーー一定の期間で解消することを前もって計画されている「婚姻」ーーは生殖にとって不当であろう。

前掲799頁

 婚姻をすると、貞操義務が生じると解されるが、たまたま時を同じくして、芥川賞作家遠野遥氏著「破局」を読んだ。ある大学生がモト彼女と浮気をして、モトカノジョの密告にいより現彼女に見つかってしまう。動揺して主人公は暴力沙汰を起こし、(おそらくは)将来などを失う。

 私見になるが、婚姻をしている=貞操義務が生じる、というより、婚姻に至るまでの間に貞操義務が強固になっていくように思う。
 その理由は、婚姻をしていると、不変という美徳が働く?のかどうかはわからないが、婚姻をしていないと、貞操義務は法的義務には昇華されてもいない。しかし、実際には、交際関係は解消には至りやすい、もろい。そうだとすれば、交際中の貞操義務?的なものの方が、(心理的)拘束力の程度が高いともいえる。法的義務はないが、拘束力がある。
 ちなみに、紹介した論文の筆者は、同性の関係では生殖に正当性がないと主張している。永続についての誓約をせず、一方で義務を最小にしていると説明している。

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