見出し画像

ギンザ ウォーズ 銀座花伝MAGAZINE vol.43

# 町を救う #AI音声攻撃 #7人の勇者たち    #メタフィクション #B面

街のイメージが「高級で、高価」と歪められ、敷居が高くて近寄りづらいと遠ざけられてきた、銀座の街。経済基盤が弱められた街の上積みだけを掬い取ろうとする大資本によって、今、街の本来の姿が見失われようとしている。

そこには、商いをする人々の人間としての感情が流れていたはずである。声を上げた人々の声は弾き飛ばされ続けてきたにもかかわらず、心ある人々によって新たな再生への道を生み出そうとする流れが生まれていた。

社会生活を席巻するAI音声攻撃に世界中が錯乱、疲弊する中、G町にそれに対抗すべく秘密基地が生まれ、老舗店主たちが結集していた。店主たちはそれぞれ「詩経」「探査能力」「カエルの夢」「緑石」「千夜物語」「願いを叶えるペンダント」を武器に、巨大な敵に起ち向かおうしていていた。7人の勇者たちの物語を背景に、町を守ろうとする人々の戦いの始まりを描いた、「ギンザ ウォーズ」エピソード1をメタフィクションでお届けする。

銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していく。



◆ギンザ ウォーズ◆

「湯ばあばと愉快な仲間たち」 エピソード1


オープニングロール

             時は20XX年。
世界を覆うAI 帝国による音声攻撃は社会を錯乱させ、凶悪な文化革命が日本全土にも及んでいた。AI帝国に多くの国々が屈し支配されて行ったが、どの国よりもデータシステム化が遅れていた日本では「何が起きているのか認識できない」状況に国民皆が右往左往していた。そんな中、G町の片隅にある反乱軍の秘密基地から、帝国に対し奇襲による戦いを挑もうとしていた。かつてG町は表向きは日本最大の飲食繁華街を誇っていたものの、対面商売にこだわるばかりにネット社会から遠ざけられていたが、むしろそれが幸いしたというべきか、世界の中でエアポケット化してかろうじて生き延びていたのだ。

凶悪な帝国軍に追われながら江戸時代から続く銭湯に身を隠し、志を共にする仲間が結集していた。表向きはそれぞれG町の老舗店主だが、真の姿は反乱軍として戦う勇者。人々は彼らを【BMen(面)】と呼んだ。彼らは長年培った知恵と磨き上げた武器を使って無謀にも大敵に立ち向かっていこうとしていたのだった。

だが、そこには本人たちにとって思いもよらない驚くべき困難が待ち受けていた・・・


Ⅰ.  【頭(かしら)】湯ばあば 登場 ー湯屋「金春湯」 女将ストーリー


■A面■
江戸時代には既にG町8丁目金春通りにその湯屋はあった。誰が、どんな理由でそこで湯屋を営み始めたのか、実のところ女将にもよく分かっていない。ただ、時の将軍徳川家康が寛永4年(1627年)に、江戸幕府直属の式楽だった金春流能役者(実は隠密だった)の屋敷をこの地に置いたことから金春通りの名がついて、ついでに湯屋も命名されたらしい、と言う話だけは先代から聞いたことがあった。

女将が番台に座り続けてから75年になる。18歳の時からだというからなんと90歳を超えているわけだ。今でも毎日昼の12時になると、入り口に春夏は白色、秋冬は藍色の暖簾をかけるのがルーティン。自分の背丈3倍はあろうかという番台に、梯子を使って上がる。まさに、幼児のようによじ(幼児)登る、という格好に見えるが、実はそれによって鍛えられた驚くべき腕力・脚力の持ち主なのだ。

この湯屋の土地も建物も女将の親のもので、夫は婿養子だった。なんでも詩吟(漢詩に節をつけて歌う芸道)の名手だったが、8年間他で銭湯修行をした後に入籍した(女将が一目惚れした)。色男の上にお弟子をとって教えるほどの腕前の人物がなぜ銭湯の主人に納まったのかこれもまた謎だが、彼の「吟じます」は、町内でも「金春湯の主人の詩吟は東京中探しても上に立つものはいない」と評判だった。ただ、詩吟に関すること以外は話さないような寡黙な人物だったため、番台に座ってお客と会話するのはもっぱら女将の仕事だったのだ。

その夫は20年連れ添ったが、体が弱く2年病床に伏した後にあっけなく亡くなってしまった。それ以来女将は女手一つで切り盛りしている。

その湯屋は、最近街のパワースポットになっている。なぜかというと、湯殿のデザインに由来する。湯船の上方のタイルに描かれた絵柄は、普通は霊峰富士山だが、ここでは錦鯉が泳いでいる。大きな壁面いっぱいに12匹はいるだろうか。鯉は金沢の九谷焼の老舗・鈴栄堂によるもの。当時の天才絵師「章仙」「春山」「陶山」のサインも見えるから、由緒正しい絵付タイルであるのだろう。

なぜ、鯉?

