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冬の和歌8・雪の跡

俊成と徳大寺実定がやりとりした贈答歌から。
実定は俊成の甥っ子だけど、仲良しだったんでしょうか。

今日はもし君もや訪ふとながむれどまだ跡もなき庭の雪かな(藤原俊成)

今日はもしかしてあなたが来てくれるかなと思い悩んで外を眺めてみたけれど庭の雪にはまだ足跡もない。


いまぞきく心は跡もなかりけり雪かき分けておもひやれども(後徳大寺左大臣)

今聞いて気づきました。心には跡がないのですね。雪をかき分けてあなたのことを思っていたのですが。

「けり」には気付いてびっくりああそうだったんだ、みたいなニュアンスを表す用法があります。


何で来てくれないんだよ、っていじけ気味の歌に、あなたのことばかり考えてたのに気付かなかったんですか?(まさか心に跡がないなんて→当然お気づきかと思ってました)みたいな返し。
上手だしお互いに「つれないな」「つれないのはそっちだろ」ってなってるの、大変微笑ましくてよいですね。

この時代、降り積もる雪にも関わらずわざわざ来てくれることは親しさの証です。

忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみ分けて君をみんとは(在原業平)

伊勢物語の業平が出家した惟喬親王に会いにいった段の歌や、

山里は雪ふりつみて道もなし今日来む人をあはれとは見む(平兼盛)

「雪が降り積もって道もない。こんな日に来てくれる人にしみじみと情を感じる」のような歌にあらわれているように。

だから、先の贈答歌も「こんなに私たち仲良いんですよ!」ってことです。

これを逆に考えると、雪を踏み分けてやって来てくれる人がいないということは自分を大切に思ってくれる人がいないということです。

雪ふりて人もかよはぬ道なれやあとはかもなく思ひきゆらん(大河内躬恒)

「雪が降って人も来ないからだろうか、心細くて途方に暮れてしまう」
素直に訳すとこうなりますが、「あとはかなし」はそのままの意味「跡形もない」とそこから転じた「心細い」があります。また「思い消ゆ」は「途方に暮れる」の意味ですが、文字通り「思いが消える」ととったらどうでしょうか。
「雪」という語句があるのでどちらも縁語なんです。

雪が降り積もって何もかも消してしまう。誰も来ない。私を愛して来てくれる人もいない。私の心も雪が降り積もったように跡形もなく消えてしまいそうだ。

思いの外、深い孤独の歌にも思えます。


さらに絶望を極めた歌。

老いらくは雪のうちにぞ思ひ知るとふ人もなしゆく方もなし(藤原定家)

「年老いたことを雪の中で思い知る。訪ねて来る人も訪ねる相手もいない」
単に客がいないということではありません。
真に自分を想う人も想う相手もいないということです。
雪に降り籠められた孤独は心の孤独と重なっているんです。

定家様晩年の頃は、武家社会になり天皇や貴族の権威はなく華やかな生活は失われ和歌は連歌中心となり、かつて歌合わせを開いていたような世界は幻になりました。
寂しい歌です。











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