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子どもたちは見ている(I bambini ci guardano) デ・シーカ監督

 「子どもたちは見ている」"I bambini ci guardano"は1943年 ヴィットリオ・デ・シーカの映画である。(デ・シーカは観客目線を意識してか、タイトルを複数形にすることが多い)戦後すぐである。

 実はヴィスコンティの「郵便配達は2度ベルを鳴らす」Ossessioneとともにネオレアリズモ映画の先駆けと言われているのだが、日本ではあまり知名度は低いかもしれない。悲劇を目の前にした子どもを題材としたデ・シーカの作品は「靴磨き」や「自転車泥棒」が有名だが、それらのもっと前にその最たるものというべく作品があったのだ。おそらく上記の2作品よりもずっと、観客はこの子どもの感情にぐっと引きずられてしまうと思う。とにかくデ・シーカの子供の演技を、表情を引き出す力にあらためて感銘を受ける。


 ところで、日本は2020年にやっと児童福祉法の改正によって、体罰全面禁止国になった。世界で59カ国目、世界で初めてスウェーデンが体罰全面禁止にした時からすでに40年もの月日が経っていた。(イタリアは実は体罰全面禁止国ではない)

 この映画は、母親の不倫により家族が崩壊し、子どもが身も心も衰弱していく話である。これは子どもに対する心理的暴力であり、体罰であると思った。

 この映画のこれほどまでに子供目線を追求した描写でなければ、「体罰」とまで感じなかったかもしれない。それだけ子どもの心理的描写が凄まじいのだ。もうこちらが震えてしまうほど、不安感いっぱいになって怖くなる。子どものトラウマになっていく様子をまざまざと見せつけられているようである。この出来事が子どもの発達にいかに悪影響を及ぼすか、性格などにねじれを産むか、それを子どもの成長とともにゆっくり段階を踏んで見ているようで、それがまたリアルなので怖くなるのである。

 不思議な撮り方をしている、と感じるのは後半。子どもの顔にやたらと光をあてるようになっていく。すると前半には見せなかった、子どもの不思議な表情が浮かび上がってくるのだ。それはもはやあどけない子どもとは言えない表情。いろんな大人の事情を知って、大人のように誤魔化すことも知って、自分のことなど考えなくなる子ども。なんとなく不気味に見えてくる。ホラー、もしかしたらエイリアンかも・・・とも思わせるほど、子どものなんとも言い表しがたい表情。その子どもはもはや自分で創り出した違う世界のポケットに入ってしまったようであった。これをどうやってデ・シーカは思いつき、子どもに表現させたのだろうか。光をあてれば、パッと明るくなりそうなものを、あの白黒映像の中で冷ややかな、青筋が見えそうな白色光を再現したのである。

 子どもは生物的に親への愛着はそもそもあるものだと思う。他の動物と同じく。そして親も子どものことを愛しているので、愛情表現をする。だから子どもはそういうことも考慮してしまうと、かえって混乱するのだ。親が悪者だと割り切って烙印を押すことができるのならば、どれだけ子どもたちにとって楽なことか。しかし実際、本能的にそうはできない。彼らにとってその前提がいかに強固なものか、 親は理解しないといけない。

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