「1年通じて12ヶ月来い、鯉、恋よ来い」

に由来してるらしい。誰が考えたのか大きな謎だが、女将はこのキャッチコピーをいたく気に入っている。

というわけで、恋の成就を願って、若い女性たちが押し寄せてくるというわけだ。銭湯文化は衰退の一途を辿っているというのに、この金春湯だけは別天地、まるで桃源郷のように今でも賑わっている。

ところが平穏なこの湯屋に、その事件は起きた。春浅い3月のある日の午後東日本で起きた大震災を受けて、帰宅できなくなった例の戦士である店主たちが、この湯屋に逃げ込んできたのだ。


■BMen(面)■ 「守護神」の物語

               最愛の夫を失った女将は、                                直後のある晩を境に眠ることができなくなってしまっていた。昼夜覚醒し続け、その膨大な時間を埋めるために読書に耽ることを覚えた。番台に座っていてもかつては目の前の小さなTVでワイドショーなどを日がな一日ボーッと眺めていだけだった彼女が、詩吟を愛好していた夫の部屋から古い書物を持ち出し眺め始めたのだった。詩吟の原点と謂われる中国古典の「詩経」は道徳的な話や恋の話が難しい漢詩で書かれた書物で、最初は全く歯が立たなかったが、解説本などを読み漁るうちになんとなく意味がわかるようにまでなっていた。あまりにディープに詩経の世界に迷い込んでしまったせいで、ある日を境に口から出てくる言葉が漢詩だけになってしまうのだった。


■A面■

ある日、番台で居眠りをする女将に客が話しかけた。

(客A)「どうしたい?元気ねえじゃねえか」

(ば)「無思遠人 憥心怛怛」(ムシエンジン ロウシンダツダツタリ) 
   (遠人を思うことなかれ、心を憥することはいたずらに気持ちを消耗してしまうことだ)


(客A)「なんだって?   ムシ(虫)がどうした?」

   (客B)  「どういうこっちゃ???」

(ば) 「・・・・・・・」

湯場では、こんな会話が繰り返される有様だった。



Ⅱ.  二番目の男   ーBONSAI屋「森前」店主ストーリー


■A面■
最初に湯屋に飛び込んできたのは、盆栽屋の店主だった。G町7丁目にあるその老舗には、青紅葉や桜の盆栽が所狭しと置かれていて、道行く人の眼をいつも楽しませていた。盆栽は、昔はサザエさんの父親波平が庭でチョキチョキいじっている、いわゆるじじむさい趣味の象徴だったが今は違う。日本独特の美意識の象徴として格上げされ、今や海外ではBONSAIとアルファベットで表記されるまでになった。イタリアでは特に人気で、盆栽職人を養成する職人学校まで生まれるほどだ。
店主の父親はかつて日光山・輪王寺の作庭師を務めた「植七」の6代目。7代目の本人は10代から盆栽の修行を始め、20歳でG町三越の竹楓園の番頭を務めるまでになった。その後全国の盆栽愛好家たちがその腕前と美意識に惚れ彼の盆栽を求めて押し寄せるようになったことから、ついに「森前」を独立開業したというわけだ。

近年は海外からプライベートジェットで商談にやって来る客が増え、ちょうどその日もロシアから来た顧客と商談があった。それが終わり、店の片付けを始めた頃に地震は起きた。東京ではあったが、2階に置いていた石庭の数々が棚から落ち、名木の盆栽までほとんどが横になって根が露出する有様だった。長年勤めている番頭を早々に帰宅させ(と言っても帰宅難民の列に並んで歩いて帰る他なかったのだが)、店主一人で片付けを続けたが被害は大きく、夜になっても終息の目処がつかない状態だった。気がつけば、午前0時をまわろうとしていた。

店の前の花椿通りに出ると、街は街路灯が全て消え真っ暗闇になっていた。道に落ちた看板の残骸などを除けながらG町中央通りを資生堂パーラー側に渡り歩いて行くと、金春通りに濃浅葱色の電光看板が一際明るく点滅し、白く抜かれた温泉マークがパチパチ揺れている。不思議なことに、その場所だけは入り口の扉が開いていて、白い暖簾がゆらゆらして妙に眩しく見えた。

盆栽屋は、誰か人がいるかもしれない、とその入り口に向かった。

湯屋の入り口を入るとすぐにある下足錠の「3」を引き上げ下足入れに履物を入れた。その番号の扉だけが開いていたからだ。男湯と書かれた暖簾を潜り中に入っていくと、湯船の奥に太い蝋燭が揺れているのが見える。真っ暗なはずなのに、湯船の表面が波打つのが分かるくらい、湯屋の奥はほのかな明るさを帯びていた。

「誰かいませんか」

返事はない。

「さてどうしたものか」と思案に暮れ、仕方がないので脱衣所のベンチを手探りで探し腰を下ろした。

■BMen(面)■ 「長いトラウマ」の物語

「大きな波が自分を捉えようとして追いかけてきたのは、自分が10歳の時の9時ごろだった」 と、彼がその話を始めるときはいつもこの枕詞が用意されている。 少年時代に体験した海辺の小さな漁村を襲った台風、大波によって目の前で親友を失った彼には、その恐怖のトラウマに苛まれ続ける人生が待っていた。 成人しても、結婚してもその悩みはなくならず、それどころか眼前に危機が迫ると決まって起こる現象をもて余していた。それは、急な空腹感が襲いかかり、矢も盾もたまらずコンビニを襲撃したくなる衝動に駆られるのだ。理性が働かなくなって、本当に襲撃しそうになったこともある。幸い大事に至らなかったのは、交番勤めをしている親友がそれを察知して制止してくれたからだった。


■A面■
盆栽屋はようやく目が慣れてきて、鯉が泳ぐ壁面を凝視していると、一番大きな錦鯉の口先に取手のついた小さな扉があることに気付いた。何だろうか。その取手を手前に引っ張って見ると扉が少し手前に開いて、何やら底の方から音が聞こえてきた。

いや、声か?やはり誰かいる、盆栽屋は確信する。

「誰かいるんでしょ?」

そう声をかけながら、ズボンの裾をめくり裸足で湯船に進んでいき、縁までたどり着くと、湯気の向こうから焦げ臭い匂いがしてきた。

うん? 何か燃えているのか?


「求之不得 寤寐思服」(キュウシフトク ゴビシフク)
(これを求むれども得ざれば 寝ても覚めても忘れられない)


念仏のような、謡のような、奇妙な声が聞こえてきた。

湯殿の壁の左側にボイラー室に抜ける扉を発見し、そうっと開けてみた。

モクモクと煙が充満する中に人影が見える。2人いるようだ。一人は確かにこの湯屋の女将らしいが、もう一人の横顔にも見覚えがある。そうだ、江戸醤油の煎酒屋老舗「三河屋」の大旦那ではないか。

いやいや、そんなはずはない、大旦那は先月亡くなったはずだ、そうだ葬式に行って手を合わせて来たのだから間違いない。

何度も目を擦りながら、近づいて改めてよく見るとそれは紛れもなく三河屋の大旦那だ。二人は七輪で何か(もち?)を焼きながら、近づく盆栽屋に驚く様子もなくジーと見つめた。


Ⅲ.  【元締め】三番目の男  ー煎酒屋「三河屋」大旦那(亡霊)ストーリー


■A面■

変幻自在、これが「三河屋」大旦那の信条だった。

先代が三河国(今の愛知県)岡崎から江戸に出てきたのが元禄元年。江戸の汐留に着いたばかりの頃は、元々の家業の酒屋を続けていたが、慶応3年に出雲町(現在のG町8丁目三菱UFJ銀行付近)で紐の手芸品を扱う御用商人になった。明治になって、大蔵省御用達の英国人トーマス・ウォートルス設計の煉瓦街の一角に入ることができたのが幸運だった。その頃から組紐の御用問屋を続けながら帯締め、羽織紐の製造から販売にまで手を広げるようになった。大正期になると、今度は海軍の御用商人になって横須賀の海軍にロープを収める仕事に。大正12年の関東大震災で領事館から買い付けた毛糸の在庫が全焼してすってんてんになったが、翌年にはバラックを建てて商売を再開する。しかし戦禍が激しくなり糸屋の統制が始まったとみるや糸屋返上。終戦後、糸業に代わり洋毛糸を英国領事館から仕入れ、セーターやマフラーの編み方を教えて毛糸を広める商売に打って出る。昭和26年ごろから、和装着物や小物を扱う店に転換したものの、そのうち冠婚葬祭や芸事をしない時代がくることを予見して、洋物ファッションの店を開業。手作りから既成服の洋装一本の商売に舵を切り、全国30店舗にまで手を広げる。「和装は流行がほとんどないから廃ることはないが、洋装は流行が変わりすぐに廃っちゃう」が当時の口癖で、売り上げが次第に落ちていくのを横目に、さてこれからはどんな商売をしようと迷って、商売に目が利く甥に相談したところ、これからは江戸スローフードの時代だとのご託宣、時流を読んで大転換、何と江戸調味料(煎酒)の専門商売を始めた。

400年近い生業の中で業態こそ幾種類も転々としたが、しかし屋号だけは頑として変えなかった。「信用」が商いにとって一番大切であることを知っていたからだ。

江戸時代の醤油「煎酒」をそのまま再現できる「煎酒」製造ラインを持つ工場まで作り販売を始めたところ、世は、江戸食ブームとあって、一気に人気に火がつき大手デパートから置きたいと注文が入るほどの売れ筋商品となった。

店が金春通りにあったことや江戸創業という歴史の縁も手伝って、金春湯の女将と三河屋の大旦那は茶飲み友達の仲だった。

ところが江戸フード業が成功する最中、大好きな赤ワインを飲みすぎたある晩、なんの前触れもなく眠るようにこの世を去ってしまったのだ。

■BMen(面)■ 「あれが見つからない」物語

       自宅マンションから、妻が忽然と姿を消したのはもう随分昔の話だ。       何が理由なのか、どこへ行ったのか探偵に依頼して調査を始めた。マンションの住人に聞き込みをすると、意外な事実が分かってきた。住人たちは、妻の見かけだけしか知らないはずなのに、その証言は随分詳細なものだった。 何年も調べる続けるうちに次第に妻の顔を忘れて行く自分に気づいた。自分は、何を探していたのか、判然としないことに、驚きとともに安堵感を覚えていくのだった。


■A面■

「おう!元気だったかい」

大旦那はそう声をかけてきた。

(盆)「ええ、まあ、っていうかなんでここにいるんですか」

(大)「いや、この婆さんに呼び出されてねえ」

女将はしきりに七輪の上で餅を焼いている。そして、例の訳わからない台詞を口ずさんだ。

(ば)「無田甫田 維莠桀桀」(ムデンホデン イユウケツケツ)
   (大きな田畑を作ることなかれ エノコログサ(ブラシのように長い穂の形が独特な雑草)がはびこり茂る)

 
(盆)「なんです?」

盆栽屋は三河屋の大旦那に翻訳を促した。

(大)「つまりさ、消滅してしまったこの街にこだわるな、って言ってる」

(盆)「はあ、え?消滅? このG町がですか!」

(大)「お前さん、何にも知らねんだな」

(大)「いいかい、これから街を救う勇者たちが続々とやってくるぜ」

(盆)「勇者、もしかして、ぼ、ぼ、僕も?」



Ⅳ.   四番目の人物 ーG花柳界置屋「金田中」若女将ストーリー


■A面■

湯屋の裏にあるボイラー室には、ひとりが這って通るのがやっとの細いトンネルがある。そのトンネルは金春通りよりさらに一本東側にある見番(けんばん)通りに抜けることができる。見番というのは、芸者に口がかかった時に料亭へ取次をしたり、玉代(ぎょくだい)の勘定や芸者屋・料理屋の取り締まりをする組合事務所のことで、その組合頭(くみあいがしら)の任は、G町花柳界の元締めとして老舗料亭「金田中」の主人が負っていた。その主人夫婦には子供がいなかった。長年続いてきた老舗料亭を誰に継がせるかという騒動は、結局、女将の遠縁に当たる筋から養女を迎えることで落ち着いていた。

(若)「もう、やになっちまうよ、ボイラーの調子がイマイチ」

トンネルから、最近料亭を継いだばかりの若女将が愚痴をこぼしながらやってくる。湯ばあばの横にちょこんと座って、もちの焼け具合をじっと見ている。まだ20歳代も前半だというのに、やけに年季の入った物言いは生まれが近江の商人であることをうかがわせる。大学を出て家業の縁により松竹興業でマネジャーの仕事に就いたが、元々手先が器用で本人の興味がものづくりだったこともあり、あっという間にエンジニアの仕事に転職してしまった。小さい時から家電の取扱説明書を精読するのが大得意で、ちょっとした故障ならば自分で直してしまうほどの理系女子だ。この日も湯ばあばに頼まれて、ボイラーの調子を見ていたのだ。

「芸者衆には国(生まれた土地)に帰るように言い渡したところ。それにしても、こんなふうに世の中が変わっちゃあ、一番不要なのは芸事ってわけかい?ひどい世の中になっちまったもんだ」

G町の花柳界といえば、関東でも名の知れた一流花街だ。「金田中」はその中でも随一の老舗料亭である。風格ある門構え、入母屋造の建築、玄関からずいっと広がる畳敷廊下には香が焚かれ、見事な調度品を眺めながらお座敷にたどり着く。床の間では横山大観など巨匠の書画・掛け軸、季節の生花が客を出迎え、静々とした所作で仲井が選りすぐりの日本料理の数々を運んでくる。その器といったら、永楽、柿右衛門、織部、魯山人と巨匠の手によるものばかり、直に手で触感まで味わえるところは、美術館を超えている。

“もし、一晩で日本文化の全てを知ることを課せられた異邦人がいたら、一流料亭で至福の時を味わうに限る”って言われるのも分かる。そんな時代もあったのだ。


(ば)「民莫不逸 我獨不敢休」(ミンバクフイツ ドクガフカンキュウ)
   (民はみんな安らいでいるのに 我独り休みもしない)


(大)「ばあさんも、覚悟を決めてるようじゃ」

若女将の顔を見つめながら、三河屋の大旦那が語気を強めてつぶやいた。


【BMen(面】「ストーン・ガール」物語

            若女将がタイで休暇旅行をしたときの話だ。            言葉がおぼつかず一人旅だったので、信頼のおけるタクシードライバーを調達した。彼の名はシュミットというフランス系移民だった。街を廻るうちに、なかなか行けない不思議な場所があるからと勧められ、寺院近くの森林の中へ入っていくと、茅葺き屋根の小さな庵にたどり着いた。そこには、永遠の命を持つ老婆がいて、若女将の体の中にある緑色した石について告げられる。 それ以来、自分の中には奇妙が石が存在していて、それはどうも本当の自分を映し出す鏡の役割をしているのではないかと思うようになる。そしていつの間にか、自分の心に従わないと暴れ出す石、それを「神」と名付けそれを抱えて生き続ける事になる。



Ⅴ.  五番目の男      ー江戸浮世絵 「WATANABE」摺師ストーリー


■A面■
いつもなら、見番通りにはお座敷を終えた芸者衆がゆるりと浴衣を着てお茶屋への道を急ぐ時間。昨夜から続く真っ暗闇の街は午前2時を過ぎて、ひとっこひとりいないまるで死人の町のように不気味に静まりかえっている。
国会議事堂に続く謂れのある出世街道から飛び出すように男が走ってきた。浮世絵の束をわしづかみにし息を切らせてやってきた男は、見番通りの裏口の小さな扉をぐいっと無造作に開けてボイラー室に入ってきた。

「おい、ちょっとこれ見てくれよ」


どこの誰だ?という怪訝な顔を向ける盆栽屋を無視して、湯ばあばの前にその男は浮世絵らしきものを突き出した。

(大)「おっと、あぶねえじゃねえか、火鉢に向けたら燃えちまうぜ」

三河屋の大旦那が押し返した。

男は、ボイラーを点検するための道具や消化器、油で汚れた古布がどっさり積まれた古いテーブルの上を、腕でザーっと音がするように押し分けて浮世絵を広げる隙間を作った。広げられた浮世絵には、奇怪なシンボルが描かれていた。形は江戸古地図のようだった。

(大)「こりゃあ・・・」

三河屋の大旦那が絶句してその絵地図を凝視した。

(大)「お前さん、これどこから持ってきたんだ?」

吐き出すように言葉を発しながら、大旦那はその大きな目をギロッと男に向けた。

(摺)「どこって、俺がいつもみたいに店の2階で江戸浮世絵の北斎富嶽八景の摺を完成させようとした時のことさ。急に真っ暗闇になっちまったもんだから、慌てて手探りで作業用の太い蝋燭とマッチを探し出して火をつけ、摺場所に戻ったんだよ。」

(大)「それでどうした」

(摺)「それからさて、最後のひと摺だと気合を入れ直して、馬楝(ばれん/木版を摺る際に用いる道具)を思いっきり和紙の上に押し滑らせた。うん?なんかさっきと違う感触だと不審に思って、和紙を版木からめくりあげてみたんだよ。そうしたらどうだい、こんな古地図が現れた。おかしいなあ、さっきまでの北斎はどこいっちまった?と考える間もなく、なんだか悪寒が走ってここまで飛び出して来ちまったってわけさ」

(若)「なんの絵だろうね」

若女将が興味津々で覗き込んだ。


(ば)「于以采繁 于沼于沚」(ウージサイハン ウーショーウーシ)
  (ここに以てよもぎを采る 池の水際)

古地図を覗き込むこともなく、脇で相変わらず餅を焼いていた湯ばあばがつぶやいた。

(大)「神様に供えるための草花は特別な場所に生えとる、とな?」

湯ばあばの言葉を翻訳して噛み締めながら、大旦那は思慮深く絵地図に目を落とした。



■BMen(面)■ 「カエルの夢」物語

               摺師はいつも同じ夢を見る。                カエルに追いかけられる夢だ。ある日いつものように追いかけられ魘(うな)されて飛び起きると、ベッドの上で自分がカエルの姿になっていることを発見する。その時、宅配便屋がピンポーンとドアベルを押すので、ドアを開けて出てみると、男は驚きもしないで荷物を床にポンと置いて行ってしまった。どうも、カエルの姿に見えるのは自分だけらしい、他の人にはいつもの摺師に見えていることを知る。 だが、別の日に、ガスの修理屋がやってきた。今度は女だった。彼女には、カエルの姿が見えるらしく「ご不自由でしょう」と同情の言葉をかけて去って行った。 それからというもの、浮世絵の絵が沼だったり、湖だったり、川だったりするとゾワゾワと帰巣本能が暴れ出すのだ。


Ⅵ.  六番目の人物      ー絵具屋「月光荘」店主ストーリー


■A面■
ボイラー室には年代物のラジオだけが情報収集のために備えられていた。盆栽屋は、これ動くんかい?と言いながら、油で塗れた電源スイッチのつまみをひねってみた。ザーザーという乾いた雑音がしばらく流れた。どうやら電源だけは入るようだ。チューニングダイヤルを右へ左へと回してみたが、人の声も音楽も聞こえてくる気配などまるでなかった。それでも構わず30分ほど回していただろうか、とある位置でツートントン、ツートントンとモールス信号をキャッチする場所を見つけた。

と、突然、

(男)「えーと、聞こえますか? 誰か返事をしてください」

ラジオから話しかけられて盆栽屋は目を丸くした。

(盆)「あ、こちらボイラー室」

随分間の抜けた返信をしてしまったと首をすくめた盆栽屋に、怒りの鉄拳が飛んだ。

(大)「おい!こら!自分から場所を名乗ってどうする?スパイかもしれんぞ!」

盆栽屋の無防備ぶりを叱りつけた大旦那は、シッと人差し指を自分の口に立てた。

(男)「これから、合言葉を送ります。」とラジオの男は言った。

🎵~   ♪~   🎵~  🎵~   🎵

それは、どこかで聞いた音楽だった。1960年代のポップスのように聞こえた。

(若)「“ 素敵じゃないか ”・・・・・・」

若女将がつぶやいた。

(大)「何が、素敵なんじゃ?!」と大旦那は怪訝そうに尋ねる。

(若)「違うわよ、この曲の名前。ビーチボーイズのほら、A面じゃん」

盆栽屋が、もしかして、B面暗号曲は、“神のみぞ知る”じゃないか!と叫んだ。

この曲が暗号だというあんたは・・・・もしや。若女将と盆栽屋は顔を見合わせた。

若女将はラジオの前に正座して、ラジオの男からの次の連絡を待った。

「・・・・・」

時代は少し遡るが、G町の景況がITバブルの煽りで落ち込み、再生不能とまで言われた時代があった。町から人が消え、中央通りに開店していた11軒の銀行もあっという間に潰れたり、他行との合併を繰り返しながら遂には消滅していった時代である。
時が止まったような町に活気を取り戻そうと、G町ラジオ局を作り、「G町Spotify」なるものを編曲して町の人々に届けた人物がいた。そのラジオ局は、見番通りにあるレンガ色の月光荘ビルの屋上にあった。夜中に都会の星空に手が届くようなビルのてっぺんの簡素な天蓋を吊るしただけのアトリエの中から、G町に音楽を流し続けた。60年代の音楽にはソウルがあるというのが信条で、流行したA面の裏に潜む名曲だけを選び「B面暗号曲」ばかりを放送していたのだ。

(絵)「やっぱり、金春湯の秘密基地、そこに集まっていたんだね」

   とラジオの男はようやく口を開いた。

(大)「月光荘のKOZOだね?生きていたんか」

   大旦那も興奮気味に返答した。

(盆)「あの時も曲が流れて元気になったけど、そうか、あの時のB面暗号曲か」

   盆栽屋も元気を取り戻して話しかけた。

(若)「今どこにいるの? あのレンガの鉛筆ビルの上?」

   若女将が心配そうに尋ねた。

(絵)「この町から一刻も早く逃げ出した方が良さそうだ、今度ばかりは、敵が大きすぎて生き延びられそうにない・・・」

切羽詰まった声色。ことの重大さに皆、息を呑んで黙るしかなかった。



■BMen(面)■  「千夜ハウス」物語

              週に二度、彼は草原に出かける。               と言っても、それは「ハウス」と呼ばれるミニチュア草原の話だ。何しに出かけるかというと、ヤギを1頭飼っていて餌をやるためだった。そのヤギは不思議なことに、餌をやるたびに一つ、また一つと物語を聞かせてくれるのだった。1000年以上も前のペルシャの話が多かったが、中でも王様が翌朝には殺すはずだったシェヘラザードの語る話の面白さに、殺さずに毎夜千と一夜に至るまで話を乞うたという「千夜一夜物語」は、店主の心を捉えて離さなかった。いつしか、そのハウスを「千夜ハウス」と呼ぶようになり、その矮小な世界に入ったきり、現世に戻ってこない日々が続いていた。



Ⅶ.  七番目の人物      ー江戸煎餅屋「松崎」若主人ストーリー


■A面■
重苦しいボイラー室で、いつの間にかひっくり返すことを忘れられた餅は、焦げて炭のようになっていた。その時、番台の方から人の声が、いや鼻歌が聞こえてきた。

「誰もいないのに、湯量満杯にしてがらがら沸かしちゃって、もったいないじゃないか、だれかいないの?」

また、鼻歌が続く。


(若)「まったく、こんな緊急時に誰だろ?」

若女将はボイラー室の表扉を細く開けて、湯船の様子をうかがった。


鼻歌を歌いながら、その男はデッキブラシで風呂場の掃除を始めた。それが終わると「ケロリン」の広告が入った黄色の風呂桶を集めながら、今度は口笛を吹いている。湯煙で顔はよく見えないが、巨体の持ち主で身につけた大きなMのイニシャルの描かれた裾の長いTシャツが踊り揺らいでいる。あの体のフォルム、どこかで見覚えがある。

(若)「あれ? 煎餅屋のSOOちゃんじゃないの?」

(松)「よう、物騒だなあ、表の入り口が開けっ放しだったぜ」

(若)「遅いよ、こんなとこで掃除なんかして、何?」

(松)「そりゃないぜ。これから秘密基地で緊急会議が開かれるってんで、飛んできたっていうのにさあ。何にも片付いてないじゃないか、風呂場。さっさと片付けて始めようぜ」

畳み込むように、喋り続ける。

(松)「言っとくけど、俺は金庫番やっからね。G町のどこの会合行っても、お前は細かいから金勘定が向いてるって大概任される。最初は逃げ回ってたけど、やってみると結構これ面白いし、向いてるからさ。」

(若)「これから大戦争やろうっていう時に、金庫番って、必要? 役が小さかない?」

(若)「そもそも会議、風呂場じゃなくて、脱衣所でよかないかい?」

 若女将もマシンガン・トークで応戦する。

ま、それもそうだ、と妙に納得しながら電源の切れた番台近くの牛乳ケースからコーヒー牛乳を取り出してグビグビやり出した。糖分を取りすぎて糖尿病の気があるのに一向に生活を改めようとしない。

(若)「もう、みんなボイラー室に集まってんだよ」

(松)「おう、そうかい」

(若)「さてと、湯ばあばに、三河屋の大旦那、盆栽屋、浮世絵屋、絵具屋、それに煎餅屋、それからうちとこの置屋、・・・誰か一人足りないねえ」

お互いの顔を見回しながら、沈黙の時間が流れた。


【BMen(面)】「町を救いたい!」物語

     20歳の誕生日に、バンド仲間と資金稼ぎのアルバイトをしていたときの話だ。         公演場所を借りる資金が貯まったので、今日でバイトやめます、と店長に告げた時、そうかと言って手渡されたプレゼントがあった。それは小さなペンダントで、それに向かって望みを告げると、一つだけ叶うというものだった。他の仲間はさっさと望みを叶えていったのに、なぜかどうしても出てこないのだ。その小さなペンダントは随分と長い間手の中に残ったままだった。いつしか忘れていたペンダント。G町が消滅するというニュースを聞いて、思わずそのペンダントを取り出して願った。「町を救ってください!」


そして、決起! BMen(面)参上


誰か大切な人物をひとり忘れているような気がするが、誰一人としてそれが誰なのか思い出せないので、とにかく秘密基地での作戦会議を始めることになった。

(ば)「摽標有梅 其實七兮」(ヒョウユウバイ キジツシチケイ)
   (梅の実が落ちて 枝には七つ実が残った)

 
(大)「時期は迫った、枝に実があるうちに始めよ!」

湯ばあばの言葉に呼応するように、大旦那が声を張り上げ湯殿に開始の合図を響かせた。7人の勇者たちは、握り拳を高くふり上げ、小さく「おー!」と鳴いた。

        ーーーーー・ーーーー・ーーーーー

ちょうどその頃、G町4丁目から着物の裾をはしょりながら草履の音をパタパタたてて、猛スピードで湯屋に向かう男がいたことを、この時誰も気にかける由もなかった。


エピソード1 完


◆ 編集後記(editor profile)

物事には必ず表面と裏面とがあって、表は世の中から評価されている面、裏は見えない奥の深淵、或いは別の面を指す場合が多い。

「ギンザ」という街は、長い間銀座中央通りを中心とする華やかなウインドウがひしめく高級繁華街は表側で、裏側は7・8丁目に広がる高級クラブエリアだという認識が定着していた。かつては裏を「ザギン」などと高度成長期のコケティッシュさを響かせた呼び方をしていた時代もあった。しかし、実のところ、街の歴史が始まった400年前から、もう一つの世界がこの街には存在していたのだ。その視点は、深い大都会の森の中に置き去りにされてきた。

以前江戸寛政期に創業している銀座8丁目の湯屋「金春湯」の女将の物語を取材した際、その「もう一つの世界」の事実を知り衝撃を受けた。街を創り上げてきた老舗たちはその生業(なりわい)を通じて日本文化を丁寧に守り続けてきたこと、その老舗は路地奥でひっそりと生息していたこと、店の守護神は老舗店主の心意気だったという事実である。

時代が変わり老舗が次々と消滅する中で、「街を守りたい」という志を持ったわずかな店主たちが模索しようとする未来の街の姿。それを探るうちに、少しづつ再生の礎が姿を現し始めた。

物事を「裏表」の表裏一体でとらえる時代は終焉し、「A面」「B面」と位置付け始めた。「B面」は裏ではない。物事の「本質」に通じる入り口である。

これから街を動かすのは老舗店主の人間力、今回それを【BMen】と名付けたいと思った。人間力の心底に渦巻く矛盾を抱えながら、困難をどう迎え撃っていくのか、街の未来創造への道、その物語につながることを信じて船を漕ぎ出してみようと思う。

本日も最後までお読みくださりありがとうございます。
          責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子

〈editorprofile〉                           岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         銀座お散歩マイスター / マーケターコーチ
        東京銀座TRA3株式会社 代表取締役
        著書:「銀座が先生」芸術新聞社刊
   


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?